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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第922号--2016.10.22------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(58)1928年-4」「〔ひとびと酸き胡瓜を噛み〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(58)1928年-4」
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 1928年も後半になると、年譜の記事が極端に少なくなります。こ
の7月、賢治がついに病に倒れたからです。

 発病とともに賢治は実家に戻り、羅須地人協会の活動は自然停止
になります。賢治に残された時間はあと5年ですが、そのほとんど
は闘病生活のため、活動の記録である年譜の記事は少なくなります。

 羅須地人協会時代の最後を飾るのが詩「停留所にてスヰトンを喫
す」です。賢治の口語詩の最後の傑作です。

 「ぼくたちの/何人も何人もの先輩がみんなしたやうに/しづか
にこゝへ倒れて待たう」

 これが羅須地人協会を閉じる挨拶だと思います。

 この後は実家に戻り、入退院を繰り返します。年末には退院して
いたようですが、同居していた妹クニと刈屋主計夫婦と部屋を交換
しています。

 後にその部屋で夫婦には子供ができますが、その子について書い
た詩「〔この夜半おどろきさめ〕」にはこう書かれています。

昭和三年の十二月私があの室で急性肺炎になりましたとき
新婚のあの子の父母は
私にこの日照る広いじぶんらの室を与へ
じぶんらはその暗い私の四月病んだ室へ入って行ったのです
そしてその二月あの子はあすこで生まれました

 「四月病んだ」というのはここで四カ月闘病生活をしていたとい
う意味だと思います。

 こうして病気に苦しみながら、1928年は終わっていきます。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

岩手のソウルフード すいとんは野菜たっぷり
http://blog.matuno.co.jp/archives/1024935714.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 東北一帯は米どころではあるものの、小麦文化も根づく地域。

 小麦粉を水で練ったものを数時間熟成させた後、野菜たっぷりの
醤油仕立ての汁に直接摘み入れて食べる郷土料理は岩手、宮城など
広い地域で今でも愛されています。

 はっと、つめり、ひっつみ、とってなげなどの呼称があり、全国
的にすいとんと言われるものとは、少しだけ違うことから岩手の郷
土料理として紹介します。

 呼称は地域や家庭により様々由来も諸説あり興味深いです。この
食文化に注目し、町おこしにしているのが、宮城県登米市、岩手県
奥州市。

 登米市の全国はっと祭りは毎年12月に行われ、沢山の種類が登場
し楽しいイベントになっています。

<はっと>

 江戸時代、米を満足に食べられなかったお百姓さんが、小麦作り
に精を出し過ぎ、米作りが疎かになっては大変と当時の領主がこの
料理を食べることをご法度にしたという説、同じ小麦粉料理のほう
とう、薄飩(はっとん)が訛った説など

<つめり、ひっつみ、とってなげ>

 親指の付け根を上手く使い、小麦粉を練ったものを薄く引っ張り
汁に摘み入れるという作業からの呼称です。

 具材は特に決まりはないのですが、野菜がたっぷりでとってもヘ
ルシー。

 大根、人参、ごぼう、芋類、キノコ類、白菜、ネギ、油揚げ又は
油麩。出汁も鶏肉、豚肉、煮干しなど。

 実家の母はワンタン風に具材はキャベツと豚バラ肉のみで簡単。
ゴマ油で風味付けします。

 具だくさんのけんちん汁風もよし、キャベツをたっぷり使ったワ
ンタン風もお試しくださいね。

小麦粉を練る時のコツは

1、耳たぶくらいの固さにする

2、練った後、生地を3時間程度休ませる

 ぺろっ シコシコ つるっ シコシコ、その食感から皆さんも病
みつきになるかもしれませんね。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

夏季特別展 佐々木喜善と宮沢賢治
http://www.tonotv.com/html/catv/daily/2013/08/12/3.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 遠野市立博物館では現在、遠野出身で民話研究の先駆者・佐々木
喜善と、花巻出身の作家・宮沢賢治の夏季特別展が開かれています。

 この特別展は、「遠野物語」の元となる話を柳田國男に伝えた佐
々木喜善と、作家・宮沢賢治が、ともに亡くなってから80年にな
ることから開催されています。

 会場には、2人の生涯を紹介するコーナーのほか、2人が交わし
た手紙や原稿、日記など103点が展示されています。

 こちらは、賢治が喜善に送った手紙です。喜善が、賢治の童話
「ざしき童子のはなし」を、雑誌で拝見したと書いて送った手紙の
返信で、ざしき童子のはなしの原稿も同封されていました。

 この手紙のやりとりがきっかけで、2人の交流が始まったといい
ます。このほか喜善が柳田國男に直接昔話を読み聞かせた日のこと
が綴られた日記など貴重な資料が並べられています。

 訪れた人は、喜善と賢治の作品に触れ、2人の民俗学への思いや
知識の豊かさを肌で感じていました。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1928年-4〕----------------------------------------------
32歳(昭和三年)
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7月
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1日、本日付発行の「天邪鬼」五の巻に掲載された佐々木喜善「雨
窓閑話」の中で、賢治のざしき童子のはなし」(「月曜」2号)に
言及。

18日、農学校へ斑点の出た稲を持参し、ゴマハガレ病でないか調
べるよう,堀籠文乃進へ依頼。検鏡の結果イモチ病とわかる。

20日、「停留所にてスヰトンを喫す」

24日、「穂孕期」

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8月
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8日、上閉伊郡土淵村佐々木喜善あて返書(書簡242)。佐々木喜
善と最初の交渉である。

10日、花巻病院入院と推定。内科医長佐藤長松が両側肺浸潤と診
断し主治医として治療にあたった。院長佐藤隆房も助言を行った。

 本日付で館内勇編集兼発行「煙筒」創刊号が発行され、同人とし
て名を連ねる(作品の発表をはない)。誌中コラムの「二三雑録」
に石川善助の文章があり、次のように言う。

「高村光太郎氏の詩には驚かされる。頭がさがる。もっと日本はこ
の人をほこってもいい。この間森佐一君に会った時いろいろ宮沢賢
治さんのことを聞いた。僕は話がこの人の所に向ふといつも熱する。
宮沢さんの行為作品、あの巨いなるものには心から打たれる打たれ
る。」

 中旬、『注文の多い料理店』に挿絵を描いた菊地武雄が藤原嘉藤
治の案内で羅須地人協会を訪れる。いくら呼んでも返事がないので
「勝手元」から入りこみ、そこに散らばっている七輪や米の袋や十
能などを転ばさぬよう気をつけて中へ上り、書きかけの原稿や本を
ひっくり返し煙草をのんだ。それからトマト畑を見つけトマトをと
り、黒板に「トマトを食べました」と書いて帰った。その後、賢治
がこの二、三日前に健康を害して実家へ帰ったことを知り、見舞い
に行ったが病状よくなく面会できなかった、という。

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9月
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5日、妹クニと刈屋主計の養子縁組が行われたが賢治は病臥中で宴
に出られなった。

23日、盛岡市外、岩手県立師範学校寄宿舎内、高橋(のち沢里)
武治あて返書(書簡243)。

 前橋市の草野心平から「コメ一ピョウタノム」の電報があった。
当時草野は猛烈な貧乏生活の上、賢治に対する知識はアメリカ式農
場を経営し、念仏を称え、ベートーヴェンをきき、詩をつくるとい
うふしぎな人物という程度で、もちろん面識はなかった。この電報
に対し、なるべく金になりそうな造園学の本が送られてきたという。

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10月
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1日、本日付発行の「詩神」10月号掲載の「詩神第一回座談会」
で佐藤惣之助、白鳥省吾が宮沢賢治に言及。

24日、菊地武雄あて中身なしの封筒の裏書きに「稗貫郡下根子」
とあるので、このあたり一時協会へ戻ったようである。(その後
ふたたび実家へ)

30日、佐藤隆房あて葉書。佐藤の俳句に対し、賢治が付句を試み
たもの。

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11月
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25日、「佐々木喜善日記」に賢治あて書簡の記事がある。

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12月
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21日、高橋慶吾あて返書(書簡245)。この頃またも38度の熱
で病臥中であった。

寒さが急にきた晩、防寒の設備が悪かったため風邪をひき、突然高
熱を発し、急性肺炎となる。入院するかどうかが問題になったが、
母がうらないを見てもらい、家から出すのはよくないというので自
宅療養をつづける。主計・クニの申入れで、夫婦が新婚生活をして
いた二階の部屋と入れ替る。

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二月、第一回普通選挙
五月、野口英世西アフリカで没
五月、全国農民組合結成
十一月、天皇即位礼

この年、県下旱魃40日以上に及び、陸稲、野菜ほとんど全滅。9
月14日に至りようやく降雨。

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山村暮鳥「暮鳥詩集」
河上肇「資本論入門」
「銅鑼」16号刊行。この号で廃刊
林芙美子「放浪記」連載開始
高橋新吉「高橋新吉詩集」
季刊「詩と詩論」創刊
草野心平「第百階級」
萩原朔太郎「詩の原理」

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政次郎 54歳
イチ 51歳 
シゲ 27歳
清六 24歳
クニ 21歳 9月5日、刈屋主計と養子縁組

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     停留所にてスヰトンを喫す
                     一九二八、七、二〇

わざわざここまで追ひかけて
せっかく君がもって来てくれた
帆立貝入りのスイトンではあるが
どうもぼくにはかなりな熱があるらしく
この玻璃製の停留所も
なんだか雲のなかのやう
そこでやっぱり雲でもたべてゐるやうなのだ
この田所の人たちが、
苗代の前や田植の后や
からだをいためる仕事のときに
薬にたべる種類のもの
除草と桑の仕事のなかで
幾日も前から心掛けて
きみのおっかさんが拵えた、
雲の形の膠朧体、
それを両手に載せながら
ぼくはたゞもう青くくらく
かうもはかなくふるえてゐる
きみはぼくの隣りに座って
ぼくがかうしてゐる間
じっと電車の発着表を仰いでゐる、
あの組合の倉庫のうしろ
川岸の栗や楊も
雲があんまりひかるので
ほとんど黒く見えてゐるし
いままた稲を一株もって
その入口に来た人は
たしかこの前金矢の方でもいっしょになった
きみのいとこにあたる人かと思ふのだが
その顔も手もたゞ黒く見え
向ふもわらってゐる
ぼくもたしかにわらってゐるけれども
どうも何だかじぶんのことでないやうなのだ
ああ友だちよ、
空の雲がたべきれないやうに
きみの好意もたべきれない
ぼくははっきりまなこをひらき
その稲を見てはっきりと云ひ
あとは電車が来る間
しづかにこゝへ倒れやう
ぼくたちの
何人も何人もの先輩がみんなしたやうに
しづかにこゝへ倒れて待たう

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     穂孕期
                     一九二八、七、二四

蜂蜜いろの夕陽のなかを
みんな渇いて
稲田のなかの萱の島、
観音堂へ漂ひ着いた
いちにちの行程は
ただまっ青な稲の中
眼路をかぎりの
その水いろの葉筒の底で
けむりのやうな1ミリの羽
淡い稲穂の原体が
いまこっそりと形成され
この幾月の心労は
ぼうぼう東の山地に消える
青く澱んだ夕陽のなかで
麻シャツの胸をはだけてしゃがんだり
帽子をぬいで小さな石に腰かけたり
みんな顔中稲で傷だらけにして
芬って酸っぱいあんずをたべる
みんなのことばはきれぎれで
知らない国の原語のやう
ぼうとまなこをめぐらせば、
青い寒天のやうにもさやぎ
むしろ液体のやうにもけむって
この堂をめぐる萱むらである

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[242] 1928年8月8日 佐々木喜善あて 封書

(表)上閉伊郡土淵村 佐々木喜善様 侍史
(裏)昭和三年八月八日 稗貫郡下根子 宮沢賢治 (封印)〆

お手紙辱けなく拝誦いたしました。旧稿ご入用の趣まことに光栄の
至りです。あれでよろしければどうぞどうなりとお使ひください。
前々森佐一氏等からご高名は伺って居りますのでこの機会を以ては
じめて透明な尊敬を送りあげます。

   昭和三年八月八日

宮沢賢治

 佐々木喜善様

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[243] 1928年9月23日 沢里武治あて 封書

(表)盛岡市外 岩手県師範学校寄宿舎内 高橋武治様
(裏)八月廿三日 花巻 宮沢賢治 封印)〆

お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と
汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすが
すがしくなりました。六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲
れたまゝで、七月畑へ出たり村を歩いたり、だんだん無理が重なっ
てこんなことになったのです。

演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
休み中二度もお訪ね下すったさうでまことに済みませんでした。豊
沢町に居ることを黒板に書いて置けばよかったとしきりに考へまし
た。こんど出るときは大体葉書を出してください。学校ももう少し
でせうがオルガンなどやる暇もありますか。どうかお身体を大切に
切角ご勉強ください。まづはお礼乍ら、

    柳原君へも別に書きます。

  九月廿三日

宮沢賢治

 高橋武治様


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[244a] 1928年10月30日 佐藤隆房あて 葉書

大根のひくには惜しきしげりかな
 稲上げ馬にあきつ飛びつゝ   圭
 或ハ、 痩せ土ながら根も四尺あり
膝ついたそがれダリヤや菊盛り
 雪早池峰に二度降りて消え
 或は, 町の方にて楽隊の音
湯あがりの肌や羽山に初紅葉
 滝のこなたに邪魔な堂あり
 或は、 水禽園の鳥ひとしきり

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[245](1928年12月21日) 高橋慶吾あて 封書

(表)向小路 田中様方 高橋慶吾様
(裏)豊沢町 宮沢商会内ニテ 宮沢賢治(封印)〆

拝復

貴簡難有拝誦仕候

貴下献身の高義甚感佩の至に有之何卒御志の達成せられんことを奉
祈候

小生名儀の儀は御承知通り当分の小生には農業生産の増殖と甚分外
乍ら新なる時代の芸術の方向の探索に全力を挙げ居り右二兎を追て
果して一兎を得べきや覚束なき次第この上の杜会事業の能力は当分
の小生には全く無之右不悪御諒置奉願候

敬具

-〔文語詩稿未定稿(002)〕----------------------------------
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(本文)
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     〔ひとびと酸き胡瓜を噛み〕

ひとびと酸き胡瓜を噛み
やゝに濁れる黄の酒の
陶の小盃に往復せり
そは今日賦役に出ざりし家々より
権左エ門が集め来しなれ
まこと権左エ門の眼 双に赤きは
尚褐玻璃の老眼鏡をかけたるごとく
立って宰領するこの家のあるじ
熊氏の面はひげに充てり
榾のけむりは稲いちめんにひろがり
雨は滔々青き穂並にうち注げり
われはさながらわれにもあらず
稲の品種をもの云へば
或ひはペルシャにあるこゝちなり
この感じ多く耐えざる
背椎の労作の后に来り
しばし数日の病を約す

げにかしこにはいくたび
赤き砂利をになひける
面むくみし弱き子の
人人の背后なる板の間に座して
素麺をこそ食めるなる
その赤砂利を盛れる土橋は
楢また桧の暗き林を負ひて
ひとしく雨に打たれたれど
ほだのけむりははやもそこに這へるなり

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(先駆形口語詩「〔みんなは酸っぱい胡瓜を噛んで〕」)
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     〔みんなは酸っぱい胡瓜を噛んで〕

みんなは酸っぱい胡瓜を噛んで
賦役にでない家々から
集めた酒をのんでゐる
中で権左エ門の眼は
眼がねをかけたやうに両方あかく
立って宰領する熊氏の顔はひげ一杯だ
榾のけむりは稲いちめんにひろがって
雨はどしどしその青い穂に注いでゐる
おれはぼんやり稲の種類を答へてゐる
さっき何べんも何べんも
あの赤砂利をかつがせられた
顔のむくんだ弱さうな子は
みんなのうしろの板の間に
座って素麺むぎをたべてゐる
その赤砂利を盛った新らしい土橋は
楢や杉の暗い陰気な林をしょって
やっぱり雨に打たれてゐる
ほだのけむりがそこまで青く這ってゐる

--〔後記〕--------------------------------------------------

 『日本思想の言葉』(竹内整一著 角川選書 2016/8/27)という本
に、宮沢賢治についての言及がありました。文学関係ではないので、
宮沢賢治学会のアンテナにかからないかもしれないと思い、紹介し
ておきます。

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

第一章 神
・人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです(遠藤
周作)
・信ずるが故に実なり(清沢満之)
・私か。私も多分祈れまい(正宗白鳥)
・「地獄は何んな処かしらん」(菊池寛)

第二章 人
・人力の限りあるを知るのが自信だ(島崎藤村)
・小さな一隅に身をおくことのみ (内村鑑三)
・人間の如き、無智無力、見る影も無き、蛆虫同様の小動物(福沢
諭吉)
・余に道徳なし。自ら羞じると羞じざるとを以て行為の標準となす
(国木田独歩)

第三章 命
・今、いのちがあなたを生きている(東本願寺)
・正しい原因に生きる事、それのみが浄い(高村光太郎)
・ほろびしものはなつかしきかな(若山牧水)

第四章 魂
・魂という言葉は天地万物を流れる力の一つの形容詞に過ぎないの
ではありますまいか(川端康成)
・精神の本質は計量を許さぬところにある(小林秀雄)
・表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己
を救うことである(三木清)
・花びらは散っても花は散らない(金子大栄)

第五章 情
・情の至る所、理もまた至る(吉田松陰)
・恋の至極は忍恋と見立て候(山本常朝)
・私は淋しい人間です(夏目漱石)

第六章 時
・恵蛄春秋を知らず 伊虫あに朱陽の節を知らんや(親鸞)
・初心忘るべからず(世阿弥)
・遇うて空しく過ぐるなかれ。(九鬼周造)
・今、ここにある…鮮烈ないとおしさへの感覚を、豊饒にとりもど
すこと(真木悠介)

第七章 死
・死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり(吉田兼好)
・見るべき程の事は見つ。(『平家物語』)
・父はわざと私を遠のけて、いたのだった(森茉莉)
・かんがえださなければならないことは どうしてもかんがえださ
なければならない(宮沢賢治)
・うしろ髪をひかれるからこそ、最後まで気が違わないで死んでゆ
くことができるのではないか(岸本英夫)

http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=321601000718
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

 内容はもちろん妹トシの死についての挽歌群を読んでいます。そ
んな言葉知らないと思った言葉が多いのですが、賢治のも普通の人
は知らないか。

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