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オツベルと象を読んだことをきっかけに、宮沢賢治のことを調べています。北海道に3回来ているという話を聞いたのですが、自分が調べたところでは、大正11年に妹が死んだ時に樺太へ、13年に生徒を連れて場所はわかりませんが、北海道に修学旅行に、あと1回はいつどこに北かかわかりますか。もしも、わかりましたら修学旅行でどこに来たか知りたいです。
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宮沢賢治が北海道に行ったのは、1913年に盛岡中学校の修学旅行、1923年の樺太旅行、1924年の花巻農学校の修学旅行(このときは引率の先生でした。)の3度です。最初は中学生(今の高校生にあたる)のときだったのですね。最後の修学旅行の引率のときは、報告書を書いています。行った先は以下のようなところです。
小樽(高等商業学校・小樽公園)
札幌(植物園博物館、道庁・札幌麦酒会社・帝国製麻会社・北海道帝国大学・中島公園の植民館)
苫小牧
「修学旅行復命書」を読めば、いろいろとわかります。
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『注文の多い料理店』は、いい“いましめ”になる話だなぁ。と思っています☆
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注文の多い料理店を読んでとてもたのしかった。
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けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾(いく)きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。
「注文の多い料理店・序」より
==2006.02.18==
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反論っていいですか?泡がクラムボンだったら「ぼくのクラムボンは大きいねというんじゃないですか?
==2005.11.17==
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宮沢賢治さんの作品はどくとくでおもしろい。もっとたくさん物語りを読みたいです。
==2005.11.15==
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宮沢賢治がいろいろわかりました!ありがとうございました。
「やまなし」と「注文の多い料理店」は、読んだ事があります!他の作品も読みたいです。
==2005.11.10==
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私はかにの母親だと思います
==2005.11.10==
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私はクラムボンは空に浮かぶ雲だと思います!
水のせせらぎで雲がぼやけて見えて笑ったりしたようにみえたのでは???
==2005.11.02==
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宮沢さんは命の大切さを教えたいのでは・・・
==2005.11.01==
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クラムボンはやはり未知なる深海に住む生物だと考えています。みんなは、どう思うかおしえてください。
==2005.10.31==
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僕は、クラムボンとは『人間』だと思います。
==2005.10.07==
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私の教科書にのってたやまなしの話はちょっとむずかしそうだな思って読んでみたら
結構おもしろかった!
==2005.09.28==
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「やまなし」のクラムボン、私は最初「影」のことだと思っていました。(妹さんではないと思いますが・・・失礼ですね・・ごめんなさい。)それはともかく、私が思ったことを書かせたいただきます!
え〜と、まず2枚の幻灯のうち、1枚目はなんか戦いのようなものが、感じられちゃいます。そして、次の1枚は和な世界を表しているんだと思います。そして、題名の「やまなし」は2枚目の幻灯に出てくる言葉なので、賢治さんはやっぱり「平和」な世界を、望んでいたんでしょうか・・・。
==2005.05.09==
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私が、子供のとき国語の教科書で習った「やまなし」
に出てきたクラムボンは「カプカプ」ではなく、「クプクプ」笑ってたような気がするのですが、気のせいでしょうか?
==2005.02.19==
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わかりました!クラムボンは賢治sの妹さんのとしさんなのですね!隣の席の子と話してて、わかりました!名前をあえてふせたんですね・・・でも勉強の参考になったらいいです。
==2004.10.04==
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私はクラムボンは泡だと思う。カニのはきだした。それに対して、笑ったよとか言うんだと思う。だって、魚がつうと通り過ぎた後クラムボンは死んでしまったから。でも答えはない。研究中らしいですね。宮沢さんにしか分からない事ですもん!それが宮沢さんらしいなぁと思います。
==2004.10.04==
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私はクラムボンは(やまなしで、でてくる)泡だと思います。
私もやまなしを読んでみました「クラムボンは
カプカプ笑ったよ。」の所は日光があたって笑ったように
見えたのかもしれない。「クラムボンは死んだよ。」の所はお日様が雲にかくれて見えなくなったのかもしれない。
あと幻灯なんだから存在しない者(妖精とか)そうゆう表現豊かな者だと私は思う。
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二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳てわらったよ』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
「やまなし」より
==2003.10.25==
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これから、学校で宮沢賢治の作品「オツベルと象」を
習います!
なので、宮沢賢治について調べました!
調べれば調べるほど、宮沢賢治がスゴイ人だって
事がわかりました!!
みなさんもぜひ調べてみてください!
面白いですよ!
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オツベルときたら大したもんだ。稲扱器械の六台も据えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
「オツベルと象」より
==2003.05.10==
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宮沢賢治の作品は、全部でいくつあるか。また、その作品をいつつっくたか、教えて下さい。
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感想とは違うのですが、このページからいただいた質問ですので、ここに書きます。
賢治の作品は数え方にもよりますが、童話で100編ほど、詩は800編以上あります。
(その他に短歌などもあります。)
原稿用紙で三千枚ほど残されているという話です。
書いた時期はよくわかりません。賢治の原稿は何度も上から書き直されているので、死ぬ直前まで、書き直していた作品が多かったと思います。
子供のときから書いていたのではなさそうです。だいたいが学校を卒業したあたりから書いたものですね。
そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあいだから、夕陽は赤くななめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のようにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほんとうの精神を語りました。
「鹿踊りのはじまり」より
==2002.07.06==
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宮沢賢治さんの「やまなし」を今学校でやっています。
賢治さんの本はとっても感動もするし楽しい本です。
みなさんぜひ1冊でも読んで見てください。
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間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔をあげ、やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。
『どうだ、やっぱりやまなしだよ、よく熟している、いい匂いだろう。』
『おいしそうだね、お父さん』
『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰って寝よう、おいで』
「やまなし」より
==2002.06.26==
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今度、(二週間後くらい)に修学旅行で岩手にいきます。岩手と言えば宮沢賢治!記念館にも行くことになってます。楽しみです♪
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わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
きままな林務官のやうに
五月のきんいろの外光のなかで
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
たのしい太陽系の春だ
みんなはしったりうたったり
はねあがったりするがいい
(コロナは八十三萬二百……)
「小岩井農場 パート四」より
==2002.05.04==
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実は今、『蛙のゴム靴』を読んでいます。入道雲の描写がとても気に入ってます。
「・・・まっしろなプクプクした、玉髄のやうな、玉霰のやうな、又淡白石を刻んでこさへた葡萄の置物のやうな雲の峰は、・・・」
ホント立派ですよね。蛙でなくても金色に染まって崩れるまで雲見したいです。図鑑で玉髄の写真を見て「ああ、なるほど!」と思ったり(笑)。
賢治さんの作品は、突っ込めば突っ込むほど楽しめるので大好きです。
タケ 19歳 大学生です
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ある夏の暮れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座って、雲見ということをやって居りました。一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峯を見ることが大すきです。じっさいあのまっしろなプクプクした、玉髄のような、玉あられのような、又蛋白石を刻んでこさえた葡萄の置物のような雲の峯は、誰の目にも立派に見えますが、蛙どもには殊にそれが見事なのです。眺めても眺めても厭きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、丁度花見とか月見とかいう処を、蛙どもは雲見をやります。
「蛙のゴム靴」より
==2002.03.26==
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小学校のとき、3年間連続で担任をしてくださった先生が教えてくれた
「よだかの星」に図書館で偶然に再会しました。
あのときには、わからなかった色々なことが、この年齢になってやっと
わかったような気がします。
あの「よだか」という名は、夜鷹(夜に自分を売っていた女の人)
と関係があるのでしょうか。
みにくいといわれ、さげすまれ、死にあこがれて、心は美しく生きて、
星になってしまった「よだかの星」に似ているように感じます。
今、シングルママとなってがんばっている自分には「よだかの星」がとても心に響きました。
まあちゃん(38)
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寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、
はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。
つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。
よだかははねがすっかりしびれてしまいました。
そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。
そうです。これがよだかの最后でした。もうよだかは落ちているのか、
のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、
わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、
その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、
たしかに少しわらって居りました。
「よだかの星」より
==2002.01.24==
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