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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第917号--2016.09.17------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(53)1927年-3」「病技師〔二〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(53)1927年-3」
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 1927年の三回目、夏の季節です。この時期に、賢治としては後期
の、非常に有名な詩が並びます。

「一〇八二 〔あすこの田はねえ〕」
「一〇二〇 野の師父」
「一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く」

 「〔あすこの田はねえ〕」は以前は「稲作挿話」の題で知られて
いました。

 岩波文庫版の宮沢賢治詩集を読んでいると、初期の華やかな『春
と修羅』の詩篇と後期の難解な文語詩にはさまれた中間に、これら
の詩があって、非常に印象に残るものでした。一般的な宮沢賢治の
イメージに、最も近いと言ってもよいかもしれません。

 前年から始めた羅須地人協会の活動も二年目、周囲の冷たい目は
相変わらずでも、農作業への理解も一層進んだように思います。

 ところでちょうどこの頃、賢治に「女性問題」が持ち上がります。
羅須地人協会に出入りしていた高瀬露という女性の話が出てくるの
です。

 このころ交友のあった森佐一が書き残しているので知られるよう
になったのですが、ちょっと聞くに耐えないような悪口になってい
て、どうにも気持ちよくありません。

 真面目な学校の先生で、おそらく賢治に好意を寄せていた人のこ
とを、よくこれだけ悪く言えたものです。

 賢治自身にも問題があったと思いますし、強い偏見のもとでそれ
を書き残した森にも問題があったのだと思います。女性問題に関し
ては当時の男性は本当に駄目だったのだ、ということかもしれませ
ん。

 この年、賢治は藤原嘉藤治に結婚を世話しています。自分もこの
人と結婚していれば、もう少し長生きできたのではないか?などと
思います。

 でも、彼女自身は後に「幸せな結婚」をして、長く教育界で活躍
したそうなので、これでよかったのでしょうね。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

高瀬露の悪評を知ったきっかけと、現状に思うこと
http://blog.goo.ne.jp/tsumekusa/e/d6c98c3ee0bad84a073c254a3a7d2586

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 私が高瀬露の悪評を初めて知ったのは小学六年生のころ、宮沢賢
治の伝記漫画を学校の図書室で見つけたことがきっかけでした。そ
れには高瀬露のことはただ「小学校の女の先生」と記されているだ
けで、その女の先生が高瀬露という名であることを知ったのは2003
年のことでした。中学生時代以来久し振りに賢治の童話や詩を読む
ようになり、賢治という人のことを詳しく知りたくなり、児童向け
の伝記本から作家評論本まで、賢治の名が付いていれば何でも手に
取っていた時でした。

 それらの本を読んで分かったことは、「高瀬露は、一方的に賢治
を好きになり押しかけ女房まがいのことまでして、思いが叶わぬと
掌を返したように態度を変え、賢治の中傷をして回った問題のある
女性」であるということです。それは感心出来ないことで、伝記や
評論本に多少悪く書かれても仕方ないでしょう。本当のことなら、
ですが。

 私はこれらの話を読んでいてずっと違和感を覚えていました。何
か裏がありそうな気がする、と。その違和感はやはり当たっていた
ようでした。そう気付いたきっかけは、何気なく手に取った一冊の
薄い本……河出書房新社発行の「図説 宮沢賢治」でした。

 それまで伝えられて来た高瀬露の行動はみな裏付けのない一方的
な情報で高瀬露側の言い分は何一つ取り入れず、また何の検証もさ
れていないものであると知り、私は憤りを覚えました。

 今でも憤りを抱いています。それが過ぎて気分が悪くなります。
恐怖すら覚えます。そして、悲しいです。

 私と同じように、いやそれ以上に宮沢賢治という人に惹かれ彼の
童話や詩を好きなはずの研究者や愛好家たちが、一方的な情報で決
めつけて一人の女性に「悪女」のレッテルを貼り、そしてその悪評
をきちんと調査もせず検証もせず、それをさらに広めてゆき長年に
わたりその女性を傷付け続けてきたことが。そのようなことに無感
覚でいて、知らぬ顔を続けていることが。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1927年-3〕----------------------------------------------
31歳(昭和二年)
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7月
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1日、「一〇七九 僚友」

7日、「一〇八〇 〔さわやかに刈られる蘆や〕」

10日、「一〇八一 〔沼のしづかな日照り雨のなかで〕」「一〇
八二 〔あすこの田はねえ〕」

14日、「一〇八三 〔南からまた西南から〕」

18日、盛岡測候所に調査に出むく。

19日、盛岡測候所福井規矩三に礼状を出す(書簡231)。福井規矩
三の「測候所と宮沢君」によると、次のようである。

「昭和二年はまた非常な寒い気候が続いて、ひどい凶作であった。
そのときもあの君はやって來られていろいろと話しまた調べて帰ら
れた。

24日、「一〇八四 〔ひとはすでに二千年から〕」「一〇八五 
午はつかれて塚にねむれば〕」

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8月
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1日、本日付発行の詩雑誌「詩神」8月号の雑記として掲載された
石川善助の通信記事で、「最近読んだ詩」で「つよく打たれた」も
のの中に宮沢賢治の名前があげられている。

8日、「松田甚次郎日記」によれば松田甚次郎は前夜盛岡に到着。
一泊の後、賢治を訪問した。

 松田は山形県最上郡鳥越町に帰郷後、父から六反歩の田をもらい、
小作農として、村の青年有志を集めて鳥越倶楽部を作り「郷土文化
の確立、農村芸術の振興」を綱領の一つとした。秋の村祭りに劇の
上演を企画、田植後の水不足の辛苦を元に脚本を書いた。しかし満
足できず「かういふ時こそ宮沢先生を訪ねて教を受くべきだ」とや
ってきたのである。

「先生は喜んで迎えて下さって、色々とおさとしを受け、その題も
「水涸れ」と命名して頂き、最高潮の処には篝火を加えて下さった。
この時こそ、私と先生の最後の別離の一日であったのだ。」

 この劇は9月10日、鳥越神社北側のスロープを舞台に上演され
た。

15日、「七三〇ノ二 増水」

16日、「一〇八六 ダリヤ品評会席上」

中旬(推定)「一〇二〇 野の師父」

20日、「一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く」
「一〇八八 〔もうはたらくな〕」「一〇八八 祈り」
「一〇八九 二時がこんなに暗いのは」
「一〇九〇 〔何をやっても間に合はない〕」

「文語詩篇」ノートに「八月、藤原ノ家ニ押シカケ来ル」のメモ。
花嫁支度に実家に帰っていた小野キコが花巻へ来たか。

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9月
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 この頃、向小路に住む女性、高瀬露が頻繁に賢治の許を訪問する。

 高瀬露(1901〜1970)は当時湯口村鍋倉の宝閑小学校訓導。1924、
25年ころ、農会主催の講習会がたびたびあり、農学校職員が同小学
校で農民を指導したので、賢治と顔見知りであった上、花巻高女音
楽室で土曜午後にしばしば行われていた音楽愛好者の集いに出席し
ていた。

 賢治が独居自炊をはじめた下根子桜の近く、向小路に住んでいた
関係もあり、洗濯物や買物の世話を申し出たという。クリスチャン
で教育者であり、明るく率直な人柄だったので、羅須地人教会員に
女性がいなかったこともあり、劇のけいこなどには欠かせない人で
あった。

 高瀬は後、幸福な結婚(小笠原と改姓)をした。1960年の退職ま
で長らく教育者としての生涯を送った。

1日、本日付発行の「銅鑼」12号に「イーハトブの氷霧」を発表。

16日、「一〇九二 藤根禁酒会へ贈る」

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3月、金融恐慌はじまる
5月、リンドバーグ、大西洋横断飛行、山東出兵
6月、ジュネーヴ軍縮会議
7月、願教時住職島地大等死去
8月、中国共産党南昌武装蜂起
12月、花巻−釜石間鉄道建設閣議決定

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高村光太郎「ロダン」
佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」連載開始
岩波文庫刊行開始
芥川龍之介自殺
徳富蘆花没
八木重吉没
「キンダーブック」創刊
ブルースト「失われた時を求めて」

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政次郎 53歳 12月、町育英会理事を退任
イチ 50歳 
シゲ 26歳 8月、長女フミ出生
清六 23歳
クニ 20歳

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一〇八二
     〔あすこの田はねえ〕
                    一九二七、七、一〇

あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水みづを切ってね
三番除草はしないんだ
  ……一しんに畔を走って来て
    青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
  ……せわしくうなづき汗拭くその子
    冬講習に来たときは
    一年はたらいたあととは云へ
    まだかがやかな苹果のわらひをもってゐた
    いまはもう日と汗に焼け
    幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
  ……汗だけでない
    泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
  ……雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ……

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一〇二〇
     野の師父

倒れた稲や萱穂の間
白びかりする水をわたって
この雷と雲とのなかに
師父よあなたを訪ねて来れば
あなたは縁に正しく座して
空と原とのけはひをきいてゐられます
日日に日の出と日の入に
小山のやうに草を刈り
冬も手織の麻を着て
七十年が過ぎ去れば
あなたのせなは松より円く
あなたの指はかじかまり
あなたの額は雨や日や
あらゆる辛苦の図式を刻み
あなたの瞳は洞よりうつろ
この野とそらのあらゆる相は
あなたのなかに複本をもち
それらの変化の方向や
その作物への影響は
たとへば風のことばのやうに
あなたののどにつぶやかれます
しかもあなたのおももちの
今日は何たる明るさでせう
豊かな稔りを願へるままに
二千の施肥の設計を終へ
その稲いまやみな穂を抽いて
花をも開くこの日ごろ
四日つゞいた烈しい雨と
今朝からのこの雷雨のために
あちこち倒れもしましたが
なほもし明日或は明后
日をさへ見ればみな起きあがり
恐らく所期の結果も得ます
さうでなければ村々は
今年も暗い冬を再び迎へるのです
この雷と雨との音に
物を云ふことの甲斐なさに
わたくしは黙して立つばかり
松や楊の林には
幾すじ雲の尾がなびき
幾層のつゝみの水は
灰いろをしてあふれてゐます
しかもあなたのおももちの
その不安ない明るさは
一昨年の夏ひでりのそらを
見上げたあなたのけはひもなく
わたしはいま自信に満ちて
ふたゝび村をめぐらうとしています
わたくしが去らうとして
一瞬あなたの額の上に
不定な雲がうかび出て
ふたゝび明るく晴れるのは
それが何かを推せんとして
恐らく百の種類を数へ
思ひを尽くしてつひに知り得ぬものではありますが
師父よもしもやそのことが
口耳の学をわづかに修め
鳥のごとくに軽佻な
わたくしに関することでありますならば
師父よあなたの目力をつくし
あなたの聴力のかぎりをもって
わたくしのまなこを正視し
わたくしの呼吸をお聞き下さい
古い白麻の洋服を着て
やぶけた絹張の洋傘はもちながら
尚わたくしは
諸仏菩薩の護念によって
あなたが朝ごと誦せられる
かの法華経の寿量の品を
命をもって守らうとするものであります
それでは師父よ
何たる天鼓の轟きでせう
何たる光の浄化でせう
わたくしは黙して
あなたに別の礼をばします

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一〇二一
     和風は河谷いっぱいに吹く
                    一九二七、八、二〇、

たうたう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる
雨のあひだまってゐた穎は
いま小さな白い花をひらめかし
しづかな飴いろの日だまりの上を
赤いとんぼもすうすう飛ぶ
あゝ
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹いて
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分けつし
豊かな秋を示してゐたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
茎稈弱く徒長して
穂も出し花もつけながら、
ついに昨日のはげしい雨に
次から次と倒れてしまひ
うへには雨のしぶきのなかに
とむらふやうなつめたい霧が
倒れた稲を被ってゐた
あゝ自然はあんまり意外で
そしてあんまり正直だ
百に一つもなからうと思った
あんな恐ろしい開花期の雨は
もうまっかうからやって来て
力を入れたほどのものを
みんなばたばた倒してしまった
その代わりには
十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
わづかな苗のつくり方のちがひや
燐酸のやり方のために
今日はそろってみな起きてゐる
森で埋めた地平線から
青くかゞやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗の葉をかゞやかし
いまさわやかな蒸散と
透明な汁液サップの移転
あゝわれわれは曠野のなかに
芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のやうに
べんぶしてもべんぶしても足りない

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一〇九〇
     〔何をやっても間に合はない〕
                    一九二七、八、二〇、

何をやっても間に合はない
そのありふれた仲間のひとり
雑誌を読んで兎を飼って
巣箱もみんな自分でこさえ
犬小屋ののきに二十ちかくもならべれば
その眼がみんなうるんで赤く
こっちの手からさゝげも喰へば
めじろみたいに啼きもする
さうしてそれも間に合はない
何をやっても間に合はない
その(約五字空白)仲間のひとり
カタログを見てしるしをつけて
グラヂオラスを郵便でとり
めうがばたけと椿のまへに
名札をつけて植え込めば
大きな花がぎらぎら咲いて
年寄りたちは勿体ながり
通りかゝりのみんなもほめる
さうしてそれも間に合はない
何をやっても間に合はない
その(約五字空白)仲間のひとり
マッシュルームの胞子を買って
納屋をすっかり片付けて
小麦の藁で堆肥もつくり
寒暖計もぶらさげて
毎日水をそゝいでゐれば
まもなく白いシャムピニオンは
次から次と顔を出す
さうしてそれも間に合はない
何をやっても間に合はない
その(約五字空白)仲間のひとり
べっかうゴムの長靴もはき
オリーヴいろの縮みのシャツも買って着る
頬もあかるく髪もちゞれてうつくしく
そのかはりには
何をやっても間に合はない
何をやっても間に合はない
その(約五字空白)仲間のひとり
その(約五字空白)仲間のひとり

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一〇九二
     藤根禁酒会へ贈る
                    一九二七、九、一六、

わたくしは今日隣村の岩崎へ
杉山式の稲作法の秋の結果を見に行くために
ここを通ったものですが
今日の小さなこの旅が
何といふ明るさをわたくしに与えたことであらう
雲が蛇籠のかたちになってけはしくひかって
いまにも降り出しさうな朝のけはひではありましたが
平和街道のはんの並木は
みんなきれいな青いつたで飾られ
ぼんやり白い霧の中から立ってゐた
しかも鉄道が通ったためか
みちは両側草と露とで埋められ
残った分は野みちのやうにもう美しくうねってゐる
 
この会がどこからどういふ動機でうまれ
それらのびらが誰から書かれ
誰にあちこち張られたか
それはわたくしにはわかりませんが
もうわれわれはわれらの世界の
一つのひゞを食ひとめたのだ
この三年にわたる烈しい旱害で
われわれのつゝみはみんな巨きな烈罅がはいった
われわれは冬に粘土でそれを埋めた
時にはほとんどからだを没するくらゐまで
くろねを掘ってそこに粘土を叩いていつめた
それらの田には水もたまって田植も早く
俄かに変ったこの影多く雨多い七月以后にも
稲は稲熱に冒されなかった
諸君よ古くさい比喩をしたのをしばらく許せ
酒は一つのひびである
どんなに新らしい技術や政策が
豊かな雨や灌漑水を持ち来さうと
ひびある田にはつめたい水を
毎日せはしくかけねばならぬ
諸君は東の軽便鉄道沿線や
西の電車の通った地方では
これらの運輸の便宜によって
殆んど無価値の林や森が
俄かに多くの収入を挙げたので
そこには南からまで多くの酒がはいって
いまでは却って前より乏しく
多くの借金ができてることを知るだらう
しかも諸君よもう新らしい時代は
酒を呑まなければ人中でものを云へないやうな
そんな卑怯な人間などは
もう一ぴきも用はない
酒を呑まなければ相談がまとまらないやうな
そんな愚劣な相談ならば
もうはじめからしないがいゝ
われわれは生きてぴんぴんした魂と魂
そのかゞやいた眼と眼を見合せ
たがひに争ひまた笑ふのだ
 
じつにいまわれわれの前には
新らしい世界がひらけてゐる
一つができれはそれが土台で次ができる

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[231] 1927年7月19日 福井規矩三あて 封書

(表)盛岡測侯所 福井規矩三殿
(裏)昭和二年七月十九日 岩手県稗貫郡下根子 羅須地人協会

昨日はご多用のところいろいろとご教示を賜はりまして寔に辱けな
く存じます。お蔭様で本日は諸方に手配を定め茲両三日中には充分
安全な処理を了へるかと存ぜられます。先づは虔んでお礼申しあげ
ます。

  昭和二年七月十九日

福井規矩三先生

宮沢賢治

--〔文語詩稿一百編(98)〕----------------------------------
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(本文)
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     病技師

あへぎてくれば丘のひら、   地平をのぞむ天気輪、
白き手巾を草にして、     をとめらみたりまどゐしき。

大寺のみちをこととへど、   いらへず肩をすくむるは、
はやくも死相われにありやと、 粛涼をちの雲を見ぬ。

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(下書稿2推敲後)
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     病技師

あへぎてくれば丘のひら
地平をのぞむ天気輪
白き手巾を草にして
をとめらみたりまどゐしき

大寺のみちをこととへど
いらへず肩をすくむるは
はやくも死相われにありやと
粛涼遠の雲を見ぬ

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(下書稿2推敲前)
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     病技師

あへぎて丘をおり
地平をのぞむ五輪塔
白き手巾を草にして
をとめらみたりまどゐしき

よき児らかなとこととへば
ひとしく畏れて泣きいでしかば
はやくも死相われにありやと
さびしく遠の雲を見ぬ

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(下書稿1)(GERIEF印手帳30頁)
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よき児らかなとこととへば
いらへず恐れ泣きいでぬ
はやくも死相われにありやと
さびしく遠き雲を見ぬ

--〔後記〕--------------------------------------------------

 台風が近づいていて、21日ころにやってきそだとか。ちょうど
花巻へ行く飛行機に乗る日なので、ちゃんと飛んでくれるか心配で
す。私は飛行機のキャンセルによく会います。今まで花巻、関空、
上海で一度ずつ、大連で二度と計五度のキャンセルにあいました。
六度目になりませんように。

 もし無事に飛べれば、21日の夜は温泉です。

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