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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第916号--2016.09.10------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(52)1927年-2」「〔雪げの水に涵されし〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(52)1927年-2」
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 1927年の2回目、4月から6月を掲載しています。羅須地人教会
の活動も継続中で、詩もたくさん書いています。

 いわゆる「春と修羅 第三集」に入る詩ですが、このあたりも私
のサイトで掲載しているのはまだまだ不十分なので、文語詩が終わ
ったら引続き校異なども掲載していくつもりです。

 さて、この時期の話題は「南斜花壇」です。花巻温泉は広い敷地
にいくつもの温泉旅館が建っていますが、実は全部同じ経営だとい
うことは、ご存じのとおりです。

 もともと、温泉遊園地として新しく作られたものです。花巻は今、
空港と新幹線の駅と、高速道路のインターチェンジが市内にあると
いう、非常に便利な場所になっていますが、大正年間から、こうい
う観光資源の開発も行われてきました。

 近くに台温泉という、古くからの温泉があり、花巻温泉のお湯も
実は台温泉から引いているそうです。

 その敷地の中に、今はバラ園になっている場所に作られたのが南
斜花壇です。

 賢治がこの年の春に、依頼を受けて設計・施行したことが記録に
残っています。

 南斜花壇は花巻温泉ではなくなりましたが、現在は宮沢賢治記念
館の下の斜面に,作られています。

 賢治は花には詳しくて、花壇造りの腕前も中々のものでした。造
園業でもやれそうなものですが、そうはならないのが賢治らしいと
ころです。

 また、このころは農業をして暮らしていましたが、付近の農民に
はなかなか受け入れられずにいたようです。

われわれ学校を出て来たもの
われわれ町に育ったもの
われわれ月給をとったことのあるもの
それ全体への疑ひや
漠然とした反感ならば
容易にこれは抜き得ない

 ちょうどこのころに、こういう詩を残しています。この感性がと
ても現代的で、賢治の作品が今も受け入れられる一つの要素になっ
ていると思います。

 いまではほとんどの人がこちら側になってしまったので、問題に
もならなくなりましたが、私の兄が、「一族で初めて大学に入った」
頃には、まだまだ現実のことだったのでしょう。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

南斜花壇 富手 一
http://www.swan2001.jp/oa007.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 賢治先生御苦心の設計が出来ていよいよ南斜花壇が造られること
になり、お忙しい中を花巻温泉に来られました。まだ農学校の先生
でしたからきっと土曜か日曜だったでしょう。

 農学校の実習服を着て大きい麦から帽子をかぶって、丁度農学校
の実習の時の様に自ら鍬をとって順序よく仕事を進められるのでし
た。

 松の林をバックにした南向のゆるやかな斜面約一反歩位きれいに
整地が出来ました。四月の下旬でした。さんさんと降り注ぐ春の陽
を受けた黒土からはかげろうがゆれて居ました。先生は「一服する
ベナス」と土に腰を下して南の地平線をジッと見つめて居られまし
た。

 小高いこの斜面から見下すと、広々とした北上平野のかすむ向う
に地平線がきれいに望まれるのです。私も先生と並んで腰かけて一
休みしましたが、先生に「きれいだナス」と言われて始めてこの地
平線の美しさに恍こつとしたのでした。美しいものは身近にたくさ
んあることをしみじみ知ったのでした。

 やがて腰を上げると「ここをこうやって」と次々に指示されるま
まに私は動き、先生がテキパキと進め我を忘れてかけ巡るのでした。

 蔓草の茎を形どった通路が無造作に見える先生の線の引き方にも
かかわらず、実に自然に、生きて居る形に出来る。実(み)の形の
円の花壇が次々に出来上る。芝生になる分にはローングラスの種子
が手早に蒔付けされる。たちまち模様が出来て、草も木もない黒い
土一色だが先生の画いた花模様が素晴らしくきれいで、若かった私
には本当に夢の様で、今でも忘れぬ思い出です。

 当時温泉係長をして居られた高橋儀逸さんがすっかり喜んで何か
御馳走したいと言われたのですが、先生はいつもの通りほほ笑み乍
ら固辞されるのでした。

 其後先生の設計によって花の苗を作ったのですが、いつも念のた
め先生のお家に予備の苗がチャンと育ってあったのです。私が御相
談に上ると早速いい苗を下さったものです。

 五月の末でした。たくさん苗を準備し、先生も来られて、それぞ
れの形の所に花の苗を植えることになりました。丁度小雨の降る日
でした。例のツバ広の帽子をかぶった先生が植付を始めるととても
早い早い、私はただ感心させられたものです。

 勿論先生の頭の中にはチャンと設計図が書かれていて、それぞれ
の花がきれいに咲いていたに違いありません。初夏の山々が美しく、
先生と一緒に見て居るとひとしお美しさが感ぜられるのでした。

 またたく間に移植が終って、先生は雨具のマントを着、帽子をか
ぶったまま駅の方へ飄々と歩いて行かれるのです。私は事務所へ報
告に行きましたが、少し経って宮沢先生を巡査がつれて行ったと知
らせた人があり、あわてて駐在所へかけつけました。

 あの大きい帽子と風の又三郎を思い出させるすそ長いマントが珍
らしく、巡査が先生とも知らないで引き立てて行ったのも無理もな
いかも知れませんが、私がかけつけた頃、先生と判って具合悪くな
った警官が一人でブリブリして居たのでした。

 私は笑うにも笑えない思いでしたし先生はいつもの通りニコやか
にほほ笑んで居られたのです。

 其の後それぞれの形に、それはそれは見事に花は咲き蔓草はくっ
きり画き出されて、みんなを喜ばせました。芝生は春も夏も秋もい
い憩い場所でした。病床につかれる様になってからも何度色々と御
聞きしに上ったことやら面倒なことがあれば直ぐ御目にかかって教
えて頂いたものですが、いつも快く御会い下さってつい一回も嫌な
顔をされたことはありませんでした。

 先生がいつも笑顔で会って下さるので御亡くなりになるなぞ考え
られませんでしたし、先生の御葬列に自分の作った生花の花環を捧
げて参列しても、尚先生を死の旅にお送りする様な気持にはなれま
せんでした。

 蔓ものの大きい籠に赤青の電灯をともすことなどの設計の一部は
出来ませんでしたが、長い間温泉を訪れる人々に親しまれましたし、
今でもあの場所は先生の設計に一番力を籠められた所だけに私には
あそこに行けば先生にお会い出来る様な気がするのです。

 身近かな所から美しいものを見出して、むしょうに嬉しくなった
り、判らない事があって困った時、先生を思い出してソッと教えて
頂いたりする時、「やっぱり先生は生きて居られる」と思われてな
りません。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1927年-2〕----------------------------------------------
31歳(昭和二年)
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4月
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1日、「一〇二二 〔一昨年四月来たときは〕」。真っ白な輓馬が
描かれていることから菊地信一の耕地を訪ねたときの作であること
がわかる。菊地はこの白馬に乗って村をかけまわった。

 本日付発行「太平洋詩人」2巻4号で白鳥省吾が「草野心平君に」
を発表。前号の草野心平「二月六日」が報じた「宮沢賢治に逢いた
いと言ってはねつけられた」という伝聞を否定。

2日、「一〇二三 〔南から また東から〕」「一〇二四 ローマ
ンス」

4日、「一〇二五 〔燕麦の種子をこぼせば〕」

5日、「一〇二七 雑草」「一〇二八 酒買船」「一〇三〇 春の
雲に関するあいまいなる議論」

7日、「一〇三一 〔いま撥ねかへるつちくれの絵〕」「一〇三二
 〔あの大もののヨークシャ豚が(」

8日、「一〇三三 悪意」「一〇三四 〔ちゞれてすがすがしい雲
の朝〕」

9日、花巻温泉遊園地事務所の富手一に南斜花壇の詳細な設計書、
所要種苗表を作製し、送る(書簡228)。さらに次便で既植部の処
理、土地改良、立地と植樹についての注意をする(書簡229)。

10日、「羅須地人教会農芸化学協習」として「昭和二年度第一小
集」を開催。午前9時から午後2時まで「農業ニ必須ナ化学ノ基礎
的部分」を学習したとみられる。

11日、「一〇三五 〔えい木偶のぼう〕」「一〇三六 燕麦播き」

13日、「一〇三七 宅地」「一〇三八 疑ふ牛」

14日、「岩手日報」夕刊二面に「花巻温泉に/飾らん/姫神山か
ら/移植する」の見出しで賢治設計の花壇の記事が出る。

18日、「一〇三九 〔うすく濁った浅葱の水が〕」

19日、「一〇四〇 〔日に暈ができ〕」「一〇四一 清潔法施行」

20日、「牛」

21日、「一〇四二 〔同心町の夜あけがた〕」「一〇四三 市場
帰り」

22日、「一〇四四 〔青ぞらは〕」

24日、「一〇四五 〔桃いろの〕」

25日、「一〇四六 悍馬」「一〇四七 〔川が南の風に逆って流
れてゐるので〕」

26日、「一〇四八 〔レアカーを引きナイフをもって〕」「一〇
四九 基督再臨」

28日、「一〇五〇 〔何もかもみんなしくじったのは〕」「一〇
五一 〔あっちもこっちもこぶしのはなざかり〕」

30日、藤原嘉藤治に町内の菊地清松を紹介する「紹介状」を書く。
(書簡230)これは十字屋版全集に「4月31日」として発表され
たが、現在所在不明。4月に31日はないので一応本日にしておく。

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5月
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3日、「一〇五三 〔おい けとばすな〕」「一〇五四 〔何とい
はれても〕」「一〇五五 〔こぶしの咲き〕」

7日、「一〇五六 〔秘事念仏の大元締が〕」「一〇五七 〔古び
た水いろの薄明穹のなかに〕」

9日、「一〇五八 電車」「一〇五九 開墾地観察」「一〇六三 
〔これらは素樸なアイヌ風の木柵であります〕」

12日、「一〇六四 〔失せたと思ったアンテリナムが〕」「一〇
六五 〔さっきは陽が〕」「一〇六六 〔今日こそわたくしは〕」

13日、「一〇六七 鬼語四」

14日、「一〇六六 〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕」

15日、「一〇六九 〔すがれのち萱を〕」

19日、「一〇七〇 科学に関する流言」

末頃、花巻温泉南斜花壇に花を植える。折から小雨が降っていたが、
つば広の麦わら帽子をかぶり、手際よく、素早く植えつけて温泉事
務所勤務の富手一を感心させた。まもなく終り、雨具を着て飄々と
駅を向かったが駅前の駐在所でつかまった。挙動不審の人物、昨夜
旅館へ入った泥棒と疑われたのである。富手がかけつけたときは賢
治はニコニコ笑い、巡査はプリプリしていた。

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6月
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2日、「一〇七一 〔わたくしどもは〕」「一〇七二 県技師の雲
に対するステートメント」「一〇七三 鉱山駅」「装景家と助手と
の対話」

12日、「一〇七四 〔青ぞらのはてのはて〕」

13日、「一〇七五 囈語」「一〇七六 囈語」

23日、この日の「岩手日報」四面の高涯幻二「愚かしき厭世随論」
で人物評「宮沢さんのこと」が取り上げられる。

25日、盛岡の岩手県公会堂落成を期して岩手音楽協会主催で開催
された音楽大演奏会に際して、その中心となった太田クアルテット
に祝電を打つ。

30日、「一〇七七 金策」

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3月、金融恐慌はじまる
5月、リンドバーグ、大西洋横断飛行、山東出兵
6月、ジュネーヴ軍縮会議
7月、願教時住職島地大等死去
8月、中国共産党南昌武装蜂起
12月、花巻−釜石間鉄道建設閣議決定

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高村光太郎「ロダン」
佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」連載開始
岩波文庫刊行開始
芥川龍之介自殺
徳富蘆花没
八木重吉没
「キンダーブック」創刊
ブルースト「失われた時を求めて」

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政次郎 53歳 12月、町育英会理事を退任
イチ 50歳 
シゲ 26歳 8月、長女フミ出生
清六 23歳
クニ 20歳

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     午
                     一九二七、四、二〇、

ひるになったので
枯れたよもぎの茎のなかに
長いすねを抱くやうに座って
一ぷくけむりを吹きながら
こっちの方を見てゐるやうす
七十にもなって丈六尺に近く
うづまいてまっ白な髪や鬚は
まづはむかしの大木彫が
日向へ迷って出て来たやう
日が高くなってから
巨きなくるみの被さった
同心町の石を載せた屋根の下から
ひとりのっそり起き出して
鍬をかついであちこち見ながら
この川べりをやって来た
おまへの畑は甘藍などを植えるより
人参やごぼうがずっといゝ
おれがいゝ種子を下すから
一しょに組んで作らないかと
さう大声で云ひながら
俄かに何を考へたのか
いままで大きく張った眼が
俄かに遠くへ萎んでしまひ
奥で小さな飴色の火が
かなりしばらくともってゐた
それから深く刻まれた
顔いっぱいの大きな皺が
氷河のやうに降りてきた
  それこそは
  時代に叩きつけられた
  武士階級の辛苦の記録、
  しかも殷鑑遠からず
  たゞもうかはるがはるのはなし
折角の有利な企業への加入申込がないので
老いた発起人はさびしさうに、
きせるはわづかにけむりをあげて
やっぱりこっちをながめてゐる

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一〇四二
     〔同心町の夜あけがた〕
                     一九二七、四、二一、

同心町の夜あけがた
一列の淡い電燈
春めいた浅葱いろしたもやのなかから
ぼんやりけぶる東のそらの
海泡石のこっちの方を
馬をひいてわたくしにならび
町をさしてあるきながら
程吉はまた横眼でみる
わたくしのレアカーのなかの
青い雪菜が原因ならば
それは一種の嫉視であるが
乾いて軽く明日は消える
切りとってきた六本の
ヒアシンスの穂が原因ならば
それもなかばは嫉視であって
わたくしはそれを作らなければそれで済む
どんな奇怪な考が
わたくしにあるかをはかりかねて
さういふふうに見るならば
それは懼れて見るといふ
わたくしはもっと明らかに物を云ひ
あたり前にしばらく行動すれば
間もなくそれは消えるであらう
われわれ学校を出て来たもの
われわれ町に育ったもの
われわれ月給をとったことのあるもの
それ全体への疑ひや
漠然とした反感ならば
容易にこれは抜き得ない
  向ふの坂の下り口で
  犬が三疋じゃれてゐる
  子供が一人ぽろっと出る
  あすこまで行けば
  あのこどもが
  わたくしのヒアシンスの花を
  呉れ呉れといって叫ぶのは
  いつもの朝の恒例である
見給へ新らしい伯林青を
じぶんでこてこて塗りあげて
置きすてられたその屋台店の主人は
あの胡桃の木の枝をひろげる
裏の小さな石屋根の下で
これからねむるのではないか

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一〇七二
     県技師の雲に対するステートメント
                     一九二七、六、一、

神話乃至は擬人的なる説述は
小官のはなはだ愧づるところではあるが
仮にしばらく上古歌人の立場に於て
黒く淫らな雨雲ニムブスに云ふ
小官はこの峠の上のうすびかりする浩気から
またここを通る野ばらのかほりあるつめたい風から
また山谷の凄まじくも青い刻鏤から
心塵身劬
ひとしくともに濯はうと
今日の出張日程に
辛くも得たる数頃を
しかく貴重に立つのであるが
そもそも黒い雨雲ニムブス
おまへは却って小官に
異常な不安を持ち来し
謂はゞ殆んど古事記に言へる
そら踏む感をなさしめる
その故けだしいかんとならば
過ぎ来し五月二旬の間
淫らなおまへら雨雲ニムブス族は
西の河谷を覆って去らず
日照ために常位を欠けば
稲苗すべて徒長を来し
あるひは赤い病斑を得た
おほよそかゝる事態に於て
県下今期の稲作は
憂慮なくして観るを得ず
そらを仰いで烏乎せしことや
日日にはなはだ数度であった
然るに昨夜
かの練達の測候長は
断じて晴れの豫報を通じ
今朝そら青く気は澄んで
車窓シガーのけむりをながし
峡の二十里 平野の十里
旅程明るく午を越すいまを
何たる譎詐何たる不信
この山頂の眼路遥かなる展望は
怒り身を噛むごとくである
第一おまへがここより東
鶯いろに装ほひて
連亙遠き地塊を覆ひ
はては渺茫視界のきはみ
大洋をさへ犯すこと
第二にはかの層巻雲や
青い虚空に逆って
おまへの北へ馳けること
第三 暗い気層の海鼠
五葉の山の上部に於て
あらゆる淫卑なひかりとかたち
その変幻と出没を
おまへがやゝもはゞからぬ
これらを綜合して見るに
あやしくやはらかな
雨雲ニムブス
たとへ数箇のなまめく日射しを許すとも
非礼の香気を風に伝へて送るとも
その灰黒の翼と触手
大バリトンの流体もって
全天抛げ来すおまへの意図は
はや暸として被ひ得ぬ
しかればじつに小官は
公私あらゆる立場より
満腔不満の一瞥を
最后にしばしおまへに与へ
すみやかにすみやかに
この山頂を去らうとする

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[228] 1927年4月9日 富手一あて 封書

(表)花巻温泉遊園地事務所内 富手一様
(裏)昭和二年四月九日 岩手県稗貫郡下根子 羅須地人協会
 宮沢賢治(封印)〆

南斜花壇設計

一、作業上ノ便宜カラ今度ノ設計ニ属スル部分ハ標記ノ通リ南斜花
壇トデモゴ命名ヲ願ヒマス。

二、設計ハゴ意向ニ従ヒ冬季スキー場タルコトヲ害スルコトナク且
ツソノ南方ヘノ緩傾斜ヲ利用シテ芝生ト廻道ト花壇トヲ兼ネテ造リ
自由二休息シタリ多少ハ摘草モシタリ花ヲ観テ廻ッタリ項部デ碧イ
地平線ヲ展望シタリマタ下方停車場前ノ道路ヤ諸花壇カラハ纏ッタ
一ツノ古イ更紗模様二見エルヤウ三人デ相談イタシマシタ。

三、完成ハ明后年春ヲ期シマスガ本年ハマヅソノ賑ヤカナ輪廓ヲ現
ハシタイト存ジマス。

四、就テ芝生ハ差当リローングラスヲ播種シテ雑草ノ発生ヲ防ギ且
ツハ今明年ノ仮ナ敷物ヲ造リ順次二鈴蘭トオキナグサトヲ繁殖サセ
テ最后ニハ前ノグラスヲモ併セテ純粋ナ北上山地ノ景観ヲ成シタイ
ト存ジマス。今明年ハジプソフヰラニヨル桃色ノ隈ヤ六月ハシャス
ターニョル雪白ナ別種ノ模様ヲモ織リ込ミ且ツ処々二緑及紫色ノケ
ールヲ配置シテソノ単調ヲ救ヒタイト存ジマス。

五、廻道ハ起部巾一間末部巾四尺トシテ蔓草ノ茎ノ形姿ヲ象リ諸々
ニ三果梗アル短枝ヲ出スコト現場工作ノ通リデアリマス。

六、花壇ハソノ各果梗二当ル先端二起部デ径一間末部デ径三尺五寸
マデ一乃至三個ヲ蔓草ノ実二象ッテ造ルコト之亦現状工作ノ通リデ
ゴザイマス。ソノ果梗ダケノモノハ実熟シテ既二脱シタルヲ示シマ
ス。

六、花種ハソノ花期ノ長イコトト手数少ク強健ナルコトヲ眼目トシ
テ選ビタイト存ジマス。就テハ当今アンテリナムナナムヲ最適トス
ルト存ゼラレマス。但シ本年丈ハペチュニア等ノ一年草ニヨルヨリ
仕方アリマセン。色彩ハ起部デ紅紫、漸次登ルニ従ッテ暗紅、紅、
橙、黄、淡緑ヲ主色トシ之二補色的並二隣移的色調ヲ混ジテ適宜ナ
深サト明暗トヲ与ヘタイト存ジマス。

七、花壇頂部ノ薮ニナッテヰルトコロニハカタクリノ野生ガタクサ
ンニアリマス。コレ亦本県山地ノ通観デァリマスカラ充分保護蕃殖
シタイト存ジマス。イヌガヤ(榧)モ亦スキー二邪魔ニナラヌ所デ殖
ヤシタイト存ジマス。

八、頂部中央ニアケビ、草藤葛等デ囲ンダ一ツノ巨キナ奇怪ナ形状
ノ龕ヲ作リ中二強カナ電燈ヲ点ジテ夜ノ花壇ヲ主宰サセタイト思ヒ
マス。且ツハ他ノ六箇ノ電燈ハ交互二赤及青ノ球ヲ用ヒテソノ交照
部デハ夜ノ花群ヲ一種此ノ世ノモノナラヌ色彩二照明シテ見タイト
存ジマス。

九、周縁ノ萱生地ハソノママニシテ置キタダ五六株ノパムバスグラ
スヲ加ヘテソノ景趣ヲ増シ、或ハ数十ノハンノキノ苗ヲモ置イテ岩
手県草地ノ風貌ヲ型示シタイトモ存ジマス。

十、以上一要スル種苗ヲ別紙ニ表記イタシマシタ。費用ガ或ハ多キ
ニ過グルカトモ存ジマスガ特ニ御決裁ヲ仰グ次第デゴザイマス。

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[229](1927年4月)冨手一あて 封書

既植部処理

一、プラタヌス七葉樹さくらポプラかしはノ多クハ放置スルモ充分
繁茂スベシ。

二、かへで類は最鉱質養料を要するに対し之を心土に植栽したるも
の多きを以て活着甚困難なるが如きもまづ之が蘖を去りて一本立と
し第三項手入を行はゞ恢復するものもあるべし。

三、一般的手入としては
 樹木側根の先端より一.五尺幅一.五尺深の環を堀穿し之に一.
二尺深まで石灰砂を以て搗きたる米糠二〇〇乃至五〇〇匁を混和し
たる表土を填充し(踏み付くべからず)残部0.三尺深は心土にて
埋め潤葉樹及唐檜類圏内全部坪二〇〇匁の割合にて石灰岩抹を施す

四、いてふ及さくらの枝は一方のみ切り縮むべからず。

五、必要に応じて夕刻又は早朝一樹に付き五升乃至二斗を灌水す。

土地改良法

多くは壌質粘土にして腐植質を欠き著しく酸性なり。時に礫質なる
箇所あり、均平の際露出したる心土なるを以て養料に乏しく屡々排
水不良なり。濶葉樹及唐檜類、蓼科十字科を除く多くの花卉類等を
植栽せんには先づ一歩当三〇〇匁の細粒石灰岩抹を加へ酸性を矯正
せざるべからず。(三年后には更に同量を与ふ)次で之を一.三尺の
深さに耕起し坪当り厩肥二貫を加へ混和し置くときは何種の植物た
るを問はず速に活着繁茂すべし。厩肥は排水佳良なる箇所にては豚
肥を嫌はず。亦草地は○.五尺耕にて充分ならん。混和後冬寒に曝
露する事切要なり。酸性矯正の際雑草の種類変るべきを以て此期除
草に注意すれば以后の繁植を未然に防ぎ得べし。

    石灰岩抹 花巻練瓦会杜、外二日立ヨリ来ルモノアリ

立地と適樹其他

一、かしは、はんのき、アメリカやまならし、しらかんば、は特に
土地改良をなさざるも随所成育すべく最適ならん。

かしはは殊に高燥地に群落せしむるに佳なり。月下の散策は碧
玉楼中に在るの想あり、冬の景観亦捨つべからず。赤楊は水路に沿
ひて密生すれぱ最美観を呈す。アリリカやまならしの巨葉のもの、
家屋東南方に栽うれば晨光時漣波の如くに燦く。

しらかんばは暗緑林前疎立すべく亦高地に群落を作るべし。

二、ドイツ唐檜かへで類いてふは表土残留の部分に充分施肥したる
后に非れば成育困難ならん。

ドイツ唐檜は冬風を避けて栽うべく、空処に散点せしむるか或
は淡緑林前正しき排列を欲す。

三、礫質の部分にはねむ最適なり。

八月熱帯的なる桃色の花咲く。

四、崖にはこぶし(ひきざくら)可ならん。

本郷土の代表的樹木なりと思考す。桜に併び咲く。芬香高雅比
類なし。

五、ぎんどろと落葉松の混植最美観を呈す。

六、バーゴラには一二藤の代りに葛を用ふるも可ならん。アメリカ
にては日本より輸入し一株二弗に至る。八月中旬紫花を垂る。芬芳
葡萄に類す。

七、梅林附近の低湿地には小亜細亜風のアイリスの群落をつくり、
萱場は可成赤松を去りて赤楊を散点したし。

--〔文語詩稿一百編(97)〕----------------------------------
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(本文)
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     〔雪げの水に涵されし〕

雪げの水に涵されし、  御料草地のどての上、
犬の皮着てたゞひとり、 菫外線をい行くもの。

ひかりとゞろく雪代の、 土手のきれ目をせな円み、
兎のごとく跳ねたるは、 かの耳しひの牧夫なるらん。

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(定稿推敲前)
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雪げの水に涵されし、  御料草地のどての上を、
犬の皮着てたゞひとり、 菫外線にたゞよへり。

ひかりとゞろく雪代の、 土手のきれ目をたゞひとり、
兎のごとく跳ねたるは、 かの耳しひの牧夫なるらん。

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(下書稿推敲後)
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雪げの水に涵されし
御料草地のどての上を
犬の皮着てたゞひとり
菫外線にたゞよへり

ひかりとゞろく雪代の
水さゞめきて流れたる
土手のきれ目をせな円み
兎のごとく跳ねたるは
かの耳しひの牧夫ならしを

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(下書稿推敲前)
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雪げの水にかこまれし
御料草地のどての上を
犬の皮着てたゞひとり
菫外線にたゞよへり

水さゞめきて流れたる
土手のきれ目をせな円み
兎のごとく跳ねたるは
かの耳しひの牧夫なるらん

--〔後記〕--------------------------------------------------

 このところ、東北北海道は災難続きです。西日本は平穏な夏でし
たが、ようやく涼しくなってきて、虫の声がうるさくなりました。

 まもなく宮沢賢治学会の定期大会です。私が加入したのが1993年、
初めて定期大会に参加したのは1998年のことでした。このメールマ
ガジンはその直後に始めました。2018年には1000号に到達する予定
で、1000号になったら止めると言ってきましたが、このごろは元気
なうちは続けてもよいかな、などと考えています。

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