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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第905号--2016.06.25------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(41)1924年-3」「〔乾かぬ赤きチョークもて〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(41)1924年-3」
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 今回は1924年の3回目です。前回が『春と修羅』、次回が『注文
の多い料理店』の出版の話題が中心ですが、今回はその間の期間で
す。

 前年の夏は樺太旅行、この年も春に北海道旅行をしていますが、
夏は「旱天40日」の旱魃で、賢治も苦労しています。

 7月に「薤露青」という詩を書いていますが、この詩は「銀河鉄
道の夜」と関連があるので、たぶん「銀河鉄道の夜」もこのころか
ら書かれていたのでしょう。

 この年の「旱天」の美しい星空がその出発点だったのかもしれま
せん。

 「薤露青」は原稿の上でも特殊なもので、一旦書かれた後、消し
ゴムで全面的に消されているのです。全集編集者がその消し残りを
判読したということですから、ご苦労なことでした。

 このころの作品には作品番号がつけられています。欠番も多いの
で、いったん書かれ(作品番号が記され)た後、破棄されたものが
多いのですが、その中で奇跡的に残されていました。

 妹トシの死に際しての「永訣の朝」の世界と、「銀河鉄道の夜」
の世界がつながっていることを示す、貴重な作品で、賢治の詩の中
でも私は特に好きなものです。

 8月になると、賢治作品の「劇」が上演されています。賢治の代
表作4作品(「飢餓陣営」「植物医師」「ボランの広場」「種山ヶ
原の夜」)が一挙に公開という豪華なものです。

 「学校演劇禁止」という時代の風潮もあり、賢治自身の進退の問
題もありで、一回きりに終った賢治の学校劇ですが、公開時には非
常な好評でもって迎えられたそうです。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

「薤露青」について (その2) [作品に関すること]
http://azalea-4.blog.so-net.ne.jp/2011-07-17

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 前回に引き続き、「薤露青」という詩についての記事です。今回
はこの作品を「薤露青」と名付けた理由について、考えてみました。

 「薤露」とは、たとえば『デジタル大辞泉』では、

《薤(にら)の葉の上に置く露は消えやすいところから》人の世の
はかないことや、人の死を悲しむ涙をいう語。また、漢の田横の門
人が師の死を悲しんだ歌の中にこの語があったことから、葬送のと
きにうたう挽歌(ばんか)の意にも用いる。

と説明されています。

 「薤露」を、「人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙」と
して考えると、妹の死を悼む気持ちとよく合致します。

 薄明の空の下で北上川の流れを見つめながら、亡き妹を思う作者
の姿が浮かんでくるようです。

 詩の中に「薤露青の聖らかな空明のなか」という言葉があります
から、薄明の空の色に「薤露」のイメージを感じたということだと
思います。

 そして、「銀河鉄道の夜」に出てくる「桔梗いろの空」は、この
「薤露青の聖らかな空明」と通じるものだと思います。

 では、「薤露」とはどういう歌≠ネのでしょうか。

 どんな旋律で歌われていたかまではわかりませんが、歌詞は漢詩
として読むことができます。

 この詩は『楽府詩集』という詩集に収められており、「薤露送王
侯貴人、蒿里送士大夫庶人、使挽柩者歌之。亦呼為挽歌。」といっ
た註が付されています。

 つまり、「薤露」は王侯貴人の葬送の際に柩を挽く者が歌うもの
であり、それゆえこれを挽歌≠ニ呼ぶ」ということになります。
(士大夫や庶民の葬送では、「薤露」ではなく「蒿里」が歌われま
す)

 「薤露」=「挽歌」として考えると、この「薤露青」という詩は、
「青森挽歌」「オホーツク挽歌」などトシの死を悼む一連の挽歌と
もつながってきます。

 そういう意味からも、「銀河鉄道の夜」の創作の動機としてトシ
の死を考えるのは、最も無理のない自然な見方だと思います。

 先に自分の意見を書いてしまいましたが、「薤露」とは、こうい
う詩です。

薤露歌
              漢  無名氏
薤上露、
何易晞。
露晞明朝更復落、
人死一去何時歸。

読み下すと、

 薤上(かいじょう)の露、
 何ぞ晞(かわ)き易(やす)き。
 露 晞(かわ)けば明朝 更(さら)に復(ま)た落つ、
 人 死して一たび去れば 何(いづ)れの時にか歸(かえ)らん。

となり、意味的には、

 薤の上の露は、
 どうして乾きやすいのだろうか。
 露は乾いてしまっても明朝にはさらにまた新しい露が落ちている。
 けれども人は死んでひとたびこの世を去ってしまえば、
 いったいいつの日にまた帰ってくるだろうか。

という感じになります。

 乾きやすい「薤露」よりも人の命ははかないものであるというこ
とを歌った詩ですね。

 私は賢治が亡き妹を思う詩に「薤露青」と名付けた背景には、こ
の「薤露」という漢詩があったのではないかと思っています。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

学校劇についての考察
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/10294/1/4-6.pdf

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 以上のように、これまでの旧弊を破る形で普及し、1924(大正13)
年にはそのピークに達した学校劇であるが、大正13年8月、文部大
臣の訓示によってその勢いに冷水を浴びせられることになる。すな
わち大正13年8月7日、岡田文部大臣は地方長官会議において次の
ように訓示した。

「然るに近年に至りて学校劇なるものの流行、漸く盛ならんとする
傾向あるが如し。児童に劇的本能の存するは之を認むべく、又家庭
娯楽等の際に之が自然の発動を見るは必ずしも咎むべきにあらずと
雖も、特に学校において脂粉を施し仮装を為して劇的動作を演ぜし
め、公衆の観魔に供するが如きは、質実剛健の民風を作興する途に
あらざるは論を待ず。当局者の深く思を致さんことを望む。」

(略)

 以上の例から見ると、「岡田文部大臣の訓示・通牒」は、一部に
は強く作用して学校劇が自粛されたが、他方では必ずしも有効に作
用しておらず、きわめて不徹底だった事が分かる。「岡田文部大臣
の訓示・通牒」の意図は奈辺にあったのか。その真意を質した次の
ような記録がある。

「岡田文相の訓示の意義の極めて不徹底で、動もすれば世人の疑惑
を招き、文部省は学校劇を禁止するが如き態度であると想像するも
のが多いので」文相に訓示の意を確かめたところ文相の答えは大要
左の通りであった。「文部省は全く学校劇を禁止しやうと云ふので
はない。脂粉を施し仮装をなし之を公衆の観覧に供し入場料を取る
の如き学校劇は、教育的のこととは思はれぬ。斯くの如きは寧ろ児
童を大人の玩弄物にするものである。のみならずそれは質実剛健の
美風を失うものである。」 ) 。

 文相が自ら述べているように、「岡田文部大臣の訓示・通牒」の
真意は、おそらく「演劇禁止令」ではなく、興行的に流れた演劇公
演に対する警告であったと考えるべきであろう。ただ、その文言が
曖昧で、学校劇に対する評価が定まっていない当時の状況下では、
これがそのまま受け取られずに、「演劇禁止令」と解釈されたとい
うことであろう。

 徹底した「演劇禁止令」でなかったからこそ、「岡田文部大臣の
訓示・通牒」は様々に受け止められ、学校劇を自粛したところとそ
うでないところがあったのであり、次に述べるように、学校劇があ
まり間を置かぬうちに復活しているのである。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1924年-3〕----------------------------------------------
28歳(大正十三年)
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7月
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5日、「一五四 亜細亜学者の散策」「一五五 〔温く含んだ南の
風が〕」「一五六 〔この森を通りぬければ」「一五七 〔ほほじ
ろは鼓のかたちにひるがへし〕」

15日、「一五八 〔北上川は塋気をながしィ〕」

17日、「一六六 薤露青」

23日、本日付「読売新聞」五面に辻潤の「惰眠洞妄語」(二)が
出、『春と修羅』を賞賛する。一般紙でのはじめての本格的な批評
紹介である。

 23日をもって旱天40余日に及び、県下各地に水喧嘩が起こる
ありさまで、担当の実習田6反の水引きに苦労する。

 盛岡測候所の福井規矩三を訪ねて教えを乞い、天候の記録を調べ
る。

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8月
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 初旬、朝の練習後、北上川のいわゆるイギリス海岸近くで水泳中
の平来作が溺れ、失神したのを他の生徒らと共に助ける。

10日〜11日、昼夜二回二日にわたり農学校講堂で自作の劇を上
演。プログラムは「飢餓陣営」「植物医師」「ボランの広場」「種
山ヶ原の夜」の4本立てで一般に公開した。最後の上演を母、妹た
ち、帰省中の友人阿部孝に見せる。

 上演に要した衣裳・大道具・背景その他一切の費用は自費であっ
た。劇が終ると舞台道具を校庭に持ち出し、火をつけ、生徒ととも
に狂喜乱舞した。

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(花農校友会々報2号「学芸部便り」より)

大正十三年八月十一日十二日の二日間宮沢教諭作田園劇同氏指導の
下に校友会有志約三十名出演開催した。開会午後六時という定刻に
は既に見物人を以て講堂を充した。講堂正面に舞台を設け可成的最
新式の装置をなし左のプログラムにより劇を進めた。此の劇は田園
の娯楽を主眼とせるは勿論なるも種々の風刺を含み観覧者に多大の
感激を与えた。

一、飢餓陣営(児童劇)

時:一九二〇年代
処:欧州西部戦線
人物:二聯隊軍曹、バナナン大将、特務曹長 曹長、兵卒十二名

二、植物医師(郷土喜劇)

時:一九二〇年代
処:盛岡市郊外
人物:爾薩待正(植物医師)、ペンキ屋徒弟、農民六人

三、ポランの広場(ファンタジー)

時:一九二〇年代
処:イーハトーブ県ボランの広場
人物:キユステ(博物局十六等官)、フアゼロ(キユステの甥)山
猫博士、給仕、農夫、牧夫、紳士男女数名

四、種山ヶ原の夜(スケッチ)

時:一九二二年八月卅一日払暁近く
処:岩手県種山ノ高原
人物:農夫三人、役人一人(夢幻中)、樹木数種の霊 数人)

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17日、「一七九 〔北いっぱいの星ぞらに〕」「一八一 早池峰
山巓」

22日、「一八四 春」「一八四 「春」変奏曲」

 好地村(現、石鳥谷町)を流れる葛丸川の川底から温泉がわき出
るというので、土地の有志がボーリングをはじめ、相談役にひっぱ
り出されて現場へいき、地層の説明をした。が、この温泉発掘は成
功しなかった。

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9月
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6日、「一九一 風と杉」

9日、「一九八 雲」

10日、「一九五 塚と風」「一九六 〔かぜがくれば〕」

16日、「三〇一 秋と負債」

17日、「三〇四 〔落葉松の方陣は〕」

18日、本日付「岩手日報」四面に「詩集『春と修羅』/−を見て
義理にも一言−の評(文末に「(九月十五日 紅羅宇)」とある)
が掲載される。

27日、「三〇七 〔しばらくぼうと西日に向ひ〕」

 農学校全校職員生徒台温泉へ遠足。

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4月、田中智学衆議院選挙に立候補、落選
5月、米国排日移民法
7月、パリオリンピック
県下旱天40日に及び各地に水喧嘩起こる
9月、孫文、第二次北伐開始を宣言
10月、盛岡市願教寺炎上、文部省、学校演劇を禁止
11月、横黒線(現JR北上線、横手−黒沢尻)全通

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谷崎潤一郎「痴人の愛」
武者小路実篤「新しき村の今後」
漫画映画「ノンキナトウサン」
西条八十「西条八十童謡全集」
築地小劇場開場
石川善助・尾形亀之助・中野秀人他編詩集「左翼戦線詞華集」
白井喬二「富士に立つ影」
佐藤惣之助「水を歩みて」
中条百合子「伸子」
トーマス・マン「魔の山」
室伏高信「土に還る」
アンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言」

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政次郎 50歳 七月 暁烏敏来花
イチ 47歳 
シゲ 23歳 11月26日、長男純蔵出生
清六 20歳 5月、徴兵検査甲種合格、12月1日、弘前歩兵第
31連隊入隊(一年志願兵)
クニ 17歳 3月、花巻高女補習科卒業
瀬川コト 28歳 2月4日、仙台、東北帝国大学附属病院で没

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一六六
     薤露青
                     一九二四、七、一七

みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
  ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
    プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
    ときどきかすかな燐光をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
  ……たえず企画したえずかなしみ
    たえず窮乏をつゞけながら
    どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
  ……なつかしい夢のみをつくし……
 
声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかのはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる
  ……あの力いっぱいに
    細い弱いのどからうたふ女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出やうとしてゐるので
鳥はしきりにさはいでゐる
  ……みをつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
  ……あゝ いとしくおもふものが
    そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
    なんといふいゝことだらう……
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる

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一八一
     早池峰山巓
                     一九二四、八、一七、

あやしい鉄の隈取りや
数の苔から彩られ
また捕虜岩ゼノリスの浮彫と
石絨の神経を懸ける
この山巓の岩組を
雲がきれぎれ叫んで飛べば
露はひかってこぼれ
釣鐘人参ブリューベルのいちいちの鐘もふるえる
みんなは木綿ゆふの白衣をつけて
南は青いはひ松のなだらや
北は渦巻く雲の髪
草穂やいはかがみの花の間を
ちぎらすやうな冽たい風に
眼もうるうるして吹きながら
くびすを次いで攀ってくる
九旬にあまる旱天ひでりつゞきの焦燥や
夏蚕飼育の辛苦を了へて
よろこびと寒さとに泣くやうにしながら
たゞいっしんに登ってくる
  ……向ふではあたらしいぼそぼその雲が
    まっ白な火になって燃える……
ここはこけももとはなさくうめばちさう
かすかな岩の輻射もあれば
雲のレモンのにほひもする

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三〇一
     秋と負債
                    一九二四、九、一六、

半穹二グロスからの電燈が
おもひおもひの焦点フオカスをむすび
柱の陰影かげを地に落し
濃淡な夜の輻射をつくる
 ……またあま雲の螺鈿からくる青びかり……
ポランの広場の夏の祭の負債から
わたくしはしかたなくこゝにとゞまり
ひとりまばゆく直立して
いろいろな目にあふのであるが
さて徐ろに四周を見れば
これらの二つのつめたい光の交叉のほかに
もひとつ見えない第三種の照射があって
ここのなめらかな白雲石ドロミットの床に
わたくしの影を花盞のかたちに投げてゐる
しさいに観ずれば観ずるほど
それがいよいよ皎かで
ポランの広場の狼避けの柵にもちゃうどあたるので
もうわたくしはあんなSotiseな灰いろのけだものを
二度おもひだす要もない

--〔文語詩稿一百編(86)〕----------------------------------
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(本文)
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     〔乾かぬ赤きチョークもて〕

乾かぬ赤きチョークもて、  文を抹して教頭は、
いらかを覆ふ黒雲を、    めがねうつろに息づきぬ。

さびしきすさびするゆゑに、 ぬかほの青き善吉ら、
そらの輻射の六月を、    声なく惨と仰ぎたれ。

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(下書稿4推敲後)
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乾かぬ赤きチョークもて
文を抹して教頭は
いらかを覆ふ黒雲を
めがねうつろに息づきぬ

さびしきすさびするゆゑに
ぬかほの青き善吉ら
そらの輻射の六月を
声なく惨と仰ぎたれ

------------------------------------------------------------
(下書稿4推敲前)
------------------------------------------------------------

乾かぬ赤きチョークもて
文を抹して教頭は
いらかを覆ふ黒雲に
めがねうつろにそばたちつ

さびしきすさびするゆゑに
ぬかほの青き善吉ら
そらの輻射の六月を
声なく惨と仰ぎたれ

------------------------------------------------------------
(下書稿3推敲後)
------------------------------------------------------------

ひとりの生徒ボールドに
短き英の文書きつ
教頭おもて青じろく
窓べに立ちて見まもれる

南の紺の地平より
黒雲怪しき縞なして
白堊ひゞいりよごれたる
いらかを低くながれたり

生徒礼してしりぞけば
さとはぎしりて教頭の
乾かぬ赤きチョークもて
文をあらゝに抹したり

をぞのまくらきボーロドは
しゅうしゅうとしてうちなげき
ま夏に入らん生徒らは
たゞさんとしてながめたり

------------------------------------------------------------
(下書稿3推敲前)
------------------------------------------------------------

ひとりの生徒ボールドに
短き英の文書きて
教頭おもて青じろく
窓べに立ちて見まもれる

南の紺の地平より
黒雲怪しき縞なして
白堊ひゞいりよごれたる
いらかを低くながれたり

生徒礼してしりぞけば
頭をいたみ教頭の
文をあらゝに抹したり

あはれ乾かぬ赤チョーク
をぞのまくらきボーロドは
しゅうしゅうとしてうちなげき
ま夏に入らん生徒らは
たゞさんとしてながめたり

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲後)
------------------------------------------------------------

南の紺の地平より
黒雲怪しき縞なして
幾冬タール黄に染めし
白堊の館に垂れこめぬ

短き英の文書きて
一人壇を下りくれば
教頭瞳
まみ
をうちそぼち
頬あほじろく見まもれる

乾かぬ赤のチョークして
教頭文を抹すれば
さも傷負へる黒板を
生徒声なく見まもれる

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
------------------------------------------------------------

南の紺の地平より
雲怪しき縞なして
川三つつどふこの市の
幾冬のタール黄に染めし
館に低くたれこめぬ

一人壇にそびらかして
短き英の文書けば
教頭は今日額おもく
頬あほじろく見まもりぬ

生徒礼して下り来れば
教頭赤のチョークして
一線描けばあなあやし
チョークのインクなほぬれて
をぞにまくろきボールドは
まあかき傷を受けにつゝ
たゞ湫々となきしかば
生徒ら惨と見まもりぬ

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------

     教頭黒板を截る

このくらき
雲垂れし日を
いかなればとて
さはぬれて赤きチョークに
黒板を傷つくるや

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲前)
------------------------------------------------------------

このくらき
雲垂れし日を
いかなればとて
さはぬれし赤きチョークにて
黒板を傷つくるや

------------------------------------------------------------
(先駆形短歌 歌稿B 32)
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32
黒板は赤き傷うけ雲垂れてうすくらき日をすゝり泣くなり。

32a
この学士英語はとあれあやつれどかゝるなめげのしわざもぞする。

--〔後記〕--------------------------------------------------

 今回掲載の文語詩「〔乾かぬ赤きチョークもて〕」は、賢治の中
学校時代、舎監排斥運動にかかわった経験をもとにしています。軽
い気持ちでやったいたずらを、教師に大まじめに糾弾されて縮み上
がっている情景です。

「かの文学士などさは苛めそ。家には新妻もありて われらの戯れ
ごとども 心より憂へたり。なれらつどひて石投ぐるそはなんぢに
は戯れなれども われらには死ぞと云ひしとき口うちつぐみ青ざめ
て 異様の面をなせしならずや」

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