<イーハトーブ観光案内>

私はかま猫です。猫の事務所がなくなったので、観光案内所で働いています。イーハトーブ県内の観光名所をご案内しますので、どしどし質問を寄せてください。
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ホームページ(お持ちであれば):
ここに質問などを記入して,下の「送信」をクリックしてください。
かま猫さん、こんにちは!宮沢賢治さんのかーんたんな性格などを教えて下さい!お願いしまーす☆

 まずはやさしい人だったでしょうね。自分より人のことを大切にする人でした。

 案外負けず嫌いで意地っ張りなところもあったように思います。今残っている写真は、わざわざ写真屋さんにとってもらったものだそうです。おしゃれな人でもあったのかもしれません。

 子供のころはいたずらなどもたくさんした、明るい人でした。勉強などではとても頑張る人でしたが、出世のための勉強などは嫌っていたと思います。

 もっと長生きをして、世の中の役に立つ人になりたかったでしょうね。

「この子供が大きくなってね、それからまっすぐに立ちあがってあらゆる生物のために、無上菩提を求めるなら、そのときは本当にその光がこの子に来るのだよ。それは私たちには何だかちょっとかなしいようにも思われるけれども、もちろんそう祈らなければならないのだ。」
「氷と後光(習作)」より
==2005.12.10==
こんにちは。イーハトーブは岩手県の大きさの理想の世界ですよね。では、内部の様子の地図はありますか?

 宮沢賢治さんは地図は作って置かなかったようですね。イーハトーブではいろいろと不思議なことがおこります。風が吹いてくるとレストランが現れたりしますので、正確な地図は描けなかったのではないでしょうか。

 今でもいろんな研究者の人が、イーハトーブを探検しては報告してくれています。子供むきのものはあまりないので、いずれそういうものを読んで、調べていってください。

深い海の森や、風や影、月見草や、不思議な都会、ベーリング市迄続く電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終り頃から、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとつてゐる。
「『注文の多い料理店』広告ちらし」より
==2005.12.03==

こんにちは☆かま猫さん!わたしは、現在小6の女の子です。今、学校では、宮澤賢治さんのことについてしらべています。。。ここで質問です。

(1)他のホームページでわ、わかっていないようなプロフィールをおしえてください。

(2)1度宮澤賢治殺害事件というホームページ見たのですがほんとうですか?たぶん、うそだと思いますが、正確な情報ほしいので、回答ョろしくゥおねぇがいしまぁ〜す!

 プロフィールについては、このページ以外にも、いろいろと出てきますので、自分で探してみてください。

 「宮沢賢治殺人事件」という本の話ではないでしょうか。この本は宮沢賢治について、いろいろと調べた本です。著者のお母さんが宮沢賢治と関係のあった人だそうです。題名は変わっていますが、中身は普通の本です。

 でも、子供が読むような本ではないので、無視しておきましょう。

けだしわたくしはいかにもけちなものではありますが
自分の畑も耕せば
冬はあちこちに南京ぶくろをぶらさげた水稲肥料の設計事務所も出して居りまして
おれたちは大いにやらう約束しやうなどといふことよりは
も少し下等な仕事で頭がいっぱいなのでございますから
さう申したとて別に何でもありませぬ
「春と修羅第2集・序」より
==2005.10.01==
「注文の多い料理店」で山猫が出てくるとき風が吹くのはなぜですか?

 どうしてでしょうね。理由はちょっとわかりません。

 賢治の作品では、何かがおこるときに風が吹くことが多いのです。「注文の多い料理店」でも、二人の紳士を助けに犬がやってきたとき、「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。」というふうになります。

 人間とは違う世界のものがやってきたり、去ったりするときに風が吹くのでしょうか。

 そのとき、風がどうと吹いてきて、草はいちめん波だち、別当は、急にていねいなおじぎをしました。

 一郎はおかしいとおもって、ふりかえって見ますと、そこに山猫が、黄いろな陣羽織のようなものを着て、緑いろの眼をまん円にして立っていました。やっぱり山猫の耳は、立って尖っているなと、一郎がおもいましたら、山ねこはぴょこっとおじぎをしました。一郎もていねいに挨拶しました。

「どんぐりと山猫」より
==2005.09.17==
賢治の理想とは何ですか

 宮沢賢治は仏教(法華経)の熱心な信者でした。だから法華経というお経をみんなが信仰することを願っていました。

 最後に遺言として、法華経を印刷して知人に配るようにお父さんに頼んでいます。そこにはこう書かれていたそうです。

 『私の生涯の仕事はこの経をあなたのお手もとに届け、そしてその中にある仏意に触れて、あなたが無上道に入られますことを』

 これが賢治の最後の願いです。

もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
「告別」より
==2005.02.05==
作品に出てくる中で一番のご馳走はなんでしょうか?

 そういえば宮沢賢治の童話では、あまりごちそうの話は出てきませんね。ペンネンネンネンネン・ネネムが食べることを許された「藁のオムレツ」とか、「水仙月の四日」で出てくる「カルメラ」とか…。

 中でも一番のごちそうは、やはりオツベルが食べていたビフテキやオムレツでしょうか。さすがに「オツベルときたら大したもんだ。」です。

 小屋はずいぶん頑丈で、学校ぐらいもあるのだが、何せ新式稲扱器械が、六台もそろってまわってるから、のんのんのんのんふるうのだ。中にはいるとそのために、すっかり腹が空くほどだ。そしてじっさいオツベルは、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらいのビフテキだの、雑巾ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。
「オツベルと象」より
==2005.01.29==
宮澤賢治さんの血液型は何型でしょうか。 それから、東京の国柱会で下足番に雇ってもらおうと上京したそうですが、賢治さんは日蓮宗の総本山の身延山久遠寺には参詣したことがあるのでしょうか。

 血液型は宮沢賢治が生きていた時代にはまだよくわかっていなかったので、その人がどんな血液型だったのかという記録はありません。

 身延山へ行ったという記録は残っていないようですが、賢治は東京で暮らしていた期間もありましたので、行ったことがある可能性は充分あると思います。妹トシの遺骨を静岡県にある国柱会本部へ納骨したという話もあります。そのときに行った可能性があるのではないでしょうか。

共は分子の形や構造は勿論その存在さえも見得ないのです。しかるに。この様な、或は更に小さなものをも明に見て、すこしも誤らない人はむかしから決して少くはありません。この人たちは自分のこころを修めたのです。
「手紙 三」より
==2004.10.04==
賢治の時代にイーハトーブで花火大会はあったのでしょうか?いまはどうですか?

 作品の中に花火大会は出て来ないと思います。モーリオやセンダードというのは 大きい町でしたから、きっと花火大会もあったと思います。

 「銀河鉄道の夜」のケンタウル祭でも、花火はしていますが、花火大会というようなものではなかったようです。

 現在?はわかりませんね。

 空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。子どもらは、みんな新らしい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、 「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。
「銀河鉄道の夜」より
==2004.10.04==
物語の年表は、ないのですか?

 たぶん、宮沢賢治の作品が、いつできたかを並べた年表のことを聞いているのだと思います。

 宮沢賢治の作品は一部を除いて、雑誌に発表されたり、本になって出版されたりしたものではありません。

 宮沢賢治の死後、残された原稿があり、そこから私たちの知っている作品として全集に載せられたものです。

 原稿用紙や文字などを手がかりに、いつごろ書いたものか推測はされていますが、確かなところは わかりませんので、年表にはならないと思います。

 平太はいろいろ考えた末二十円の大きな大きな革のトランクを買いました。けれどももちろん平太には一張羅の着ている麻服があるばかり他に入れるようなものは何もありませんでしたから親方に頼んで板の上に引いた要らない絵図を三十枚ばかり貰ってぎっしりそれに詰めました。
「革トランク」より
==2004.10.04==
風の又三郎もイーハトーブ県内のお話ですか?

 イーハトーブというのは「岩手」という言葉からきているそうですが、 漠然とした名前で「県」だったかどうかはわかりません。

 「風の又三郎」もはっきり書かれていませんが、イーハトーブという 架空の国での話には違いないと思います。そこでは山猫が話をしたり、 いろいろと不思議なことが起りますが、実際の日本岩手県とごく近い 関係にあるのは確かです。

 谷川の岸に小さな学校がありました。
 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけであとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたがすぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし運動場の隅にはごぼごぼつめたい水を噴く岩穴もあったのです。
「風の又三郎」より
==2004.10.04==
学校の先生だった賢治は、どんな先生だったのですか?

 学校といっても農業学校で、今の高校のようなところです。そこで化学や数学や英語を教えていました。

 とても変わった先生だったそうですが、生徒には人気がありました。みんなで歩いて温泉に行ったり もしたそうですよ。

 たった4年でやめてしまったのは残念なことでした。

〔向うの崖をごらんなさい。黒くて少し浮き出した柱のような岩があるでしょう。あれは水成岩の割れ目に押し込んで来た火山岩です。黒曜石です。〕ダイクと云おうかな。いいや岩脈がいい。〔ああいうのを岩脈といいます。〕わかったかな。
「台川」より
==2004.10.04==
注文の多い料理店で、最後に待ちかまえていた、 料理店のオーナーは、一体何なのですか? 動物?それとも人間?

話の中では「山猫軒」の「親分」になっていますね。

山猫といえば「どんぐりと山猫」にも立派な山猫が登場します。 こちらは本物の山猫のようですが、人間の言葉をしゃべりますし、 人間に限りなく近いようです。

「ポラーノの広場」では山猫博士とういのが出てきて、 これは人間です。

「注文の多い料理店」の「山猫」は姿を見せませんが、 犬にやられて逃げてしまいますから、どうも本物の山猫のようです。

ただし、イーハトーブでは動物も人間と同じようにふるまいますから、 「山猫のような人間」「人間のような山猫」どちらであってもおかしくないです。

姿を見せないところから、「山猫の名乗る怪物」のようなものという 考えもできますね。

あとはあなたが想像して楽しめばよいと思います。

 奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、
   「いや、わざわざご苦労です。
    大へん結構にできました。
    さあさあおなかにおはいりください。」
と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこっちをのぞいています。
「注文の多い料理店」より
==2004.07.03==
 花巻の方言について教えてください。

 花巻の言葉は他の地方の人にはわかりにくいですね。南部方言といって、 岩手県はだいたいこの言葉になるようです。

 しゃべり方は再現できませんが、花巻方言の単語はつぎのところで紹介されています。
http://www3.ocn.ne.jp/~mamoru.i/pf/02/h2092931.html
http://www.tonotv.com/members/oidesc/hogen/table.html

海だべがど、おら、おもたれば
やっぱり光る山だたぢゃい
ホウ
髪毛〔かみけ〕 風吹けば
鹿〔しし〕踊りだぢゃい
「高原」より
==2003.11.22==
「意見」をいただきましたので、「感想の広場」に掲載しました。
 イーハトーウ゛の中の場所は、ひとつの場所でも、いろいろな作品に出てくるそうですが、一つ一つの作品に出てくる場所の名前を教えて下さい。

 マリオ、モリーオ、ハームキヤ、センダードなどが有名ですね。今のどの街なのかわかりますか?

 作品については、一つ一つ読んでみてください。地名が出てきたり、出てこなかったりしますが、 出てきた地名を今の地図で探すのも面白いですよ。

 そして八月三十日の午ごろわたくしは小さな汽船でとなりの県のシオーモの港に着きそこから汽車でセンダードの市に行きました。
「ポラーノの広場」より
==2003.07.26==
賢治は、「やまなし」をかいたそうですが、やまなしは 最後の方にしかでないのに、どうしてだいめいになったの ですか?

 それはやっぱり「幻燈」だからでしょうね。最後の幻燈にやまなしが映っていたら、 やっぱりそれを覚えているでしょう?だから題名にしたのではないでしょうか。

 間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔をあげ、やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。
「やまなし」より
==2003.07.19==
賢治の妹をもとにしたお話は、どんなものがあるんですか?

 一番それらしいのは「手紙四」と呼ばれているお話ですね。

 「作品館」で読めますから、読んでみてください。

 ポーセはチュンセの小さな妹ですが、チュンセはいつもいじ悪ばかりしました。ポーセがせっかく植えて、水をかけた小さな桃の木になめくじをたけて置いたり、ポーセの靴に甲虫を飼つて、二月もそれをかくして置いたりしました。
「手紙四」より
==2003.07.19==
イーハトーブは賢治の出身地の岩手県の形に似ているそうですがほんとですか?

 本当です。というより、イーハトーブは理想化された日本東北岩手県そのものなんですね。

 だから「イーハトーブ地図」を書くと岩手県と同じ形になってしまいそうです。

けさはじつにはじめての凛々しい氷霧ひゃうむだったから
みんなはまるめろやなにかまで出して歡迎した
「イーハトヴの氷霧」より
==2003.07.12==
作者は潮干狩をしたことがないのですか?
 宮沢賢治の生まれ育った岩手県花巻市は内陸の土地ですから、 潮干狩りというのはしなかったでしょうね。  大人になってから、海岸を旅行したりしていますが、 たぶん潮干狩りをしたことはないと思います。
海だべがど、おら、おもたれば
やっぱり光る山だたぢゃい
ホウ
髪毛かみけ 風吹けば
鹿しし踊りだぢゃい
「高原」より
==2003.07.12==
やまなしで、クラムボンなど意味不明な言葉は、どうやって想像して考えて作っているのですか?

 本当のところはは賢治さんに聞いてみないとわからないですね。

 彼の作品を読んでいると、いろいろな音を言葉であらわしています。そんな言葉が 聞こえていたのかもしれません。また、虫が踊っているのが文字に見えたりもしています。 不思議なものが見えたり、聞こえたりしたのだと思います。

日はきんの薔薇
赤いちいさな蠕蟲が
水とひかりをからだにまとひ
ひとりでおどりをやってゐる
(えゝ、エイト γ〔ガムマア 〔イー 〔スイックス αアルファ
 ことにもアラベスクの飾り文字))
「蠕蟲舞手」より
==2003.07.12==
イーハトーブで一等星空の美しいところはどこですか?

 やっぱり高い山でしょうか。イーハトーブのもとになった岩手県の山の中でも、 やっぱり一番高いのは岩手山です。賢治はよく山頂までのぼっています。

さうさう、北はこっちです
北斗七星は
いま山の下の方に落ちてゐますが
北斗星はあれです
それは小熊座といふ
あの七つの中なのです
それから向ふに
縦に三つならんだ星が見えませう
下には斜めに房が下がったやうになり
右と左には
赤と青と大きな星がありませう
あれはオリオンです、オライオンです
あの房の下のあたりに
星雲があるといふのです
いま見えません
その下のは大犬のアルファ
冬の晩いちばん光って目立つやつです
「東岩手火山」より
==2003.07.05==
なぜ、やまなしという物語のなかで、宮沢さんは、意味不明な言葉を作るのですか?

 それはやっぱり「幻燈」だからでしょうね。

 幻燈というのは昔、電燈やロウソクの火の前に、フィルムをおいて、 その影を壁などに映したものです。

 光の具合でちらちらゆれたり、ちょっとキズがついていたりして、 不思議な影がたくさん写ったものでした。

 そういう情景を言葉で再現しようとしたのではないでしょうか。

『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳てわらったよ』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
「やまなし」より
==2003.07.05==
大そろしないとはどういう意味ですか??

いろいろ聞いてみたのですが、どうもよくわかりません。 花巻の方言なのでしょうか?

 オツベルときたら大したもんだ。稲扱器械の六台も据えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
「オツベルと象」より
==2003.07.05==
宮沢さんの人生が大きくかわったことおしえてください。

 高等農林への入学、農学校の先生になる、妹の死、 退職して自活生活をはじめる、結核で倒れる、いろんなことが ありましたが、若いときに法華経に出会ったのが一番大きく 宮沢賢治という人の人生を変えた事件だと思います。

  帰命妙法蓮華経
  生もこれ妙法の生
  死もこれ妙法の死
  今身より仏身に至るまでよく持ち奉る
「(一九二九年二月)」より
==2003.05.24==
賢冶さんが最後にいいのこしたことばを、おしえてください。

 死の床で、おとうさんにこう言ったそうです。
「国訳の妙法蓮華経を千部、つくってください。それから、 私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そして あなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい、正しい道に 入られますようにということを書いておいてください。」

 おとうさんは「たしかに承知した。おまえもなかなかえらい。」 といいました。そして賢治は
「おれもとうとうおとうさんにほめられたもな。」と微笑したそうです。

 最後に、こんな短歌も残しています。

方十里 稗貫のみかも
稲熟れて み祭三日
     そらはれわたる

病(いたつき)のゆゑにもくちん
         いのちなり
 みのりに棄てば
      うれしからまし
「辞世二首」より
==2003.05.17==
宮沢賢治さんの短歌で、有名なのは、なんですか?

 あまり知られていませんが、宮沢賢治は短歌もたくさん書いています。 中学校入学時から、死の直前のものまであります。

 一番最初の中学校入学のときの短歌はとてもよいですよ。

中の字の徽章を買ひにつれだちてなまあたたかき風に出でたり

父よ父よなどて舎監の前にして大なる銀の時計を捲きし
「歌稿B」より
==2003.05.10==
ポラーノの広場は、どこにあるんですか。どうやっていくんですか。

 ポラーノの広場はイーハトーブの野原で、つめくさの花の番号を数えて探すのだそうです。

 つめくさの花に番号が書いてあることが、もう不思議ですね。

 イーハトーブの野原がどこにあるか、私にもわかりません。そのかわり、インターネットの世界に 「こどものためのポラーノの広場」をつくりました。ここが一つのつめくさの花です。

「ポラーノの広場? はてな、聞いたことがあるようだなあ。何だったろうねえ、ポラーノの広場。」

「昔ばなしなんだけれどもこのごろまたあるんだ。」

「ああそうだ。わたしも小さいとき何べんも聞いた。野はらのまんなかの祭のあるとこだろう。あのつめくさの花の番号を数えて行くというのだろう。」

「ポラーノの広場」より
==2003.04.14==
宮沢さんの作品をどのようにおもったか感想を聞かせてください

 私は子どものころはあまり読んでいなくて、中学校に行ってから、 「宮沢賢治詩集」と「銀河鉄道の夜」が大好きになりました。

 「銀河鉄道の夜」は読んでいると遠いところにいるような気がして、 ぼぉーっとしてくるのがよかったですね。

 何だか一人ぼっちで孤独なような気がしていたんですが、 親や他の大人の人なんかも、ちゃんと見守っていてくれる…。 夢の世界から見ると、そういう風に思えたものでした。

 ここを読んでいる皆さんの感想を集めて、「感想のページ」を作ろうと思います。 上の欄に入力して、「送信」するか、私あてにメールを送ってください。

 送り先はwhy@kenji.ne.jpです。

 清作はそこで林を出ました。柏の木はみんな踊のままの形で残念そうに横眼で清作を見送りました。
 林を出てから空を見ますと、さっきまでお月さまのあったあたりはやっとぼんやりあかるくて、そこを黒い犬のような形の雲がかけて行き、林のずうっと向うの沼森のあたりから、
「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」と画かきが力いっぱい叫んでいる声がかすかにきこえました。
「かしわばやしの夜」より
==2002.01.20==
 私は、教科書にのってる「やまなし」を読んで考えたのですが、 どうしてもクラムボンがなになのかわかりません。  どんな姿なのかだけでも、知りたいです。

 まず、クラムボンというのが、蟹かどうかが問題です。 蟹でなかったら、もう何がなんだかわからないですね。

 でも、「かぷかぷわらったよ。」と云っていますから、 蟹なんじゃないかな?蟹は泡を吹いたりしますから。

 蟹だとすると、蟹の兄弟のお母さんが登場しませんので、 お母さんかもしれません。また、兄弟の死んだ妹ではないか? とも思います。

 作者の賢治自身、すぐ下の妹を亡くして、その悲しみを うたった詩をたくさん書いています。

 《ギルちゃんまっさをになってすわってゐたよ》
 《こおんなにして眼は大きくあいてたけど
  ぼくたちのことはまるでみえないやうだったよ》
 《ナーガラがね 眼をぢっとこんなに赤くして
  だんだんをちいさくしたよ こんなに》
 《し、環をお切り そら 手を出して》
 《ギルちゃん青くてすきとほるやうだったよ》
 《鳥がね、たくさんたねまきのときのやうに
  ばあっと空を通ったの
  でもギルちゃんだまってゐたよ》
 《お日さまあんまり變に飴いろだったわねえ》
 《ギルちゃんちっともぼくたちのことみないんだもの》
  ぼくほんたうにつらかった》
 《さっきおもだかのとこであんまりはしゃいでたねえ》
 《どうしてギルちゃんぼくたちのことみなかったらう
  忘れたらうかあんなにいっしょにあそんだのに》
「青森挽歌」より
==2001.11.13==
やまなしについて、わかりやすく、解説してください!

 「やまなし」は教科書にのっているのでしょうか? なぜ、あの話が小学校の教科書にのるのか、ちょっとふしぎですね。

 あれは「幻燈」ということで書かれています。 読んでいて、カニたちの住んでいる場所がどんなところか、 わかりますか?

 谷川の水の底に、カニの家族が住んでいる(なぜかお母さんは登場しません)。 という設定ですね。その水中から、空を見ると、水面がゆれて、 何だか別の世界があるようです。

 そこから、青いものが急にあらわれて、魚をさらっていきます。 人間が死ぬときも、何かが、どこかへ、さらって行くのでしょうか。

 でも、その恐ろしい別世界からも、ときどき「やまなし」が落ちてきて、 よい香りを出したり、おいしいお酒になったりするわけです。

 私たちはその別世界との交流の道をさぐったり、 またそこからやってくるものの意味を考えたり、 しながら、この幻燈を見てやってください。

その時です。俄に天井に白い泡がたって、青びかりのまるでぎらぎ らする鉄砲弾のようなものが、いきなり飛込んで来ました。  兄さんの蟹ははっきりとその青いもののさきがコンパスのように 黒く尖っているのも見ました。と思ううちに、魚の白い腹がぎらっ と光って一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが、それ っきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆらゆら ゆれ、泡はつぶつぶ流れました。  
「やまなし」より
==2001.11.05==
どうすれば、イートハーブに自由に行ったり来たりできるようになれますか。

イーハトーブへの行きかたですね。 イーハトーブは、宮沢賢治の作品の舞台になったところです。 今までも、多くの人が、賢治の作品を読んで、イーハトーブを旅してきました。 だから、賢治の本を読めば、自由にイーハトーブへ行けるはずです。

ただ、これはあくまで、個人的な手段ですので、小学生にとっては難しいかもしれません。 そこで、この観光案内を作ってみました。 インターネットの回線を使っても行けるようになったというのは、 こうした案内を利用していただきたい、ということです。

インターネットには、さまざまな世界への入口があります。 イーハトーブへの入口もたくさんありますが、ここはその入口の一つです。

賢治の作品には、童話の世界、詩の世界がありますが、 童話の世界の方が、通りやすいと思いますので、ぜひ 童話館 を訪問してください。

「宮沢賢治の作品を読んで、イーハトーブに行く」というのは、案外難しいかもしれません。 でも、じっくり読んでいったら、きっと行けるようになります。 難しいところがあったら、またご相談ください。 うまく行けたら、どんなところだったか、教えてくれればうれしいです。

おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
「農民芸術概論綱要」より
==2001.03.25==
賢治の身長、体重などはいくつですか?
それと、賢治の学生のころの成績など教えてください。

困りました。どうも賢治の身長・体重についての、詳しいデー タが見つからないのです。小学校卒業の頃の記録には、

  身長 133.9p  体重 29s  胸囲 60p

とあるようですが、今の小学生と比べて、どうでしょうか。

たぶん、今の小学生はもっと大きいと思います。でも、当時 (宮沢賢治は1909年に小学校を卒業しています。)の日本人は、 今より小さかったと思います。賢治は中肉中背、そんなに小さ な人ではなかったのではないでしょうか。

晩年の賢治の手紙では、「体重十一貫」と自分で書いています。 一貫=3.75キロとすると、40キロくらいですから、大人 としては、ずいぶん軽かったようです。これはやはり病気のせ いで、元気な頃にはもっとあったと思います。

成績は、小学校の頃は、ずいぶん良かったようです。当時は、 「甲乙丙丁」という評価で、甲が一番良かったのですが、賢治 は「全甲」でした。今でいう「オール5」ですね。(こんな言 い方はもうしないかも知れませんが。)

中学校ではあまりよくなかったのですが、今の大学にあたる、 盛岡高等農林には、首席入学しています。これは入学試験の成 績がトップだったという意味です。

宮沢賢治という人は、家庭的にも恵まれていたのでしょうが、 ずいぶんと努力し、勉強する人だったと思います。

==2001.03.16==
イ−ハト−ブの意味は何?
イーハトーブ、イーハトヴ、イーハトブ、イーハトーボ、イーハトーヴォ、 イエハトブ、イーハトーヴなど、いろんな書き方があります。これは エスペラントという、国際語として考案された言葉で、「岩手」をあら わしたものと思います。言葉の最後の音が変化するのが、この言語の特徴ですね。
日本の一地方が、そのままで国際的な存在になる、ということが賢治の理想 でもあったと思います。こうして、「盛岡」が「モリーオ」、 「仙台」が「センダード」、「花巻」が「ハームキヤ 」などと、童話の中に登場します。

     イーハトヴの氷霧

けさはじつにはじめての凛々しい氷霧ひゃうむだったから
みんなはまるめろやなにかまで出して歡迎した
==2001.03.08==
イーハトーブというのは、どこにあるのですか?
宮沢賢治は、「注文の多い料理店」の広告で、次のように書いています。
イーハトヴは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば それは、大小クラウス立ちの耕してゐた、野原や、少女アリスガ辿 った鏡の国と同じ世界の中、テーパンタール砂漠の遥かな北東、イ ヴン王国の遠い東と考へられる。実にこれは著者の心象中に、こ の様な情景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県 である。そこではあらゆることが可能である。人は一瞬にして氷 雲の上に飛躍し大循環の風を従へて北に旅する事もあれば、赤い花 杯の下を行く蟻と語ることもできる。
と書いています。 今までは交通の手段がなかったのですが、インターネット回線がつながりましたので、この回線を使ってご案内できるようになりました。