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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第913号--2016.08.20------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(49)1926年-3」「賦役」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(49)1926年-3」
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 羅須地人教会時代の夏ですが、年譜的にはそれほど大きな「事件」
はありません。

 その中で、妹たちを連れて、八戸に旅行に行ったことが目立ちま
す。前年の冬休みにも三陸海岸を旅行していますが、今度は一人で
はありません。

 花巻に生まれ育った賢治にとって、青森から北海道に続く北の旅、
仙台から東京に至る南への旅、そして三陸海岸への東への旅が、想
像力のおもむく方向だったようです。

 羅須地人教会の方はなんとか活動を続けていたようですが、一家
を構えて耕作しているのですから、農村での付き合いも発生してき
ます。

 それに関連した作品が「七三五 饗宴」なんですが、文語詩「賦
役」もそのような事情を語ります。

 全くの偶然ですが、毎週一篇ずつ掲載している文語詩の今週分が
その「賦役」なのです。

 これらを読むと、村の寄り合い(で酒を呑むこと)が賢治にとっ
ては苦痛でしかなかったことがよく分かります。

 今からみれば「農民になる」という選択がそもそも間違っていた
のだ…、とか言いたくなりますね。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

鉄道ファン・宮沢賢治 大正期・岩手県の鉄道開業日と賢治の動向
信時哲郎
http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/tetsudo.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 『新校本全集』の年譜によると、大正十四年九月中旬の項に「入
営中の清六から音信がないので病気ではないかと心配し、学校を休
んで青森県鯵ヶ沢近郊の山田野演習廠舎へ向かう」とある。弟思い
の一面を示すエピソードだが、これも鉄道開業日と並べてみると、
なんとも微笑ましいエピソードであったことがわかる。大正十四年
五月十五日に五所川原線(現・五能線)の陸奥森田〜鯵ヶ沢間が開
業しているからである。もっとも、この区間は十一キロにしか過ぎ
ないので(前年に開業した区間と合わせても二二キロ)、鉄道に乗
りたいという思いより、弟への思いの方が先行していたとすべきな
のかもしれない。それにしても、わずか四ケ月前に開業したばかり
の他県の路線の状況にも目を配っていたという意味では、やはりこ
れも賢治の鉄道ファンぶりを物語るものだと言っていいだろう。

 同じく『新校本全集』の年譜の大正十四年の「秋」という項に、
「岩手県農業教育研究会が千厩で開催され、出席する」という記述
がある。教員時代のことであるから、賢治はこうした会にもたびた
び出席していたのだろうと思うが、年譜によれば、賢治が出席した
のは、この一回だけであるようだ。では、なぜよりによってこの時
だけ参加したのかと考えてみると、やはりその謎も鉄道開業日が解
決してくれる。大船渡線の一関〜摺沢までが、大正十四年七月二六
日に開業しているからだ。

 三たび『新校本全集』の年譜に着目する。大正十四年十二月の項
に「土曜日の深夜寄宿生に非常呼集をかけ、花巻温泉まで雪上行進
をさせる」とある。一年生の阿部嘉右工門によると、「夜が明ける
と花盛館へ入って温泉に入り丹前に着かえて朝食をとった。代金は
先生がはらってくれたらしくたいしたごちそうでした。帰りは電車
にのりました。」とのことだ。ここで言う「電車」というのは大正
十四年八月一日に開業した盛岡電気工業の花巻温泉線のことである。
八月に開業した路線に十二月に乗ったというのでは、賢治が鉄道フ
ァンであったということの証拠にはなりえないと思っていたが、よ
く調べてみると、八月に開業した当初は、変電所の完成が遅れたた
めに電車を走らせることができず、やむなく岩手軽鉄の蒸気機関車
を使用していたが、同年の十月に変電所が完成したため、電車が走
り出したとのこと。つまり賢治が寮生たちに非常呼集をかけたのは、
電化してから二ケ月めのことであったわけである。阿部の回想の最
後に「帰りは電車にのりました」とあるのは、彼にとって、花巻温
泉線の電車に乗ったのが初めてであったため、印象が強かったのだ
と思われる。おそらくは賢治先生の方も一緒で、真夜中に寮生を呼
び集めた本当の理由は、新しい電車に乗ってみたいということだっ
たのではないだろうか。

 大正十五年八月。賢治は妹シゲ、その長男である純蔵、末妹のク
二を連れて八戸に赴いている。一年半前に、一人で訪れた八戸に、
今度は身内とともに行くことにしたようだ。鉄道開業日を調べてみ
ると、八戸線が大正十四年十一月一日に陸中八木まで延びていた。
ただ、『新校本全集』の年譜の記述を読む限りでは、一行は陸中八
木までは行っていないようである。だとすれば、たまたま八戸線の
延伸直後に乗っただけなのかもしれないが、一人旅でないために、
賢治が思ったとおりの行動がとれなかった可能性もあるので、ひと
まずこれも賢治が鉄道ファンであった証拠の一つとして記しておく
ことにしたい。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1926年-3〕----------------------------------------------
30歳(大正十五年、昭和元年)
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7月
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1日、本日付発行の「貌」大正15年7月篇に「春」を発表。また、
森記および生出記の「編輯後記」で賢治に言及。

8日、「七一八 井戸」

14日、「七二六 風景」「七二七 〔アカシヤの木の洋燈から〕」
15日、「七二八 驟雨はそそぎ」

17日までは雨が少なく植えつけに困難をきたす。18日から降雨、
一カ月以上も降り止まない。

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8月
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1日、本日付発行の「銅鑼」7号に「心象スケッチ2篇」として、
「風と反感」「ジャズ 夏のはなしです」を発表。

 草野心平は本日付発行の「詩神」8月号に評論「三人」を発表、
賢治を天才として激賞する。

8日、「七三〇 〔おしまひは〕」

15日、「七三〇ノ二 増水」 7月18日から雨降りやまず、8
月5日豪雨あり各河川出水する。

20日、「七三一 〔黄いろな花もさき〕」

中旬、森佐一あて手紙(書簡219)「二十二日の旧盆から例の肥料
の講演や何かであちこちの村へ歩かなければなりません」

23日、お盆の中日にあたる。この日を羅須地人教会の創立日とし
たい旨を6月末頃菊地信一に語ったが、実際に何か催されたという
記録はない。

 この日突如快晴、温度も29度と昇り花巻はおびただしい人出。
連日、朝から浪花節、手おどり等十数組入りこんで、どこのとおり
も馬鹿ばやしと浪花節のうなり声がする、と「岩手日報」8月23
日三面は報じた。夜は松庵寺の流燈会、そのあと北上川で花火の打
ち上げがあり黒山の人。

27日、「七三三 休息」「七三四 〔青いけむりで唐黍を焼き〕」

 この月、妹シゲ、その長男純蔵、末妹クニをつれ、八戸方面へ小
旅行を試みる。くたびれた白い麻の服を着、幼子をあやしたり抱い
たり、車窓を過ぎる風景を説明しながら八戸、鮫駅着。陸奥館に入
る。服装からいい客と見られず、二回の少し粗末な一室に透され、
宿帳の職業欄に「教師」と書く。夜の食膳ではウニに卵をからませ
た「カゼ」という料理がおいしかった。

 翌日は種差海岸へ行く。大岩に烈しく波が打ち寄せ、浜の草原に
は立派な馬が駆けた。岩の上で釣りをする人があり、一時間ほどし
て見るといつの間にか潮が満ちて、岩は海中に没しそしになりなが
ら、それでもまだ釣っているのであった。夕方、陸奥館に帰るとお
茶代が利いたのか部屋が換えられていた。

 三日目、朝早く砂浜に出ると漁師のおばさんが、海でとったばか
りの大きなアワビを6、7個持っており、頼むと50銭でわけてく
れたので安いのに驚く。今日は舟を頼んでウミネコの繁殖地蕪島を
見にいくのである。屈強の男がふたり舟をこいで島へのりつけて上
る。一面雑草の中に数知れぬウミネコがおり、春やってきて産卵し
生れたヒナたちを加えて何千羽かわからない。男たちが雑草を根こ
そぎぬいて放りなげると、休んでいた鳥たちは一斉に舞い上がりミ
ュウミュウと空をまっ暗に覆って飛び回った。やがて騒ぎがおさま
り、再び舟にのって帰る。あす、また別のところに行こうかと相談
したが、妹たち、特にシゲは子供を抱え、おみやげのアワビの鮮度
も心配なので帰ることにする。宿の勘定は気前よくはずみ、宿では
玄関先でお盆にいろいろのお返しものをのせて差し出した。その中
には鯨のひげで作った小楊枝などもあった。賢治は丁寧に礼を言っ
て出る。

 伊藤克己の記述によると、「その頃(夏)いつも土曜日の晩近所
の子供達を集めて童話を聞かせていた」「外国語の原著からその儘
読んで」いたという。

 伊藤忠一の談話によると、「8月のお盆のころで、それは自作の
童話を子供らに聞かせ、子供らの批評を求めるおつもりでいたらし
い」という。

 ある土曜日子供たちが行き、いくら呼んでも出てこないというの
で、伊藤克己が戸を叩き、呼ぶと、しばらくしてかすかに「今夜は
帰って下さい。」ということであった。風邪をひき、高熱で苦しん
だことがあとでわかった。そういうこともあり、子供会は長くは続
かなかったという。

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9月
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1日、本日付発行の詩雑誌「詩神」9月号に掲載されたアンケート
の回答のうち白鳥省吾「生活の現実に立て」の中で『春と修羅』に
言及。

3日、「七三五 饗宴」

 部落の共同作業後の慰労宴を書いた詩である。「地主や賦役に出
ない人たちから/集めた酒を飲んでゐる」のであるが、賢治も一戸
を構えている以上、その義務があった。用があって作業に出られず、
賦役金を出したときは「なあに金を出す人ぁ困らない人だから」と
いわれ、よそ者として反感を持たれた。「賦役」という文語詩では、
春のはじめ、あれをやれといわれ、ひとり放牧の柵をつくろったさ
まが描かれている。

 斎藤宗次郎、東京移住のため花巻出発。

5日、「七三六 〔濃い雲が二きれ〕」

10日、「七三八 はるかな作業」

13日、「七三九 〔霧がひどくて手が凍えるな〕」

23日、「七四〇 秋」


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3月、労働農民党結成
8月、日本放送協会創立
10月、新交響楽団(後のNHK交響楽団)結成゛
  明治神宮外苑完成
  労働農民党盛岡支部創立
12月、大正天皇崩御。
  摂政裕仁親王が即位。元号は「昭和」となる

県下旱害、水害多し

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川端康成「伊豆の踊り子」
尾形亀之助編集「月曜」創刊
中野重治・堀辰雄ら「驢馬」創刊
尾崎放哉句集「大空」
ヘミングウェイ「日はまた昇る」
吉田一穂「海の聖母」
伊藤整「雪明りの森」
佐藤惣之助「情艶詩集」
村上鬼城「鬼城句集」

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政次郎 52歳 4月1日、花巻町町会議員当選、同じく花巻町学
務委員に委嘱される。11月3日、方面委員として高松宮殿下より
表彰される。

イチ 49歳 

シゲ 25歳

清六 22歳 3月31日、除隊。5月、従来の古着、質商をやめ、
店の北半分をこわし南の店半分を移し宮沢商会を開業。鉄材、セメ
ント、釘、針金など建築材料の卸し小売、またモーターやラジオを
扱う。後に自動車部品、タイヤなども販売し、1942年まで17年間経
営。この年花巻在郷軍人会理事。後に副分会長。

クニ 18歳

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七二八
     〔驟雨はそそぎ〕
                     一九二六、七、一五、

驟雨カダチはそそぎ
土のけむりはいっさんにあがる
  あゝもうもうと立つ湯気のなかに
  わたくしはひとり仕事を忿る
    ……枯れた羊歯の葉
      野ばらの根
      壊れて散ったその塔を
      いまいそがしくめぐる蟻……
杉は驟雨のながれを懸け
またほの白いしぶきをあげる

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七三五
     饗宴
                     一九二六、九、三、

酸っぱい胡瓜をぼくぼく噛んで
みんなは酒を飲んでゐる
 ……土橋は曇りの午前にできて
   いまうら青い榾のけむりは
   稲いちめんに這ひかゝり
   そのせきぶちの杉や楢には
   雨がどしゃどしゃ注いでゐる……
みんなは地主や賦役に出ない人たちから
集めた酒を飲んでゐる
 ……われにもあらず
   ぼんやり稲の種類を云ふ
   こゝは天山北路であるか……
さっき十ぺん
あの赤砂利をかつがせられた
顔のむくんだ弱さうな子が
みんなのうしろの板の間で
座って素麺むぎをたべてゐる
  (紫雲英ハナコ植れば米とれるてが
   藁ばりとったて間に合ぁなじゃ)
こどもはむぎを食ふのをやめて
ちらっとこっちをぬすみみる

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七三八
     はるかな作業
                     一九二六、九、一〇、

すゝきの花や暗い林の向ふのはうで
なにかちがった風の品種が鳴ってゐる
ぎらぎら縮れた雲と青陽の格子のなかで
風があやしい匂ひをもってふるえてゐる
そらをうつして
空虚うつろな川と
黒いけむりをわづかにあげる
瓦工場のうしろの台に
冴え冴えとしてまたひゞき
ここの畑できいてゐれば
楽しく明るそうなその仕事だけれども
晩にはそこから忠一が
つかれて憤って帰ってくる

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七四〇
     秋
                     一九二六、九、二三、

江釣子森の脚から半里
荒んで甘い乱積雲の風の底
稔った稲や赤い萱穂の波のなか
そこに鍋倉上組合の
けらを装った年よりたちが
けさあつまって待ってゐる
 
恐れた歳のとりいれ近く
わたりの鳥はつぎつぎ渡り
野ばらの藪のガラスの実から
風が刻んだりんだうの花
  ……里道は白く一すじわたる……
やがて幾重の林のはてに
赤い鳥居やスバルの塚や
おのおのの田の熟した稲に
異なる百の因子を数へ
われわれは今日一日をめぐる
 
青じろいそばの花から
蜂が終りの蜜を運べば
まるめろの香とめぐるい風に
江釣子森の脚から半里
雨つぶ落ちる萱野の岸で
上鍋倉組合の年よりたちが
けさあつまって待ってゐる

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219](1926年8月) 森佐一あて 葉書

(表)盛岡市新穀町十四 森佐一様
   稗貫郡下根子 宮沢賢治

二十二日の旧盆からかけて例の肥料の講演や何かであちこちの村へ
歩かなければなりませんからお約束のお出でをしばらくお待ちねが
ひます。九月に入ってからなら大丈夫です。まづは

--〔文語詩稿一百編(94)〕----------------------------------
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(本文)
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     賦役

みねの雪よりいくそたび、 風はあをあを崩れ来て、
萌えし柏をとゞろかし、  きみかげさうに軋らしむ。

おのれと影とたゞふたり、 あれと云はれし業なれば、
ひねもす白き眼して、   放牧のがひの柵をつくろひぬ。

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(定稿推敲前)
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     賦役

あをあを燃ゆるみねの雪、 風はいくたび崩れ来て、
萌えし柏をとゞろかし、  きみかげさうに軋らしむ。

おのれと影とたゞふたり、 あれと云はれし業なれば、
ひねもす白き眼して、   放牧のがひの柵をつくろひぬ。

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(下書稿2)
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あをあをゆらぐみねの雪
風は谷より崩れ来て
萌えし柏をとゞろかし
きみかげさうに軋らしむ

おのれと影とたゞふたり
あれと云はれしわざなれば
ひねもす白きまなこして
放牧の柵をつくろひぬ

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(下書稿1推敲後)
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あをあをゆらぐみねの雪
風は谷より崩れきて
萌えし柏をとゞろかし
きみかげさうに軋らしむ

おのれと影とたゞふたり
あれと云はれしわざゆゑに
ひねもすしろきまなこして
放牧の柵をつくろひぬ

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(下書稿1推敲前)
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あをあをゆらぐ雪のみね
風は谷より崩れきて
萌えし柏をとゞろかし
きみかげさうに軋らしむ

おのれと影とたゞふたり
あれと云はれしわざゆゑに
ひねもすしろきまなこして
放牧の柵をつくろひぬ

--〔後記〕--------------------------------------------------

 1926年は途中まで旱害、その後洪水という年だったそうです。今
年も北海道をはじめ、雨が多いようですが、関西の方は暑い日が続
いています。

 来週は火曜日から(涼しいはず)の大連に行きます。金曜日には
戻ります。

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