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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第902号--2016.06.04------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(38)1923年-4」「〔うたがふをやめよ〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(38)1923年-4」
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 樺太旅行からも帰り、1923年の後半をまとめて掲載していますが、
この時期の大事件といえば、「関東大震災」です。東京、横浜が壊
滅した大災害でしたが、賢治の作品にはほとんど登場しません。

 かろうじて、9月16日の日付を持つ、「宗教風の恋」で以下の
ような詩句があります。

  東京の避難者たちは半分脳膜炎になつて
  いまでもまいにち遁げて来るのに

 やはりテレビやネットのなかった賢治の時代では、遠くの事件は
それほど生々しくはなかったのでしょう。

 1923年中には詩集「春と修羅」所収の詩はすべて書き終わります。
以下は「オホーツク挽歌」以降の詩の目次です。

57 不貪慾戒 --(1923.8.28)--
58 雲とはんのき --(1923.8.31)--
59 宗教風の戀 --(1923.9.16)--
60 風景とオルゴール --(1923.9.16)--
61 風の偏倚 --(1923.9.16)--
62 昴 --(1923.9.16)--
63 第四梯形 --(1923.9.30)--
64 火薬と紙幣 --(1923.9.10)--
65 過去情炎 --(1923.10.15)--
66 一本木野 --(1923.10.28)--
67 鎔岩流 --(1923.10.28)--
68 イーハトヴの氷霧 --(1923.11.22)--
69 冬と銀河ステーション --(1923.12.10)--

 いよいよ「銀河鉄道」の姿が見えてきそうです。そして翌年、賢
治にとっては生涯で2度の著書の出版が控えています。その準備は
すでに始まっていたのでしょう。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

地球物理学者と読む宮沢賢治(総論)
http://shima3.fc2web.com/kenji-0.htm

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 他方、私にとって不思議なこともある。過去たびたび大地震の被
害を受けてきた岩手県だが、その大地震や津波のありさまについて
は、賢治はなにも描いていない。岩手県にとっては、火山による被
害よりは、地震による被害の方が、はるかに大きく、また多かった。

 火山性地震については『グスコーブドリの伝記』(初稿・最終稿)
や『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』などに描かれている。
局地的には被害を生む程度の地震である。しかし地震としてのがら
の大きさから言えば、岩手県沖で起きるマグニチュード8クラスの
巨大地震と比べれば、エネルギー的には1/1000以下の地震である。

 賢治が大地震についてほとんど描いていないのは、もしかしたら、
賢治の生年と没年に関係があるのかもしれない。賢治は、東北地方
に大被害をもたらした二つの大地震のうち、最初の大地震のときは
乳飲み子で、次の大地震の半年後に生涯を終えたのであった。つま
り、二つの巨大地震の谷間で、短い生涯を終えたのである。

 最初の大地震は1896年6月15日に起きた。「三陸地震津波」とい
う地震としては奇妙な名前が付けられている。賢治が生まれたの
は1896年8月27日だ ったから、生まれる2ヶ月前のときであった。

(略)

 1896年、三陸海岸一帯を日本の歴史上、最大の大津波が襲い、死
者22000を超える大惨事になりました。死者は岩手県の18000人を最
高に宮城県で3500人、青森県でも300人の死者を出しました。津波
の高さは最大で24メートルにも達し、家の流出は9000、船の被害は
7000にもなりました。この日は旧暦では端午の節句の日、いまの子
供の日で、お祝いに興じていた人々を悲劇が襲ったのでした。

(略)

 地震のときには賢治は生まれる直前だったといっても、これだけ
の大災害だから、その後、詳しく見聞きして知っていたはずだ。賢
治がなにも書き残していなかったのは、私にはかなり不思議なこと
に思える。

 もう一つの地震は1933年6月15日に起きた「三陸地震」である。
プレートを断ち切る巨大地震だった。賢治が没したのは同年の9月
21日で、死の直前であっただけではなく、その前1931年に倒れて以
来、賢治は肺炎でずっと病床にあり、遺書もすでにしたためていた。
なお、名作「雨ニモマケズ」を書いたのは、倒れた年の11月だと推
定されている。これは生前に発表されることはなく、賢治の死後、
手帳に書いてあるものが発見された。

(略)

 この地震は三陸沖地震です。1933年3月3日の雛祭りの日に起きま
した。起きた場所は日本海溝の北部で、1968年の十勝沖地震のすぐ
南隣です。マグニチュードは8.3でした。

 この地震はプレート境界の震源断層が滑るタイプの地震ではない、
珍しい地震だったのです。それは、海洋プレートと大陸プレートが
押し合っているあいだに、海洋プレートが割れてしまった地震なの
です。

 三陸沖地震は、ほかのプレート境界に起きる大地震とはちがって、
震源が海溝からかなり東側にはみ出しています。このため震源が日
本から遠く、幸いにして地震の揺れによる被害はありませんでした。

 しかし、大きな津波が日本を襲いました。死者は3000人、流れた
家は5000軒、浸水した家は4000軒、流された船も7000隻にもなった
のです。津波の高さは岩手県綾里(りょうり)では25メートルにも
達したほか、岩手県田老村(たろう。いまの宮古市田老)でも10メ
ートル、被害は北海道の太平洋側から三陸海岸にかけての海岸線
400キロ以上にも及びました。なかでも田老では、全人口1800人の
うち760人あまりが犠牲になる大惨事になってしまいました。

(略)

 また、15万人という空前の死者行方不明者を生んでしまった関東
大震災(1923年9月1日)は賢治27歳のときだった。この地震の被害
について幾分の言及がある。しかし、賢治の作品に、大地震が登場
したことはなかった。

 こういった大地震とその被害について、地球で起きる事件につい
て、あれほどの関心があった賢治がなにも書き残していないのは、
たいへん不思議なことである。

 あるいは、火山のように地下のマグマが起こすことが当時すでに
わかっていた事件と違って、地震のように、起きるメカニズムが不
明だったものは、賢治にとって扱いにくいテーマだったのだろうか。

 当時はプレートが地震を起こす、ということはまだ到底、知られ
ておらず、プレートというものも、そもそも知られていなかった。

 地震は地下にある穴が陥没して発生する、という「陥没説」とか、
地下のマグマが爆発して起きるといった、あてにならない学説しか
なかったし、地下に住む巨大ナマズが起こすといった民間伝承も、
言い伝えられていた時代であった。

 賢治としても、火山のように地下のマグマが噴出して噴火が起き
る、といった、いわば当時最新の知識で「わかっている」事象以外
は、童話や詩といった表現を採る賢治の作風では、描きようがなか
った、というのが実状であろう。

 上記、加倉井厚夫さんに教えていただいたところによれば、

賢治の唯一の生前に出版された詩集『春と修羅』第一集に収録して
ある「宗教風の恋」では、

  東京の避難者たちは半分脳膜炎になつて
  いまでもまいにち遁げて来るのに
  どうしておまへはそんな医される筈のないかなしみを
  わざとあかるいそらからとるか
  いまはもうさうしてゐるときでない

 その他、「〔昴〕」という作品では、

 東京はいま生きるか死ぬかの堺なのだ

と書かれている。これらは関東大震災の状況を踏まえた描写とされ
ている。作品の日付は両方とも1923年9月16日で、関東大震災から
15日後だった。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1923年-4〕----------------------------------------------
27歳(大正十二年)
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8月
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16日、本日付「天業民報」三面に「青い槍の葉(挿秧歌)」を発
表。

 午後5時岩田金次郎が50歳で死亡。父政次郎の妹ヤスの夫であ
り、妹シゲの義父である。金次郎は脊椎炎のために起居不自由とな
り、12年間床についたままだったが、性磊落で後生を願う気など
全くなかった。この人がこの年急に仏心を起し賢治から法華経を聞
き、お題目を書いてもらい、死ぬまで唱えつづけ、悟りをもって彼
岸へ立った。賢治は夜もすがら法華経を手向ける。

28日、「不貪欲戒」

31日、「雲とはんのき」

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9月
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10日、「火薬と紙幣」この作品の日付は「春と修羅」目次、自筆
目次原稿でも同じだが、「10月10日」の間違いと思われる。理
由は「酸性土壌ももう十月になったのだ」ということばのあること、
「春と修羅」の配列は制作月日を追っていて、本詩は「9月30日」
の「第四梯形」と「10月15日」の「過去情炎」の間に位置して
いるからであるが、一応初版どおりに示しておく。

 本日付で六級俸(100円)給与となる。

16日、「宗教風の恋」「風景とオルゴール」「風の偏倚」「昴」

29日、県下中等学校教授法研究会は、農学科の教師を主に、肥料
並に昆虫研究会を花巻農学校で開催。授業参観は賢治担当の二年、
肥料の授業である。

 このとき参観し、のち花巻農学校に転じて同僚となった阿部繁は、
「宮沢先生は硫酸アンモニアの性質、施肥法などを二年生に授業し
ておられました。そのころ中等学校、ことに実業学校などでイオン
記号などを使う授業などは、どこでもしていなかったものです。宮
沢先生はそれをどんどん使っているのに驚かされました。程度の余
り高くない学校だろうと、別に見くびっていたわけでもありません
が、そんなに思ってきていたのです。なんとりっぱな先生がいるも
のだというのが、わたしの第一印象でした。」という。

30日、「第四梯形」

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10月
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15日、「過去情炎」

28日、「一本木野」「鎔岩流」ともに岩手山麓行の詩。日曜の一
日をぐんぐん歩いた。

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11月
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11日〜15日、一道六県連合家禽共進会を機に、花城小学校主催
の県下小学校児童自由画展覧会開催。「自由画検定委員」はこれに
取材していると見られる。

22日、「イーハトーブの氷霧」

27日、国柱会による「国難救護 正法宣揚 同志結束」の基金に
10円寄付の記名が本日付「天業民報」三面に出る。

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12月
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4日、「冬と銀河鉄道」

20日、翌1924年12月1日に刊行される童話集「注文の多い
料理店」の「序」には、この日の日付が付されている。

25日、職務勉励につき金100円賞与。

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1月、花巻共立病院(院長佐藤隆房)開業
2月、宮城県斎藤報恩会(民間学術助成財団)設立認可
3月、盛岡市の石割桜を天然記念物に指定
4月、稗貫農学校、岩手県立花巻農学校と改称
6月、花巻川口町、根子村合併し、人口約9千人となる
9月、関東大震災 盛岡測候所、業務開始
10月、山田線、盛岡−上米内間開通
11月、ナチス、ミュンヘン蜂起
12月、盛岡劇場で文芸大講演会、久米正雄、里見ク、田中純、吉
井勇講演

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「文藝春秋」創刊
山村暮鳥童話集「鉄の靴」
萩原朔太郎「青猫」
「鴎外全集」全18巻刊行開始
萩原恭次郎ら「赤と黒」創刊
辻潤偏、高橋新吉詩集「ダダイスト新吉の詩」
北一輝「日本改造法案大綱」
井伏鱒二「幽閉」(のち「山椒魚」に改題)
金子光晴詩集「こがね虫」
室伏高信「文明の没落」
トロツキー「文学と革命」
魯迅「吶喊」

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政次郎 49歳 春、シゲを帯同し静岡県三保の国柱会本部を訪い、
伊勢参宮後東京に寄り帰花する。

イチ 46歳 トシを失った悲しみのため仏前に泣き伏すこと多く、
健康もすぐれない。

シゲ 22歳 トシ看病、死の後も実家にあって世話をみたが、1
月初旬心を新たに岩田家にもどる。春、父と旅行。日本髪だったの
で頭が重く、疲れて帰る。

清六 19歳 3月、研数学館での勉強の力だめしに蔵前の東京高等
工業学校(東京工業大学の前身)電気科を受験。学科試験はパスし
たが、父との進学諒解もまとまっていず、やがて帰宅、実家を見る。

クニ 16歳 3月、花巻高女卒業。四月、補習科に入る。

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     宗教風の戀

がさがさした稲もやさしい油緑に熟し
西ならあんな暗い立派な霧でいっぱい
草穂はいちめん風で波立ってゐるのに
可哀さうなおまへの弱いあたまは
くらくらするまで青く乱れ
いまに太田武か誰かのやうに
眼のふちもぐちゃぐちゃになってしまふ
ほんたうにそんな偏って尖った心の動きかたのくせ
なぜこんなにすきとほってきれいな気層のなかから
燃えて暗いなやましいものをつかまへるか
信仰でしか得られないものを
なぜ人間の中でしっかり捕へやうとするか
風はどうどう空で鳴ってるし
東京の避難者たちは半分脳膜炎になって
いまでもまいにち遁げて来るのに
どうしておまへはそんな醫される筈のないかなしみを
わざとあかるいそらからとるか
いまはもうさうしてゐるときでない
けれども悪いとかいゝとか云ふのではない
あんまりおまへがひどからうとおもふので
みかねてわたしはいってゐるのだ
さあなみだをふいてきちんとたて
もうそんな宗教風の戀をしてはいけない
そこはちゃうど両方の空間が二重になってゐるとこで
おれたちのやうな初心のものに
居られる塲處では決してない


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     風景とオルゴール

爽かなくだもののにほひに充ち
つめたくされた銀製の薄明穹を
雲がどんどんかけてゐる
黒曜ひのきやサイプレスの中を
一疋の馬がゆっくりやってくる
ひとりの農夫が乗ってゐる
もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ
木だちやそこらの銀のアトムに溶け
またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら
あたまの大きな曖昧な馬といっしょにゆっくりくる
首を垂れておとなしくがさがさした南部馬
黒く巨きな松倉山のこっちに
一點のダァリア複合体
その電燈の企畫なら
じつに九月の寳石である
その電燈の献策者に
わたくしは青い蕃茄トマトを贈る
どんなにこれらのぬれたみちや
クレオソートを塗ったばかりのらんかんや
電線も二本にせものの虚無のなかから光ってゐるし
風景が深く透明にされたかわからない
下では水がごうごう流れて行き
薄明穹の爽かな銀と苹果とを
黒白鳥のむな毛の塊が奔り
  《ああ お月さまが出てゐます》
ほんたうに鋭い秋の粉や
玻璃末の雲の稜に磨かれて
紫磨銀彩に尖って光る六日の月
橋のらんかんには雨粒がまだいっぱいついてゐる
なんといふこのなつかしさの湧あがり
水はおとなしい膠朧体だし
わたくしはこんな過透明な景色のなかに
松倉山や五間森荒っぽい石英安山岩デサイトの岩頸から
放たれた剽悍な刺客に
暗殺されてもいいのです
  (たしかにわたくしがその木をきったのだから)
  (杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)
風が口笛をはんぶんちぎって持ってくれば
  (気の毒な二重感覺の機關)
わたくしは古い印度の青草をみる
崖にぶつかるそのへんの水は
葱のやうに横に外れてゐる
そんなに風はうまく吹き
半月の表面はきれいに吹きはらはれた
だからわたくしの洋傘は
しばらくばたばた言ってから
ぬれた橋板に倒れたのだ
松倉山松倉山尖ってまっ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち
電燈はよほど熟してゐる
風がもうこれっきり吹けば
まさしく吹いて来るカルパのはじめの風
ひときれそらにうかぶ暁のモティーフ
電線と恐ろしい
玉髄キャルセドニの雲のきれ
そこから見當のつかない大きな青い星がうかぶ
   (何べんの戀の償ひだ)
そんな恐ろしいがまいろの雲と
わたくしの上着はひるがへり
   (オルゴールをかけろかけろ)
月はいきなり二つになり
盲ひた黒い暈をつくって光面を過ぎる雲の一群
   (しづまれしづまれ五間森
    木をきられてもしづまるのだ)

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     一本木野

松がいきなり明るくなって
のはらがぱっとひらければ
かぎりなくかぎりなくかれくさは日に燃え
電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね
ベーリング市までつづくとおもはれる
すみわたる海蒼の天と
きよめられるひとのねがひ
からまつはふたたびわかやいで萌え
幻聴の透明なひばり
七時雨の青い起伏は
また心象のなかにも起伏し
ひとむらのやなぎ木立は
ボルガのきしのそのやなぎ
天椀の孔雀石にひそまり
薬師岱赭のきびしくするどいもりあがり
火口の雪は皺ごと刻み
くらかけのびんかんな稜は
青ぞらに星雲をあげる
   (おい かしは
    てめいのあだなを
   やまのたばこの木っていふってのはほんたうか)
こんなあかるい穹窿と草を
はんにちゆっくりあるくことは
いったいなんといふおんけいだらう
わたくしはそれをはりつけとでもとりかへる
こひびととひとめみることでさへさうではないか
   (おい やまのたばこの木
    あんまりへんなおどりをやると
    未来派だっていはれるぜ)
わたくしは森やのはらのこひびと
芦のあひだをがさがさ行けば
つつましく折られたみどりいろの通信は
いつかぽけっとにはいってゐるし
はやしのくらいとこをあるいてゐると
三日月がたのくちびるのあとで
肱やずぼんがいっぱいになる

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     冬と銀河ステーション

そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげらふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パッセン大街道のひのきからは
凍ったしづくが燦々と降り
銀河ステーションの遠方シグナルも
けさはまっ赤に澱んでゐます
川はどんどんザエを流してゐるのに
みんなは生ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがった章魚を品さだめしたりする
あのにぎやかな土澤の冬の市日です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかってもいい)
あゝ Josef Pasternack の 指揮する
この冬の銀河輕便鐡道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の臺地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊齒は
 だんだん白い湯気にかはる)
パッセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です

--〔文語詩稿一百編(83)〕----------------------------------
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(本文)
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     〔うたがふをやめよ〕

うたがふをやめよ、  林は寒くして、
いささかの雪凍りしき、  根まがり杉ものびてゆるゝを。

胸張りて立てよ、  林の雪のうへ、
青き杉葉の落ちちりて、  空にはあまた烏なけるを。

そらふかく息せよ、  杉のうれたかみ、
烏いくむれあらそへば、  氷霧ぞさっとひかり落つるを。

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(下書稿3推敲後2)
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いららくをやめよ林はさむくして
いささかの雪凍りしき
根まがり杉ものびてたてるを

胸張りて立てよ林の雪のうへ
青き杉葉の落ちちりて
そらにはあまたからすなけるを

そらふかく息せよ杉のうれたかみ
烏いくむれあらそへば
氷霧ぞさっとひかり落つるを

------------------------------------------------------------
(下書稿3推敲後1)
------------------------------------------------------------

ナリトナリアナロ林はさむくして
いささかの雪凍りしき
根まがり杉ものびたつを

アナロナビクナビ林の雪のうへ
青き杉葉の落ちちりて
そらにはあまたからすなけるを

ナビクナビアリナリ杉のうれたかみ
烏いくむれあらそへば
氷霧こそさっとひらめき落つれ

------------------------------------------------------------
(下書稿3推敲前)
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やめよ林はさむくして
いささかの雪凍りしき
根まがり杉ものびたつを

立てよ林の雪のうへ
青き杉葉の落ちちりて
そらにはあまたからすなけるを

杉のうれたかみ
烏いくむれあらそひて
霧こそさっとひらめき

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲後)
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ためらふをやめよ林はさむくして
いささかの雪凍りしき
根まがり杉ものびたつを

胸はりて立てよはやしの雪の上
青き杉葉の落ちちりて
そらにはあまたからすなけるを

うち仰ぎ息せよ森の上のそら
烏幾むれあらそへば
さと落ち来る霧もあり

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(下書稿2推敲前)
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かなしみをやめよ林はさむくして
いささかの雪凍りしき
根まがり杉はのびたつを

かなしみをされよはやしの雪の上
青き杉葉の落ちちりて
からすひかりのそらになけるを

かなしみをやめよ林の上のそら
日輪しろくかゞやきて
烏幾むれあらそへば
さと落ち来る霧もあり

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(下書稿1「冬のスケッチ」 第17葉、38葉))
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かなしみをやめよ
はやしはさむくして
からすそらにてあらそへるとき
あたかも気圏飽和して
さとかゝれる 氷の霧。

--〔後記〕--------------------------------------------------

 今回掲載の文語詩の下書きで「ナリトナリアナロ」などの詩句が
出てくるのには驚きました。有名な「祭日(二)」で使われた、毘
沙門天の真言からアレンジした詩句ですが、最初のアイデアはたぶ
んこちらの方に書いて、後に別の詩で使うために削除したのではな
いかと思います。

 今、台北に来ています。大雨のせいで3時間ほど遅れました。同
じ日に別の飛行機で来た人は、停電で荷物が出てこずに、結局翌日
まで待たされたそうです。空港にターミナルが2つあり、私は停電
していない方に降りましたので、よかったのですが。

 4月には機体のトラブルで一日遅れましたし、それほど頻繁に飛
行機に乗るわけではないのに、どうもトラブル遭遇率が高すぎます。

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