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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第901号--2016.05.28------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(37)1923年-3」「氷上」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(37)1923年-3」
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 今回は1923年の三回目です。7月31日に出発し、8月12日に
帰って来た、賢治の樺太旅行の話です。

 この旅行は賢治の旅の中でも特に有名なもので、「オホーツク挽
歌」詩群を書いたことで知られています。

 「賢治がサハリン樺太に行った目的は、表向きは教え子の就職を
依頼する為であった。が、もう一つの大きな目的は霊界に去ったと
しと魂の交歓を交わしたいためであった。」

 この旅の詩で、詩集「春と修羅」に収録されているものは、以下
のとおりです。

52 青森挽歌 --(1923.8.1)--
53 オホーツク挽歌 --(1923.8.4)--
54 樺太鉄道 --(1923.8.4)--
55 鈴谷平原 --(1923.8.7)--
56 噴火灣(ノクターン) --(1923.8.11)--

 この旅の詩は「青森挽歌」冒頭のこんな詩句から始まっています。

こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる

 7月31日の夜行で出発し、8月1日未明、青森に近づいてきた
ときのことです。

 詩集からはもれていますが、同じく青森から津軽海峡を渡ったと
きの詩が原稿として残っています。

青森挽歌 三
津軽海峡

 これらも8月1日の日付になっています。

 この後、北海道を通過したときの作品が、

駒ヶ岳
旭川
宗谷挽歌

 で、前二者には日付がありませんが、「宗谷挽歌」は8月2日の
日付です。2日の深夜、「対馬丸」に乗って宗谷海峡を渡り、3日
に樺太に着いています。

 当時の樺太は、北緯50度以南の南半分が日本領でした。賢治は
樺太の日本領としては最も北の地域にまで行っています。そこが、
「鈴谷平原」です。

 詩作はいったんここで終り、帰りに「噴火湾(ノクターン)」だ
けが書かれています。

 今回は詩集掲載の、有名なものでなく、原稿として残されている、

青森挽歌 三
津軽海峡
宗谷挽歌

 を掲載しておきます。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

評釈「オホーツク挽歌」
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/kenji/OHOTUKU.HTM

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 前年、大正十一年十一月二十七日、最愛の妹としを失った賢治は、
その後半年近く詩作が出来なかったようだ。少なくとも、詩集『春
と修羅』に収められるような完成した作品は作れなかった。詩集
『春と修羅』のとしの死を扱った連作「無声慟哭」の後、半年を経
た大正十二年六月三日の日付の付された「風林」、六月四日の「白
い鳥」で、再び詩作を復活する。両詩ともとしを思った詩である。
そこには、としの死の悲しみの衝撃から立ち直ったとはいえ、まだ
としの死を乗り越えら れない賢治の姿が彷彿としている。

とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きつとおまへをおもひだす

という「風林」の言葉や、

二疋の大きな白い鳥が
鋭くかなしく啼きかはしながら
しめつた朝の日光を飛んでゐる
それはわたくしのいもうとだ
死んだわたくしのいもうとだ
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる

という「白い鳥」の言葉にそれは如実に現れている。

 その二ヵ月後の大正十二年七月三十一日、賢治は花巻を立って樺
太に向かった。

 その時の旅の様子と賢治の思いは、詩集『春と修羅』の連作「オ
ホーツク挽歌」に纏められている。

 連作は「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」「鈴谷平原」
「噴火湾(ノクターン)」の五つの詩で構成されている。

 賢治がサハリン樺太に行った目的は、表向きは教え子の就職を依
頼する為であった。

 が、もう一つの大きな目的は霊界に去ったとしと魂の交歓を交わ
したいためであった。

 死後、としが異界で幸せに暮らしているかどうかは、賢治の一番
気に掛かる事であった。どろどろした地獄のような汚い世界でなく、
極楽浄土のような世界に生まれ変わって幸せに暮している事を確か
めたかった。北の果てに行けば霊界に近づきとしと魂の交歓ができ
るのではないか、そういう期待をもって賢治は当時の日本の北の果
てへと旅立ったのである。

 まだ、開通したばかりの宗谷本線に乗り、まだ航路が開かれたば
かりの稚内大泊連絡航路に乗って、八月三日の朝、七時半頃大泊に
着き、九時三十分の列車に乗り換え十二時頃、当時の樺太の県庁所
在地豊原(現ユジノサハリンスク)に着いている。そのまま、王子
製紙を訪ね、盛岡高等農林で一年先輩の細越健を訪ね教え子の就職
を依頼、その日は、細越の社宅に泊まり、翌四日、七時四十五分の
汽車で豊原を立ち、樺太鉄道本線に乗り約二時間半、五十三キロ北
の栄浜に十時三十五分頃到達したのである。

 栄浜は当時鉄道で到達できる日本最北端の地であった。そこで、
日本国の鉄道は終わっていた。駅を降りてさらに北へ三、四百メー
トル、当時賢治に可能だった最北の地オホーツク海に面した樺太の
東海岸栄浜に立ったのである。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1923年-3〕----------------------------------------------
27歳(大正十二年)
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7月
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31日、青森・北海道経由樺太旅行へ出発。農学校生徒瀬川嘉助、
杉山芳松の就職を樺太の大泊町、王子製紙株式会社樺太分社勤務の
細越健に依頼する目的が安たが、精神的には一連の「挽歌」群から
推察されるとおり、亡くなった妹トシとの交信を求める傷心旅行で
ある。

 ナーサマパナマの帽子、真白のリンネルの背広、渋いネクタイ、
赤革の靴といういでたちで、黒革のカバンに例によりシャープペン
シルにノート。

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8月
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1日、「青森挽歌」「青森挽歌 三」 青函連絡船で津軽海峡を渡
り、五時間で函館に到着。札幌へ向かい、急行ならば六時間半で到
着。札幌から旭川へ夜行列車にのったと推定。

2日、「駒ヶ岳」「旭川」「宗谷挽歌」 詩「旭川」によって早朝、
旭川についたと推定される。ついで上川農事試験場を訪ねたか。そ
の後急行ならば約八時間乗車、稚内より樺太大泊行連絡船にのる。
雨、霧が降っている。

3日、稚内より宗谷海峡をわたり樺太亜庭湾の大泊港まで約八時間。
大泊町、王子製紙株式会社樺太分社に細越健を訪ね、教え子の就職
を依頼。

4日、「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」 詩「オホーツク挽歌」に
より栄浜に赴いたと推定。大泊から豊原、栄浜へ至る樺太庁鉄道線
の東海岸線にのり樺太庁所在地豊原町へ向かう。大泊港−栄町−大
泊−楠渓町−一ノ沢−三ノ沢−貝塚−新場−中里−豊南−大沢の各
駅を経ること二時間で豊原駅につく。豊原より北豊原−草野−小沼
−富岡−深雪−大谷−小谷−落合を経て栄浜。さらに海岸荷扱所
(栄浜から約1600メートル)までは、旅客線ではないが当時五
銭で「便宜乗客」を扱い乗車できたというので、これを利用した可
能性もある。海岸での時計は午前11時15分を示すと「オホーツ
ク挽歌」には書かれている。

7日、「鈴谷平原」 鈴谷平原は、鈴谷岳を中心として旭ヶ岳(樺
太神社がある)、豊原公園をふくむ一帯で、樺太八景の一つ。ここ
で最後の植物採集を行ったようである。

 本日付「天業民報」三面に「黎明行進歌」(花巻農学校精神歌)」
を発表。

11日、「噴火湾(ノクターン)」 未明、左に内海湾(噴火湾)
を走る車中に疲れはてて函館に近づこうとする。函館より連絡船で
青森へ。青森から盛岡へ約六時間である。

12日、盛岡より徒歩で帰花。


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花巻−大泊間作中時間対応列車推定時刻表
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7月31日(火)
 花巻発 21:59(東北本線各停803列車)
 盛岡発 23:08
8月1日(水)
 青森着 05:20
 青森発 07:55(青函連絡船 比羅夫丸または田村丸)
 函館着 12:55
 函館桟橋発 13:45(函館線、宗谷線各停3列車)
 函館発 13:49
 札幌発 23:53
8月2日(木)
 旭川着 04:55
 旭川発 11:54(宗谷線急行)
 稚内着 21:14
 稚内発 23:30(連絡船 対馬丸)
8月3日(金)
 大泊着 07:30

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1月、花巻共立病院(院長佐藤隆房)開業
2月、宮城県斎藤報恩会(民間学術助成財団)設立認可
3月、盛岡市の石割桜を天然記念物に指定
4月、稗貫農学校、岩手県立花巻農学校と改称
6月、花巻川口町、根子村合併し、人口約9千人となる
9月、関東大震災 盛岡測候所、業務開始
10月、山田線、盛岡−上米内間開通
11月、ナチス、ミュンヘン蜂起
12月、盛岡劇場で文芸大講演会、久米正雄、里見ク、田中純、吉
井勇講演

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「文藝春秋」創刊
山村暮鳥童話集「鉄の靴」
萩原朔太郎「青猫」
「鴎外全集」全18巻刊行開始
萩原恭次郎ら「赤と黒」創刊
辻潤偏、高橋新吉詩集「ダダイスト新吉の詩」
北一輝「日本改造法案大綱」
井伏鱒二「幽閉」(のち「山椒魚」に改題)
金子光晴詩集「こがね虫」
室伏高信「文明の没落」
トロツキー「文学と革命」
魯迅「吶喊」

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政次郎 49歳 春、シゲを帯同し静岡県三保の国柱会本部を訪い、
伊勢参宮後東京に寄り帰花する。

イチ 46歳 トシを失った悲しみのため仏前に泣き伏すこと多く、
健康もすぐれない。

シゲ 22歳 トシ看病、死の後も実家にあって世話をみたが、1
月初旬心を新たに岩田家にもどる。春、父と旅行。日本髪だったの
で頭が重く、疲れて帰る。

清六 19歳 3月、研数学館での勉強の力だめしに蔵前の東京高等
工業学校(東京工業大学の前身)電気科を受験。学科試験はパスし
たが、父との進学諒解もまとまっていず、やがて帰宅、実家を見る。

クニ 16歳 3月、花巻高女卒業。四月、補習科に入る。

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     青森挽歌 三
                     一九二三、八、一、

仮睡硅酸の溶け残ったもやの中に
つめたい窓の硝子から
あけがた近くの苹果の匂が
透明な紐になって流れて来る。
それはおもてが軟玉と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯でいっぱいだから
巻積雲のはらわたまで
月のあかりは侵みわたり
それはあやしい螢光板になって
いよいよあやしい匂か光かを発散し
なめらかに硬い硝子さへ越えて来る。
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁ちかく
巻積雲にはいるとき
或ひは青ぞらで溶け残るとき
必ず起る現象です。
私が夜の車室に立ちあがれば
みんなは大ていねむってゐる。
その右側の中ごろの席
青ざめたあけ方の孔雀のはね
やはらかな草いろの夢をくわらすのは
とし子、おまへのやうに見える。
「まるっきり肖たものもあるもんだ、
法隆寺の停車場で
すれちがふ汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。」
父がいつかの朝さう云ってゐた。
そして私だってさうだ
あいつが死んだ次の十二月に
酵母のやうなこまかな雪
はげしいはげしい吹雪の中を
私は学校から坂を走って降りて来た。
まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
その藍いろの夕方の雪のけむりの中で
黒いマントの女の人に遭った。
帽巾に目はかくれ
白い顎ときれいな歯
私の方にちょっとわらったやうにさへ見えた。
( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)
私は危なく叫んだのだ。
(何だ、うな、死んだなんて
いゝ位のごと云って
今ごろ此処ら歩てるな。)
又たしかに私はさう叫んだにちがひない。
たゞあんな烈しい吹雪の中だから
その声は風にとられ
私は風の中に分散してかけた。
「太洋を見はらす巨きな家の中で
仰向けになって寝てゐたら
もしもしもしもしって云って
しきりに巡査が起してゐるんだ。」
その皺くちゃな寛い白服
ゆふべ一晩そんなあなたの電燈の下で
こしかけてやって来た高等学校の先生
青森に着いたら
苹果をたべると云ふんですか。
海が藍青に光ってゐる
いまごろまっ赤な苹果はありません。
爽やかな苹果青のその苹果なら
それはもうきっとできてるでせう。


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     津軽海峡
                     一九二三、八、一、

夏の稀薄から却って玉髄の雲が凍える
亜鉛張りの浪は白光の水平線から続き
新らしく潮で洗ったチークの甲板の上を
みんなはぞろぞろ行ったり来たりする。
中学校の四年生のあのときの旅ならば
けむりは砒素鏡の影を波につくり
うしろへまっすぐに流れて行った。
今日はかもめが一疋も見えない。
 (天候のためでなければ食物のため、
  じっさいベーリング海峡の氷は
  今年はまだみんな融け切らず
  寒流はぢきその辺まで来てゐるのだ。)
向ふの山が鼠いろに大へん沈んで暗いのに
水はあんまりまっ白に湛え
小さな黒い漁船さへ動いてゐる。
(あんまり視野が明る過ぎる
 その一つのブラウン氏運動だ。)
いままではおまへたち尖ったパナマ帽や
硬い麦稈のぞろぞろデックを歩く仲間と
苹果を食ったり遺伝のはなしをしたりしたが
いつまでもそんなお付き合ひはしてゐられない。
さあいま帆綱はぴんと張り
波は深い伯林青に変り
岬の白い燈台には
うすれ日や微かな虹といっしょに
ほかの方処系統からの信号も下りてゐる。
どこで鳴る呼子の声だ、
私はいま心象の気圏の底、
津軽海峡を渡って行く。
船はかすかに左右にゆれ
鉛筆の影はすみやかに動き
日光は音なく注いでゐる。
それらの三羽のうみがらす
そのなき声は波にまぎれ
そのはゞたきはひかりに消され
  (燈台はもう空の網でめちゃめちゃだ。)
向ふに黒く尖った尾と
滑らかに新らしいせなかの
波から弧をつくってあらはれるのは
水の中でものを考へるさかなだ
そんな錫いろの陰影の中
向ふの二等甲板に
浅黄服を着た船員は
たしかに少しわらってゐる
私の問を待ってゐるのだ。
 
いるかは黒くてぬるぬるしてゐる。
かもめがかなしく鳴きながらついて来る。
いるかは水からはねあがる
そのふざけた黒の円錐形
ひれは静止した手のやうに見える。
弧をつくって又潮水に落ちる
 (きれいな上等の潮水だ。)
水にはいれば水をすべる
信号だの何だのみんなうそだ。
こんなたのしさうな船の旅もしたことなく
たゞ岩手県の花巻と
小石川の積善寮と
二つだけしか知らないで
どこかちがった処へ行ったおまへが
どんなに私にかなしいか。
「あれは鯨と同じです。けだものです。」
 
くるみ色に塗られた排気筒の
下に座って日に当ってゐると
私は印度の移民です。
船酔ひに青ざめた中学生は
も少し大きな学校に居る兄や
いとこに連れられてふらふら通り
私が眼をとぢるときは
にせもののピンクの通信が新らしく空から来る。
二等甲板の船艙の
つるつる光る白い壁に
黒いかつぎのカトリックの尼さんが
緑の円い瞳をそらに投げて
竹の編棒をつかってゐる。
それから水兵服の船員が
ブラスのてすりを拭いて来る。

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     宗谷挽歌
                   (一九二三、八、二、)

こんな誰もいない夜の甲板で
(雨さへ少し降ってゐるし、)
海峡を越えて行かうとしたら、(漆黒の闇の美しさ。)
私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか。
それはないやうな因果連鎖になってゐる。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこからか私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
とし子が私を呼ぶといふことはない
呼ぶ必要のないとこに居る。
もしそれがさうでなかったら
(あんなひかる立派なひだのある
 紫いろのうすものを着て
 まっすぐのぼって行ったのに。)
もしそれがそうでなかったら
どうして私が一緒に行ってやらないだらう。
船員たちの黒い影は
水と小さな船燈との
微光の中を往来して
現に誰かは上甲板にのぼって行った。
船はまもなく出るだらう。
稚内の電燈は一列とまり
その灯の影は水にうつらない。
  潮風と霧にしめった舷に
  その影は年老ったしっかりした船員だ。
  わたしをあやしんで立ってゐる。
霧がばしゃばしゃふって来る。
帆綱の小さな電燈がいま移転し
怪しくも点ぜられたその首燈、
実にいちめん霧がぼしゃぼしゃ降ってゐる。
降ってゐるよりは湧いて昇ってゐる。
あかしがつくる青い光の棒を
超絶顕微鏡の下の微粒子のやうに
どんどんどんどん流れてゐる。
 (根室の海温と金華山沖の海温
  大正二年の曲線と大へんよく似てゐます。)
帆綱の影はぬれたデックにおち
津軽海峡のときと同じどらがいま鳴り出す。
下の船室の前の廊下を通り
上手に銅鑼は擦られてゐる。
 鉛筆がずゐぶんす早く
 小刀をあてない前に削げた。
 頑丈さうな赤髯の男がやって来て
 私の横に立ちその影のために
 私の鉛筆の心はうまく折れた
 こんな鉛筆はやめてしまへ
 海へ投げることだけは遠慮して
 黄いろのポケットへしまってしまへ。
霧がいっさうしげくなり
私の首すじはぬれる。
浅黄服の若い海員がたのしさうに走って来る。
「雨が降って来たな。」
「イヽス。」
「イヽスて何だ。」
「雨ふりだ、雨が降って来たよ。」
「瓦斯だよ、霧だよ、これは。」
とし子、ほんたうに私の考へてゐる通り
おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな
そんなしあはせがなくて
従って私たちの行かうとするみちが
ほんたうのものでないならば
あらんかぎり大きな勇気を出し
私の見えないちがった空間で
おまへを包むさまざまな障害を
衝きやぶって来て私に知らせてくれ。
われわれが信じわれわれが行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。
みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。
 ( おまへがこゝへ来ないのは
   タンタジールの扉のためか、
   それは私とおまへを嘲笑するだらう。)
呼子が船底の方で鳴り
上甲板でそれに応へる。
それは汽船の礼儀だらうか。
或ひは連絡船だといふことから
汽車の作法をとるのだらうか。
霧はいまいよいよしげく
舷燈の青い光の中を
どんなにきれいに降ることか。
稚内のまちの灯は移動をはじめ
たしかに船は進み出す。
この空は廣重のぼかしのうす墨のそら
波はゆらぎ汽笛は深くも深くも吼える。
この男は船長ではないだらうか。
 (私を自殺者と思ってゐるのか。
  私が自殺者でないことは
  次の点からすぐわかる。
  第一自殺をするものが
  霧の降るのをいやがって
  青い巾などを被ってゐるか。
  第二に自殺をするものが
  二本も注意深く鉛筆を削り
  ふんなあやしんで近寄るものを
  霧の中でしらしら笑ってゐるか。)
ホイッスラアの夜の空の中に
正しく張り渡されるこの麻の綱は
美しくもまた高尚です。
あちこち電燈はだんだん消され
船員たちはこゝろもちよく帰って来る。
稚内のまちの北のはづれ
私のまっ正面で海から一つの光が湧き
またすぐ消える、鳴れ汽笛鳴れ。
火はまた燃える。
「あすこに見えるのは燈台ですか。」
「さうですね。」
またさっきの男がやって来た。
私は却ってこの人に物を云って置いた方がいゝ。
「あすこに見えますのは燈台ですか。」
「いゝえ、あれは発火信号です。」
「さうですか。」
「うしろの方には軍艦も居ますがね、
あちこち挨拶して出るとこです。」
「あんなに始終つけて置かないのは、
 
〔この間原稿数枚なし〕
 
永久におまへたちは地を這ふがいい。
さあ、海と陰湿の夜のそらとの鬼神たち
私は試みを受けやう。

--〔文語詩稿一百編(82)〕----------------------------------
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(本文)
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     氷上

月のたはむれ薫ゆるころ、 氷は冴えてをちこちに、 さゞめきしげくなりにけり。
をさけび走る町のこら、 高張白くつらねたる、 明治女塾の舎生たち。
さてはにはかに現はれて、 ひたすらうしろすべりする、 黒き毛剃の庶務課長。
死火山の列雪青く、 よき貴人の死蝋とも、 星の蜘蛛来て網はけり。

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(下書稿5推敲後2)
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月のたはむれかほるころ
氷は冴えてをちこちに
さゞめきしげくなりにけり

をさけび走る町のこら
高張白くつらねたる
明治女塾の舎生たち

さてはにはかにあらはれて
ひたすらうしろすべりする
黒き毛剃の庶務課長

死火山の列雪青く
よき貴人あでびとの死蝋とも
星の蜘蛛来て網はけり

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(下書稿5推敲後1)
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月のたはむれかほるころ
氷は冴えてをちこちに
さゞめきしげくなりにけり

高張あまた立てつらね
影いかめしくそばだてる
明治女塾の舎監たち

さてはにはかにあらはれて
ひたすらうしろすべりする
黒き毛剃は知事の秘書

死火山の列雪青く
よき貴人あでびとの死蝋とも
星の蜘蛛来て網はけり

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(下書稿5推敲前)
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月のたはむれかほるころ
氷は冴えてをちこちに
さゞめきしげくなりにけり

をさけび走る町のこら
こよひも知事にしたがへる
黒き毛剃のつかさたち

死火山の列雪青く
よき貴人あでびとの死蝋とも
星の蜘蛛来て網はけり

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(下書稿4推敲後)
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月のたはむれかほるころ
氷は冴えてをちこちに
さざめきしげくなりにけり

死火山のつら雪青く
よき貴人あでびとの死蝋とも
星の蜘蛛居て網吐けり

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(下書稿4推敲前)
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月のたはむれかほるころ
氷は冴えてをちこちに
さざめきしげくなりにけり

腕組みかはしてさてはまた
あとすべりしてはてしなき
はがねの板をい行く児ら

ことばすくなくそばだてる
黒き毛剃の一むれは
知事としたがふつかさたち

死火山のつら雪青く
よき貴人あでびとの死蝋とも
星の蜘蛛来て網吐けり

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(下書稿3推敲後2)
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     スケート

氷は冴えてをちこちに
さゞめきしげくなりにけり
月のたはむれかほるころ

今宵も知事にしたがひて
恐れつさては息まける
黒き毛削の課長たち

死火山の列雪青く
よき貴人あでびとの死蝋とも
きら星の蜘蛛網吐けり

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(下書稿3推敲後1)
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     スケート

氷は冴えてもろびとの
さゞめきしげくなりにけり
月のたはむれかほるころ

ときにたちまちいきまきて
あとすべりしてあらはれし
黒き毛削は部長なり

死火山の列雪青く
きら星の蜘蛛網吐けば
こよひは知事を見ざりける

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(下書稿3推敲前)
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天は氷に影置きて
遠きはくらくまぢかには
月のたはむれかほるなり

白き首巻ほこらしく
わづかにすぐの線描くは
岩手師範の生徒なり

はじめは知事としたがひて
辛く氷をわたりける
若き学務の課長なり

死火山のつら雪青く
よき貴人あでびとの死蝋とも
星の蜘蛛来て網なせり

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(下書稿2)
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火星の月にこくすてふ
こよひは氷ははやなりて
かぐろき天をうつしたれ

たちまち蟹のかたちして
もぱらにうしろすべりする
毛皮まとへる紳士あり

そはもと知事にしたがひて
辛く氷を渡りける
学務部長と知られたり

死火山のつら雪青く
よき貴人の死蝋とも
星の蜘蛛もて網したり

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(下書稿1推敲後)
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県庁の給仕水をば入れしとか
この弦月と火星をうつし
鋼の板はいま成りて
首巻つけし学生ら
をちこち三五滑り居る

さあり西ぞらうち亘す
乳頭山 源太森
葛根田の上のあたりには
なほ青くして古めける
水あかりこそあえかなれ

ときにたちまちあらはれて
月夜の蟹のかたちして
もぱらにうしろすべりする
毛皮まとへる紳士あり

  (知るべしこれぞ部長なり
   はじめは知事にしたがひて
   辛く氷を渡りしに
   もはや人なみのわざに厭き
   もぱらにうしろすべりする)

葛根田谷の上なる
水あかりはや納まりて
あはれ見よ月あかり照る
死火山のかの一列は
年若くよき貴人の
死蝋もうち見えたるを
星の蜘蛛上に網せり

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(下書稿1推敲前)
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県庁の給仕水をば入れしとか
この弦月と火星をうつし
鋼の板はいま成りて
首巻つけし学生ら
をちこち三五滑り居る

さあり西ぞらうち亘す
乳頭山 源太森
葛根田の上のあたりには
なほ青くして古めける
水あかりこそあえかなれ

ときにたちまちあらはれて
月夜の蟹のかたちして
もぱらにうしろすべりする
毛皮まとへる紳士あり

  (知るべしこれぞ部長なり
   はじめは知事にしたがひて
   辛く氷を渡りしに
   もはや人なみのわざに厭き
   もぱらにうしろすべりする)

師範の寄宿の方に
自修云ふラッパの鳴りて
灯まれなる公園下を
濁み声に歌ふ声あり
紳士いま興いよよにて
さらにまたあとすべりする

葛根田谷の上なる
水あかりはや納まりて
あはれ見よ月あかり照る
死火山のかの一列は
年若きその貴人の
死蝋とも見ゆるならずや
星の蜘蛛上に網せり

--〔後記〕--------------------------------------------------

 「青森挽歌」「宗谷挽歌」「オホーツク挽歌」「石狩挽歌」と並
べると違和感がありませんが、最後のは歌謡曲ですね。帰りの汽車
で書いた「噴火湾」がなぜ「ノクターン」なのかもよくわかりませ
ん。

 ともあれ、後の「銀河鉄道の夜」につながる、日本最北端への旅
でした。

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