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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第920号--2016.10.08------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(56)1928年-2」「〔燈を紅き町の家より〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(56)1928年-2」
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 今回は1928年の2回目、4月から6月までなのですが、都合によ
り、6月14日、賢治が伊豆大島から帰ってきたところです。

 それ以降の東京滞在は次回に回します。

 4月に労農党が解散させられ、シンパであった賢治の寄付した机
なども処分されてしまいました。これ以降はほとんど交流がなくな
ります。

 6月になると、「水産物調査、浮世絵展鑑賞、伊豆大島行き」の
ために、東京から伊豆大島までの旅行に出掛けます。

 7日に花巻を出発、仙台、水戸を経て8日夜に東京着。12〜1
4日は伊豆大島行きで、東京にはその後24日に花巻に帰るまで滞
在しています。

 作品としては、伊豆大島行きの旅で書いた「三原三部」、そして
「東京」詩篇が有名です。

 今回は「三原三部」を掲載し、「東京」詩篇は次回です。

 賢治の年譜で、親戚以外の女性が出てくることはほとんどないの
ですが、伊豆大島に住んでいた伊藤チエという人はその数少ない一
人です。周囲には結婚の期待もあったようですが、簡単に花嫁を獲
得できるような人だったら、また違う人生だったことでしょう。

 何事もなく、島から帰ってくるのですが、「三原三部」を読んで、
賢治からの愛情を感じる人も多いようです。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

大島紀行 詩群
http://www.ihatov.cc/series/oshima.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 宮澤賢治は、友人の伊藤七雄の招待で、1928年6月に伊豆大島を
訪れました。その日付は、作者が作品に付けたものでは上記のよう
に6月13日〜15日となっていますが、「【新】校本全集」の年譜で
は、当時の天候や賢治の書簡をもとに、実際には6月12日〜14日で
あった可能性が高いと推定しています。

 この大島行きの隠された意味については、歌曲「火の島」の項で
も触れました。

 伊藤兄妹は、この少し前、おそらく同じ年の春に、花巻に賢治を
訪ねたようですが、きっとこの時三人は、ほんとうに親しく楽しい
ひとときを過ごしたのだと思います。賢治は伊藤の妹チヱに、優し
くかつユーモアを持って接したでしょうし、チヱの方のも、そんな
賢治に好感をもったのでしょう。

 そこから、「お見合い」という話がでてきたかと思われますが、
兄の伊藤七雄の方には、自分が大島に計画している「農芸学校」の
スタッフに、将来的には賢治も身内として加わってほしいという思
いもあったのかもしれません。

 おそらく賢治のことですから、事前に「お見合い」などと聞いて
いたら、大島には行かなかったでしょう。しかし一方で賢治の方も、
この兄妹から寄せられている好意が、たんなる友情という範囲を越
えた特別なものになっていることを、きっと何となく感じとって、
わかっていたはずだと思います。

 この旅行中に書いた諸作品には、この兄妹に対して賢治の側から
も意識していた、特別な感情が表れているように思うのです。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1928年-2〕----------------------------------------------
32歳(昭和三年)
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4月
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10日、田中義一内閣は労働農民党および日本労働組合評議会、全
日本無産青年同盟の三団体に解散を命じた。

 伊藤秀治(伊藤椅子張所経営)談。

「労農党の事務所が解散させられた。この机やテーブル、椅子など
は宮沢賢治さんのところから借りたものだが、払下げてもいいと言
われた、高く買ってくれないか、と高橋(慶吾)さんがリヤカーで
運んで来たものだった。全部でいくらに買ったか忘れたが、その机、
テーブル、椅子などはこんどは町役場に売ったとおぼえている。」

12日、「台地」。稲作指導、肥料設計についてきてくれたふたり
の友、藤原嘉藤治、菊地武雄がえがかれている。

15日、国柱会の妙宗大霊廟落慶式が行われる。宮沢トシも合同安
置されている。

 4月付発行「岩手県農会報」188号に「農界の篤志家/宮沢賢
治君」の記事が掲載されている。

 無署名だが、川原仁左ヱ門により佐藤文郷の執筆が確認されてい
る。内容は次のとおり

「花巻の名物は温泉と人形とおこしだけではない。円満の相貌伝え
聞く物外和尚をしのばせる様な宮沢君も現在花巻名物の一つである。
そして此の花巻名物が県の名物となる時が近く来るたと思われる。

芸術に趣味のない人間は生活に潤いがない。日今の農家は経済生活
に忙しく農村に潤いがない、味がない、此の乾らびた生活に潤いと
味いと色彩とを与うるには先ず経済生活を潤沢にして後精神生活に
覚醒を来させるも一方法であるとして、前途に農民芸術の復興を志
し足は農事改良の途を踏んでいる様に聞いている。

最近二度ほど君の仕事を見たに、冬閑には農家の希望によって学術
講演に近村に出掛けて殆ど寧日がないとか、而して決して謝礼を受
けない、昨今は旧土木管区事務所に出張して農家の相談相手となり
肥料設計をして居る。数日前君の所謂店を訪問したるに箱の様な代
用机三四脚の腰掛け其処で十四五名の農家は順番に設計の出来るの
を待って居った。非常に丁寧な遠慮深い農家達だと思ったに、是は
皆な無料設計で用紙なども自宅印刷なのであった。自己を節するに
勇敢で他に奉ずる事に厚いと噂に聞いて居る宮沢君は世評の如く誠
にかざらざる服装で如何にも農民の味方の感があった。」

春頃、高橋慶吾あて返書(書簡233)高橋はレコードの交換会がうま
くいかず、経済的損失と対人関係の悪化を訴えた手紙を留守中置い
てきた。それに対し、新しい仕事をできるだけ探すことをいい、
「もうわたくしもすっかり世間を狭くしてしまひました。弱いこと
不具なことはお互ひです。」という。

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5月
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3日、堀籠文乃進夫人梅が未婚時代の交換通信を袋に入れ、豊沢橋
から川に投げ捨てた。しかるにそれがどこかにひっかかり、ひろわ
れ、この日堀籠宅にちゃんと送り届けられた。堀籠はこういうこと
をだまってするのは絶対賢治であると信じて疑わない。

7日、前校長畠山栄一郎が来花したので歓迎会を精養軒で行う。賢
治、堀籠、阿部繁のほか芳文堂主人、卒業生有志が参加した。

16日、夜、堀籠文乃進を訪ね、稲苗腐敗廟について話し合う。

28日、大橋珍太郎に小原忠の紹介と育英会貸費の便宜を依頼する。
(書簡234)

五月、黒沢尻町立黒沢尻高等女学校校長新井正市郎を訪う。校長は
前県視学で千厩での県下農業研究会、国民高等学校で面識があった。
前年校舎が新築され、この四月に新井は校長として赴任したばかり
である。広い敷地は茫たるさまで木を一本もない。緑化したい旨を
聞いて、「苗木なら自分がもってくる」と言う。しかし農事指導、
上京、発病のため、この年は実行されない。

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6月
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7日、水産物調査、浮世絵展鑑賞、伊豆大島行きの目的をもって午
前6時35分花巻駅発の列車に乗り、10時54分仙台着、すぐ開
催中(4月15日から6月8日まで)の東北産業博覧会を見学。父
から言われていた水産加工品の展示は特に注意し、数回見る。なお
その件については東京でも詳しく調べることにする。その後、東北
帝国大学を見学、古本屋で浮世絵を漁っているうちに文学部の教授
たちと知り合う。夜8時仙台駅から父へ報告。「明朝五時には水戸
に着き公園等を見て八時から農事試験場に」行くと予定を記し、
「汽車に少し間があって少々停車場で待ちくたびれて居ります。」
とも書いている。(書簡235)これにより午後11時発急行の上り列
車にのったと推定。

8日、午前4時54分水戸駅着。茨城県立農事試験場の始まる8時
まで、偕楽園を見物して時間をつぶす。その後水戸駅発午後2時3
5分または3時55分のどちらかに乗車、上野へ向かう。上野駅到
着は、5時55分、または7時20分。1926年12月の上京時にも宿
泊した、神田錦町の上州屋に宿泊。

10日、「高架線」

12日、伊豆大島行きの船に乗船。

 訪問先の伊藤七雄、チエ兄妹は以前、(年月日は判明しないが羅
須地人協会をはじめてからのことで、あるいはこの年の春か)賢治
を訪ねて来たことがあり、兄は大島で開校したい農芸学校や土壌な
どの助言・調査を依頼し、妹の方は賢治との見合いの意味があった。

13日、現地視察と指導。伊藤チエの森佐一あて書簡(1941年2月
17日)に次のようにある。

「あの人はお見受けいたしましたところ、普通人と御変わりなく、
明るく芯から楽しそうに兄と話して居られましたのが、その御語の
内容からは良くは判りませんでしたけれど、何かしらとても巨きな
ものに憑かれていらっしゃる御様子と、結婚などの問題は眼中に無
いと、おぼろ気ながら気付かせられました時、私は本当に心から申
訳なく、はっとしてしまひました。」「あの人の白い足ばかりみて
いて、あと何もお話しませんでした。」

14日、おそらく午後3時25分大島発の船で、東京へ戻る。

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二月、第一回普通選挙
五月、野口英世西アフリカで没
五月、全国農民組合結成
十一月、天皇即位礼

この年、県下旱魃40日以上に及び、陸稲、野菜ほとんど全滅。9
月14日に至りようやく降雨。

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山村暮鳥「暮鳥詩集」
河上肇「資本論入門」
「銅鑼」16号刊行。この号で廃刊
林芙美子「放浪記」連載開始
高橋新吉「高橋新吉詩集」
季刊「詩と詩論」創刊
草野心平「第百階級」
萩原朔太郎「詩の原理」

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政次郎 54歳
イチ 51歳 
シゲ 27歳
清六 24歳
クニ 21歳 9月5日、刈屋主計と養子縁組

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     三原 第一部
                     一九二八、六、一三

ぼんやりこめた煙のなかで
澱んだ夏の雲のま下で
鉄の弧をした永代橋が
にぶい色した一つの電車を通したときに
もうこの船はうごいてゐた

     しゅんせつ船の黒い函
     赤く巨きな二つの煙突
     あちこちに吹く石油のけむり
     またなまめかしい岸の緑の草の氈

     この東京のけむりのなかに
     一すじあがる白金ののろし
        東は明るく
     幾箇はたらくその水平な鉄の腕
うづまくけむりと雲の下
浜の離宮の黒い松の梢には
鶴もむれまた鵝もむれる
     きらきら光って
     船から船へ流れて落ちる黒炭の屑
     へさきの上でほのほも見えずたかれる火

西はいま黒鉛のそら
いくすじひかる水脉のうね
ガスの会社のタンクとやぐら
しづかに降りる起重機の腕

中の台場に立つものは
低い燈台四本のポール
三角標にやなぎとくるみ
緑の草は絨たんになり
南西はひかる草穂なみ
 その石垣のふもとには
 川から棄てた折函やヽヽヽ

 向ふからいまひかって来るのは
 小く白いモーターボートと
 ひきづなにつゞく
        九隻の汽船

次の台場は草ばかり
またその次は草も剥ぎ
黄土あらはに楊も見えず
うしろはけぶる東京市
ことにも何かヽヽヽの
その灰いろの建物と
同じいいろの煙突そらにけむりを吐けば
   そのしたからもくろけむり

早くも船は海にたちたる鉄さくと
鉄の門をば通り抜け
月光いろの泡をたて
アクチノライトの水脉をも引いて
砒素鏡などをつくりはじめる
   品川の海
   品川の海

甘ずっぱい雲の向ふに
船もうちくらむ品川の海
海気と甘ずっぱい雲の下
なまめかしく青い水平線に
日に蔭るほ船の列が
夢のやうにそのおのおののいとなみをする

  ……南の海の
    南の海の
    はげしい熱気とけむりのなかから
    ひらかぬまゝにさえざえ芳り
    つひにひらかず水にこぼれる
    巨きな花の蕾がある……

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     三原 第二部
                     一九二八、六、一四、

かういふ土ははだしがちゃうどいゝのです
噴かれた灰がヽヽヽのメソッドとかいふやうなもので
気層のなかですっかり篩ひわけられたので
こゝらはいちめんちゃうど手頃な半ミリ以下になってゐて
礫もなければあんまり多くの膠質体もないのです
それで腐植も適量にあり
荳科のものがひとりで大へん育つところを考へますと
石灰なども決して少くないやうすです
燐酸の方はこれからだんだんわかります
たゞ旱害がときどき来るかもしれません
けれどもそれはいはゆる乾燥地農法ドライファーミングでは
ほとんど仲間に入らないかもしれません
まあ敷草と浅土層ソイルマルチをつくること
この二つが一ばん手ごろとおもひます
つまりはげしい日でりのなかで
十ミリ雨が降ったとき、
(何ミリ降ったかそれはたとへば小屋コットの屋根の平坪と
 貯水タンクの底面積を比較して
 その係数をだして置き
 タンクの水の増量を見てもわかります)
またすぐ日が照りだしたりすると
この十ミリは全く土の深い方には届かずに
わづかに表部の根を刺戟して
いままでなれたそのつゝましい蒸散を
俄かに拡大したまゝで
水がそのまゝ蒸発すれば
植物体はあとで却って弱ることさへあるのです
そのときもしかういふふうな浅土層ソイルマルチをつくるなら
その水湿は蒸発せずに
徐々に深部に侵み通り
夜分にかけてよく植物を養ひませう
いったいかういふ砂質サンデー
割合深い土壌では
ひるの間はすっかり土も乾いたやうに見えてゐて
朝にはすっかり湿ってゐるのが普通です
それは土壌が一方毛管作用によって
底の方から水をとってはゐるのですが
ひるはそいつが蒸発分を補ふことができないで
夜には余りあるのです
若しも昼にもソイルマルチや敷藁や
あるひは日陰を与へることで
二つを相償させますならば
一晩くらゐの雨さへあれば
そのあと二十日やそこらは大抵困りません
雑草ですか いゝえそいつはちがひます
草は日蔭はつくっても
一方自分がごく精巧な一つの蒸散器官でせう
つまり自分が土壌の深くに吸引性の支店をもった
たこ配当の銀行などと同じことです
あなたの大事な預金をふいにしたといふ
さういふ風の銀行ですな
それではひとつやりませう
縄を向ふへ張ってください
そらかうですよ
ずゐぶん働きやすい土です
北上川の岸の砂地と同じことです
すぐうしろからさっきの肥料を入れてください
えゝ、 それぐらゐ、そんなふうです
肥料はいちばんむらのないのがいゝのです
それではそれをかういふ風に鋤きこみますよ
それから上を
ごくしっかりと叩きつけます
ぼさぼさ掘って、ことに堆肥をしきこんで
乾いたまゝへいきなり種子を蒔きますと
水の不足でよほど発芽に難儀をします
さっきのやうに深いところから吸ひあげるまで
かういふ風にしっかり叩いて置くのです
これでとにかく一畦やっとできましたから
こゝにはちしゃを播きませう
むらが少しもできないやうに
もう何べんにもごく丁寧に播くのです
あなてたはそっちを播いてください
むらなところは吹いてください
またたなごころでまぶしてもようございます
大事な種子は箱か鉢へ播きつけますが
一つぶ一つぶちいさな棒に水をつけて
ならべることもありますし
鳥の羽などで一めんまぶすこともあります
結局種子と種子の間が
相当きまってはなれてゐればいゝのです
それでは土をかけませう
土の厚さは種子の厚さの三倍あたりが原則ですが
かういふ軽い土ならもっとかけて置きます
いったい種子の発芽には
温熱水湿酸素の三つが要りますが
地表は酸素と熱には多く
深部は湿りが大きいために
土性とそれから気候によってこれら三つの調和の点を求めるのです
非常な旱魃続きのときに
巨きな粒の種子を播きつけしますには
アメリカンインデアンの式をとります
棒で三寸或は五寸も穴をあけ
中に二つぶぐらゐもまいて
わづかに土を投げて入れます
播く前種子を水に漬けるか漬けないか
それは天気とあとの処理とに従ひませう
もしもそのとき雨か或は雨が近くて
発芽がすぐにできますときは
一晩乃至二昼夜ぐらゐ
種子をきれいな水につけます
けれどもちゃうど今日のやうな日
いつまた雨が来るとも知れず
水をかけたりできないときは
むしろ乾いたまゝで播き
雨が来るのを待ちませう
それではどうぞ縄を向ふへ向けてください

こんどは所謂この農園の装景といふことをしませう
まづ第一にこの庭さきのみづきがあんまり混んでゐて
おまけに桜や五葉松までぎっしりで
大へん狭く苦しい感じがしますから
これをきれいに整理しませう
この木がぜんたいいちばん高くて乱暴です
まるでチーズのやうに切れます
さあではあなたも切ってください
それですそれですその木です
あゝ鋸を土につけてはいけませんなあ
刃がすぐすたってしまひます
たぶんあなたのちいさい時分
木小屋かどこかのひるすぎごろに
誰かゞひとりでしづかにそんな鋸の
目をたてたのをおぼえてませう
ああいふにしてしじゅう大事にするのです
それで結構向ふの樺も伐ってください
木立はいつでも一つの巨きなマッスになるか
さうでなければ一本一本幹から葉まで
見分かるやうになってゐないといけません
大へんそれでよくなりました
その木の二本の幹のうち
右手の方も伐ってください
そしたらひとつこゝから向ふをごらんください
そこらはみづきのうすい赤からアップルグリン
それもうしろはだんだん高く
喪神青になってゐて
向ふが暗い桜の並木
そのまたうしろがあの黒緑な松の梢
すなはちこれが一つの緑の階段で
近代的な浄化過程を示します
そしてうしろがあのかゞやかなタキスの天と
せはしくふるふあの銀いろの微塵です
そこでこんどはこれらの木立の下草に
月光いろのローンをつくるといたしませう
すなはちあすこの松や椿や
羊歯の小暗いトンネルを
どてからこっちへはいって来ると
みづきと桜のあの緑廊になりませう
そこもやっぱり青ぐらく
緑と紫銅のケールの列や
赤いコキヤのぼたんを数へ
しづかにまがってこゝまで来れば
小屋は窓までナスタシヤだの
まっ赤なサイプレスヴァインだの
ぎらぎらひかる花壇で前をよそほはれ
つかれたその眼をめぐらせば
ふたゝびさやかなこの緑色を見るでせう
これだけでまだ不足なら
さっきのみづきと畑のへりの梓をすこうし伐りとって
こゝへ一っつ 六面体の
つたとあけびで覆はれた
茶亭をひとつ建てませう
梓はどの木も枝を残し
停車場などのあのYの字の柱にし
みづきの方は青い網にもこしらえませう

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     三原 第三部
                     一九二八、六、一五、

黒い火山岩礁に
いくたびいくたび磯波があがり
赤い排気筒の船もゆれ
三原も見えず
黒い火山岩礁に
いくたびいくたび磯波が下がり
  ……風はさゝやき
    風はさゝやき……
波は灰いろから
タンブルブルーにかはり
枯れかかった磯松の列や
島の奥は蛋白彩の
けむりはあがり
いちめん apple green の草はら
  ……それをわたくしは
    あの林のなかにも企図して来た……
狂ったかもめも波をめぐり
昨日座ったあの浜べでは
牛が幾匹しづかに
海霧のなかに草をはみ
奥地は霧の
奥地は霧の
もうこの船はヽヽヽの燈台を見ます
暗い雲にたった    の崎の燈台を見ます

いまわたくしは眼をさまして窓の外を見ましたら
船はもうずうっとおだやかな夕がたの海の上をすべってゐて
すぐ眼の前には緑褐色の平たい岬が
  ……よくあちこちの博覧会の模型に出る
一つの灰いろの燈台と
信号の支柱とをのせて横はって居りました
それは往くときの三崎だったとわたくしはおもひ
あの城ヶ島がどれであるかを見やうとして
しさいに瞳をこらしましたが
それはなれないわたくしには
崎と区別がつけられないだけ
うしろになって居りまして
たゞどんよりと白い日が
うしろのそらにかかって居り
却って淡い富士山が
案外小さく白い横雲の上に立ちます
わたくしはいま急いではね起きて
この甲板に出て来ますと
  ……福島県

なぜわたくしは離れて来るその島を
じっと見つめて来なかったでせう
もういま南にあなたの島はすっかり見えず
わづかに伊豆の山山が
その方向を指し示すだけです
たうたうわたくしは
いそがしくあなた方を離れてしまったのです

富士にはうすい雪の条があって
その下では光る白い雲が
平らにいちめんうごいて居り
上にはたくさんの小さな積雲が
灰いろのそらに立って居ります
これはもう純粋な葛飾派の版画だ
わたくしも描かうとひとりでわたくしは云ひました

三崎も遠く
かいろ青のそらの条片と雲のこっちにうかび
日がいまごろぼんやり雲のなかから出て
うすい飴いろの光を投げて居ります
それはわたくしの影を
排気筒の白いペンキにも投げます

もううしろには模型のやうな小さな木々や
崖のかたちをぼんやり見せた
安房の山山も見えてゐますし
わたくしの影はいま
パイプをはなれて
うしろの船室への入口の壁に
てすりといっしょにうつってゐます
それから富士の下方の雲は
どんどん来たへながれてゐて
みんなまっかな瑪瑙のふうか
またごく怪奇なけだもののかたまりに変ってゐます
  ……甲板の上では
    福島県の紳士たちが
    熱海へ行くのがあらしでだめだとつぶやいて
    いろいろ体操などをやります……
おゝあなた方の上に
何と浄らかな青ぞらに
まばゆく光る横ぐもが
あたかも三十三天の
パノラマの図のやうにかゝってゐることでせう

日はいま二層の黒雲の間にはいって
杏いろしたレンズになり
富士はいつしか大へん高くけはしくなって
そのまっ下に立って居ります

      一隻の二とんばかりの発動汽船が
      波をけたてゝ三崎の方へかけて行きます

そしてもうこの舷のうしろの方で
往くときも見えた
あの暗色の鉛筆の尖のかたちをした
燈台が二きれの黒い岩礁の
その小さな方の上に立って
橙いろのうすい灯を
燃したり消したりしはじめてゐます

      黒い海鳥は
      幾羽 鈍い夕ぞらをうつした海面をすべす
船はもうまさしく左方に
その海礁の燈台を望み
またその脚に時々パッと立つ潮をも見ます
三崎の鼻はもう遠く
その燈台も
辛くくるみいろした
雲にうかんで見えるだけ
そしてあなたの方角は
もうあのかゞやく三十三天の図式も消えて
黒いろのさびしい雲の縞ばかり

それからほとんど突然に右手の陸で
ほとんど石炭のけむりのやうな雲が
いくひら いくひらあらはれて
もう富士山も
いま落ちたばかりのその日のあとに
光る雲の環もみんなかくしてしまひます

思ひがけなく
雲につゝまれた富士の石で
一つの灰いろの雲の峯が
その葡萄状の周縁を
かゞやく金の環で飾られ
さん然として立って居ります
      ……風と
        風と

海があんまりかなしいひすゐのいろなのに
そらにやさしい紫いろで
苹果のやうな雲もうかびます

船にはいま十字のもやうのはいった灯もともり
うしろには
もう濃い緑いろの観音崎の上に
しらしら灯をもすあのまっ白な燈台も見え
あなたの上のそらはいちめん
そらはいちめん
かゞやくかゞやく
       猩々緋です

-〔文語詩稿一百編(101)〕---------------------------------
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(本文)
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     〔燈を紅き町の家より〕

燈を紅き町の家より、     いつはりの電話来れば、
(うみべより売られしその子) あはたゞし白木のひのき。

雪の面に低く霧して、     桑の群影ひくなかを、
あゝ鈍びし二重のマント、   銅版の紙片をおもふ。

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(下書稿2推敲後)
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燈を紅き町の家より
いつはりの電話来れば
(うみべより売られしその子)
はかなしや白木のひのき

雪の面に低く霧して
桑の群影ひくなかを
あゝ鈍びし二重のマント
そこはかと帰り行く書記

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
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燈をあかき町の家より
いつはりて電話来れば
(うみべより売られしその子)
そこはかと書記帰り行く

雪の面に低く霧して
桑の群影ひくなかを
あゝ鈍びし二重のマント
銅版の紙片をおもふ

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------

     僚友

高書記よ
電話よばへり
和賀郡の郡役所より

 和賀郡の灯ある家より
   (うみべよりうられしそのこ)
 あやしくもなまめける声
 連綿とひとをもとめぬ

 夕陽いま落ちなんとして
 ちゞれ雲四方にかゞよひ
 雪の面に低く霧して
 桑の群影をこそひけ

高書記よ簿はわがなさん
なれは去れ五時に間もなき

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(下書稿1推敲前)
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     電話

高書記よ
電話よばへり
和賀郡の郡役所より

高書記よ用は済みしや
和賀郡の郡役所より
あやしくもなまめける声
わぶごとくうらむがごとく
連綿ときみを呼びしを

高書記よかの日見しとき
みどりなる髪うつくしく
かんざしの房など垂れて
もろびとの瞳にたえず
切なげに身をもだえける
かのをみななれに迷ひて
うらぶれてかしこに去りき

ききけらくなはそのはじめ
欺きてをみなとなして
たちまちに いと情なくて
あらたなるをみな漁りぬ

このまひる公署のなかに
なが声を求めて来しは
うらみてか はたいかりてか
かにかくに ながつれなさに
胸にあまれる故によるらん

高書記よ なが父母は
耕して清く 食へり
をみなごの その父母も
耕せどまた耕せど
炊餐のけむりに足らず
をみなごは 売られ来りぬ

高書記よ なれもしつひに
紅燈の とりこなりせば
いざ行きてかのひとを訪へ
ひとふしの 歌をばひさぎ
わらひ売る むれのなかにも
あきらけき 道はあるなれ

--〔後記〕--------------------------------------------------

 今回は変則になりますが、東京、伊豆大島行きの日程を、伊豆大
島から帰ってきたところまでにしています。次回は「東京」ノート
の詩篇を紹介するつもりです。

 「文語詩稿一百編」は実は百一編あるのですが、今回で終了です。
次回からは「文語詩未定稿」ですが、こちらは百に編、毎号掲載し
て約二年ですが、千号を越えてしまう…。

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