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或る農学生の日誌

      序

 ぼくは農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼく の日誌を公開する。

 どうせぼくは字も文章も下手だ。ぼくと同じやうに本気に仕事に かゝった人でなかったらこんなもの実に厭な面白くもないものにち がひない。いまぼくが読み返して見てさへ実に意久地なく野蛮なや うな気のするところがたくさんあるのだ。ちゃうど小学校の読本の 村のことを書いたところのやうにじつにうそらしくてわざとらしく ていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんたうだから仕方 ない。ぼくらは空想でならどんなことでもすることができる。けれ どもほんたうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事 をまじめにしてゐるともう考へることも考へることもみんなぢみな、 さうだ、ぢみといふよりはやぼな所謂田舎臭いものに変ってしまふ。

 ぼくはひがんで云ふのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろ いろな仕事のことを云ひながらはたらいてゐるところを読んだら、 ぼくを軽べつする人がきっと沢山あるだらう。そんなやつをぼくは 叩きつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかさうでなければ妬む ことしかできないやつらはいちばん卑怯なものだと思ふ。ぼくのや うに働いてゐる仲間よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界か ら無くしてしまはうでないか。

一九二五、四月一日 火曜日 晴

 今日から新らしい一学期だ。けれども学校へ行っても何だか張合 ひがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居ない。居ない のでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶を待ってそっと横 眼で威張ってゐる卑怯な上級生が居ないのだ。そこで何だか今まで 頭をぶっつけた低い天井裏が無くなったやうな気もするけれどもま た支柱をみんな取ってしまった桜の木のやうな気もする。今日の実 習にはそれをやった。去年の九月古い競馬場のまはりから堀って来 て植て置いたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだらうとみんな 思った。なぜならこれからちゃうど小さな根が出るころなのに西風 はまだまだ吹くから幹がてこになってそれを切るのだ。けれども菊 池先生はみんな除らせた。花が咲くのに支柱があっては見っともな いと云ふのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余もある。菊池 先生は春になったのでたゞ面白くてあれを取ったのだとおもふ。

 その古い縄だの冬の間のごみだの運動場の隅へ集めて燃やした。 そこでほかの実習の組の人たちは羨ましがった。午前中その実習を して放課になった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だ といふ。午后はみんなでテニスコートを直したりした。

四月二日 水曜日 晴

 今日は三年生は地質と土性の実習だった。斉藤先生が先に立って 女学校の裏で洪積層と第三紀の泥岩の露出を見てそれからだんだん 土性を調べながら小船渡こぶなとの北上の岸へ行った。河へ出 てゐる広い泥岩の露出で奇体なギザギザのあるくるみの化石だの赤 い高師小僧だのたくさん拾った。それから川岸を下って朝日橋を渡 って砂利になった広い河原へ出てみんなで鉄鎚でいろいろな岩石の 標本を集めた。河原からはもうかげらふがゆらゆら立って向ふの水 などは何だか風のやうに見えた。河原で分れて二時頃うちへ帰った。

 そして晩まで垣根を結って手伝った。あしたはやすみだ。

四月三日 

 今日はいひ付けられて一日古い桑の根堀りをしたので大へんつか れた。

四月四日

 上田君と高橋君は今日も学校へ来なかった。上田君は師範学校の 試験を受けたさうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。な ぜ農学校を二年もやってから師範学校なんかへ行くのだらう。高橋 君は家で稼いでゐてあとは学校へは行かないと云ったさうだ。高橋 君のところは去年の旱魃がいちばんひどかったさうだから今年はず ゐぶん難儀するだらう。それへ較べたらうちなんかは半分でもいく らでも穫れたのだからいゝ方だ。今年は肥料だのすっかり僕が考へ てきっと去年の埋め合せを付ける。実習は苗代堀りだった。去年の 秋小さな盛りにしてゐた土を崩すだけだったから何でもなかった。 教科書がたいてい来たさうだ。ただ測量と園芸が来ないとか云って ゐた。あしたは日曜だけれども無くならないうちに買ひに行かう。 僕は国語と修身は農事試験場へ行った工藤さんから譲られてあるか ら残りは九冊だけだ。

四月五日 日

 南万丁目へ屋根換への手伝へにやられた。なかなかひどかった。 屋根の上にのぼってゐたら南の方に学校が長々と横わってゐるやう に見えた。ぼくは何だか今日は一日あの学校の生徒でないやうな気 がした。教科書は明日買ふ。

四月六日 月

 今日は入学式だった。ぼんやりとしてそれでゐて何だか堅苦しさ うにしてゐる新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴れ 出す。来年になるとあれがみんな二年生になっていゝ気になる。さ 来年はみんな僕らのやうになってまた新入生をわらふ。さう考へる と何だか変な気がする。伊藤君と行って本屋へ教科書を九冊だけと って置いて貰ふやうに頼んで置いた。

四月七日 火、 朝父から金を貰って教科書を買った。

 そして今日から授業だ。測量はたしかに面白い。地図を見るのも 面白い。ぜんたいこゝらの田や畑でほんたうの反別になってゐる処 がないと武田先生が云った。それだから仕事の豫定も肥料の入れや うも見当がつかないのだ。僕はもう少し習ったらうちの田をみんな 一枚ずつ測って帳面に綴ぢて置く。そして肥料だのすっかり考へて やる。きっと今年は去年の旱魃の埋め合せと、それから僕の授業料 ぐらゐを穫って見せる。実習は今日も苗代堀りだった。

四月八日、水、今日は実習はなくて学校の行進歌の練習をした。僕 らが歌って一年生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だか圧しつ けられるやうであの行進歌はきらひだ。何だかあの歌を歌ふと頭が 痛くなるやうな気がする。実習の方が却っていゝくらゐだ。学校か ら纏めて注文するといふので僕は苹果を二本と葡萄を一本頼んで置 いた。

四月九日〔以下空白〕

一千九百二十五年五月五日 晴

 まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。 けれどもぼくは桜の花はあんまり好きでない。朝日にすかされたの を木の下から見ると何だか蛙の卵のやうな気がする。それにすぐ古 くさい歌やなんか思ひ出すしまた歌など詠むのろのろしたやうな昔 の人を考へるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕はもっ と好きだったかも知れない。誰も桜が立派だなんて云はなかったら 僕はきっと大声でそのきれいさを叫んだかも知れない。僕は却って たんぽぽの毛の方を好きだ。夕陽になんか照らされたらいくら立派 だか知れない。

 今日の実習は陸稲播きで面白かった。みんなで二うねづつやるの だ。ぼくは杭を借りて来て定規をあてゝ播いた。種子が間隔を正し くまっすぐになった時はうれしかった。いまに芽を出せばその通り 青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりの巣が三つ四つ ある。実習してゐる間になんべんも降りたのだ。けれども飛びあが る所はつい見なかった。ひばりは降りるときはわざと巣からはなれ て降りるから飛びあがるとこを見なければ巣のありかはわからない。

一千九百二十五年五月六日

 今日学校で武田先生から三年生の修学旅行のはなしがあった。今 月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまはって 来るのださうだ。先生は手に取るやうに向ふの景色だの見て来るこ とだの話した。

 津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、 札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白 老のアイヌ部落、室蘭、あゝ僕は数へただけで胸が踊る。五時間目 には菊池先生がうちへ宛てた手紙を渡して、またいろいろ話された。 武田先生と菊池先生がついて行かれるのださうだ。行く人が二十八 人にならなければやめるさうだ。それは県の規則が全級の三分の一 以上参加するやうになってるからださうだ。けれども学校へ十九円 納めるのだしあと五円もかゝるさうだから。きっと行けると思ふ人 はと云ったら内藤君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。 うちではやってくれるだらうか。父が居ないので母へだけ話したけ れども母は心配さうに眼をあげただけで何とも云はなかった。けれ どもきっと父はやってくれるだらう。そしたら僕は大きな手帳へ二 冊も書いて来て見せやう。

五月七日

 今朝父へ学校からの手紙を渡してそれからいろいろ先生の云った ことを話さうとした。すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜ か大へんあたりに気兼ねしたやうすで僕が半分しか云はないうちに 止めてしまった。そしてよく相談するからと云った。祖母や母に気 兼ねをしているのかもしれない。

五月八日 行く人が大ぶあるやうだ。けれどもうちでは誰も何とも 云はない。だから僕はずゐぶんつらい。

五月九日

 三時間目に菊池先生がまたいろいろ話された。行くときまった人 はみんな面白さうにして聞いてゐた。僕は頭が熱くて痛くなった。 ああ北海道、雑嚢を下げてマントをぐるぐる捲いて肩にかけて津軽 海峡をみんなと船で渡ったらどんなに嬉しいだらう。

五月十日 今日もだめだ。

五月十一日 日曜 曇

 午前は母や祖母といっしょに田打ちをした。午后はうちのひば垣 をはさんだ。何だか修学旅行の話が出てから家中へんになってしま った。僕はもう行かなくてもいゝ。行かなくてもいゝから学校では あと授業の時間に行く人を調べたり旅行の話をしたりしなければい ゝのだ。

 北海道なんか何だ。ぼくは今に働いて自分で金をもうけてどこへ でも行くんだ。ブラジルへでも行って見せる。

五月十二日 今日また人数を調べた。二十八人に四人足りなかった。 みんなは僕だの斉藤君だの行かないので旅行が不成立になると云っ てしきりに責めた。武田先生まで何だか変な顔をして僕に行けと云 ふ。僕はほんたうにつらい。明后日までにすっかり決まるのだ。夕 方父が帰って炉ばたに居たからぼくは思ひ切って父にもう一度学校 の事情を云った。

 すると父が母もまだ伊勢詣りさへしないのだし祖母だって伊勢詣 り一ぺんとこゝらの観音巡り一ぺんしただけこの十何年死ぬまでに 善光寺へお詣りしたいとそればかり云ってゐるのだ、ことに去年か らのここら全体の旱魃でいま外へ遊んで歩くなんてことはとなりや みんなへ悪くてどうもいけないといふことを云った。

 僕はいくら下を向いてゐても炉のなかへ涙がこぼれて仕方なかっ た。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもい ゝからと云った。ぼくはみんなが修学旅行へ発つ間休みだといって 学校は欠席しやうと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまって ゐたがとにかくもいちど相談するからと云ってあとはいろいろ稲の 種類のことだのふだんきかないやうなことまでぼくにきいた。ぼく はけれども気持ちがさっぱりした。

五月十三日 今日学校から帰って田へ行って見たら母だけ一人居て 何だか嬉しさうにして田の畦を切ってゐた。何かあったのかと思っ てきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅 行のことだと思った。僕もそこで母が帰るまで田打ちをして助けた。

 けれども父はまだ帰って来ない。

五月十四日 昨夜父が晩く帰って来て、僕を修学旅行にやると云っ た。母も嬉しさうだったし祖母もいろいろ向ふのことを聞いたこと を云った。祖母の云ふのはみんな北海道開拓当時のことらしくて熊 だのアイヌだの南瓜の飯や玉蜀黍の団子やいまとはよほどちがうだ らうと思はれた。今日学校へ行って武田先生へ行くと云って届けた ら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員を 超えたことにして県へは申請書を出したさうだ。ぼくはもう行って きっとすっかり見て来る、そしてみんなへ詳しく話すのだ。

一九二五、五、一八、

 汽車は闇のなかをどんどん北へ走って行く。盛岡の上のそらがま だぼうっと明るく濁って見える。黒い藪だの松林だのぐんぐん窓を 通って行く。北上山地の上のへりが時々かすかに見える。

 さあいよいよぼくらも岩手県をはなれるのだ。

 うちではみんなもう寝ただらう。祖母さんはぼくにお守りを借し てくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田 先生が廻ってみんなの席の工合や何かを見て行った。

一九二五、五、一九、〔以下空白〕

五月十九日

          ※

 いま汽車は青森県の海岸を走ってゐる。海は針をたくさん並べた やうに光ってゐるし木のいっぱい生えた三角な島もある。いま見て ゐるこの白い海が太平洋なのだ。その向ふにアメリカがほんたうに あるのだ。ぼくは何だか変な気がする。

 海が岬で見えなくなった。松林だ。また見える。次は浅虫だ。石 を載せた屋根も見える。何て愉快だらう。

          ※

 青森の町は盛岡ぐらゐだった。停車場の前にはバナナだの苹果だ の売る人がたくさんゐた。待合室は大きくてたくさんの人が顔を洗 ったり物を食べたりしてゐる。待合室で白い服を着た車掌みたいな 人が蕎麦も売ってゐるのはおかしい。

          ※

 船はいま黒い煙を青森の方へ長くひいて下北半島と津軽半島の間 を通って海峡へ出るところだ。みんなは校歌をうたってゐる。けむ りの影は波にうつって黒い鏡のやうだ。津軽半島の方はまるで学校 にある広重の絵のやうだ。山の谷がみんな海まで来てゐるのだ。そ して海岸にわづかの砂浜があってそこには巨きな黒松の並木のある 街道が通ってゐる。少し大きな谷には小さな家が二三十も建ってゐ てそこの浜には五六そうの舟もある。さっきから見えてゐた白い燈 台はすぐそこだ。ぼくは船が横を通る間にだまってすっかり見てや らう。絵が上手だといゝんだけれども僕は絵は描けないから覚えて 行ってみんな話すのだ。風は寒いけれどもいゝ天気だ。僕は少しも 船に酔はない。ほかにも誰も酔ったものはない。

          ※

 いるかの群が船の横を通ってゐる。いちばんはじめに見附けたの は僕だ。ちょっと向ふを見たら何か黒いものが波から抜け出て小さ な弧を描いてまた波へはいったのでどうしたのかと思って見てゐた らまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そ こでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付けの姿勢で水を出 たり入ったりしてゐるやうで滑稽だ。

 先生も何だかわからなかったやうだったが漁師の頭らしい洋服を 着た肥った人があゝいるかですと云った。あんまりみんな甲板のこ っち側へばかり来たものだから少し船が傾いた。

 風が出て来た。

 何だか波が高くなって来た。

 東も西も海だ。向ふにもう北海道が見える。何だか工合がわるく なって来た。

          ※

 いま汽車は凾館を発って小樽へ向って走ってゐる。窓の外はまっ くらだ。もう十一時だ。凾館の公園はたったいま見て来たばかりだ けれどもまるで夢のやうだ。

 巨きな桜へみんな百ぐらゐづつの電燈がついてゐた。それに赤や 青の灯や池にはかきつばたの形した電燈の仕掛けものそれに港の船 の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨夜から よく寝ないのでつかれた。書かないで置いたってあんなうつくしい 景色は忘れない。それからひるは過燐酸の工場と五稜郭、過燐酸石 灰、硫酸もつくる。

五月廿日

          ※

 いま窓の右手にえぞ富士が見える。火山だ。頭が平たい。焼いた 枕木でこさえた小さな家がある。熊笹が茂ってゐる。植民地だ。

          ※

 いま小樽の公園に居る。高等商業の標本室も見てきた。馬鈴薯か らできるもの百五六十種の標本が面白かった。

 この公園も丘になってゐる。白樺がたくさんある。まっ青な小樽 湾が一目だ。軍艦が入ってゐるので海軍には旗も立ってゐる。時間 があれば見せるのだがと武田先生が云った。ベンチへ座ってやすん でゐると赤い蟹をゆでたのを売りに来る。何だか怖いやうだ。よく あんなの食べるものだ。

          ※

一千九百二十五年十月十六日

 一時間目の修身の講義が済んでもまだ時間が余ってゐたら校長が 何でも質問していゝと云った。けれども誰も黙ってゐて下を向いて ゐるばかりだった。ききたいことは僕だってみんなだって沢山ある のだ。けれどもぼくらがほんたうにききたいことをきくと先生はき っと顔をおかしくするからだめなのだ。

 なぜ修身がほんたうにわれわれのしなければならないと信ずるこ とを教へるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほん たうかうそか示さないのだらう。

一千九百二十五年十月廿五日

 今日は土性調査の実習だった。僕は第二班の班長で図板をもった。 あとは五人でハムマアだの検土杖だの試験紙だの塩化加里の瓶だの 持って学校を出るときの愉快さは何とも云はれなかった。谷先生も ほんたうに愉快さうだった。六班がみんな思ひ思ひの計画で別々の コースをとって調査にかかった。僕は郡で調べたのをちゃんと写し て豫察図にして持ってゐたからほかの班のやうにまごつかなかった。 けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか 調ばってゐない。猿ヶ石川の南の平地は十時半ころまでにできた。 それからは洪積層が旧天王の安山集塊岩の丘つゞきのにも被さって ゐるかがいちばんの疑問だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつ もの露頭を丘の頂部近くで見附けた。結局洪積紀は地形図の百四十 米の線以下といふ大体の見当も附けてあとは先生が云ったやうに木 の育ち工合や何かを参照して決めた。ぼくは土性の調査よりも地質 の方が面白い。土性の方ならたゞ土をしらべてその場所を地図の上 にその色で取って行くだけなのだが地質の方は考へなければいけな いしその考がなかなかうまくあたるのだから。

 ぼくらは松林の中だの萱の中で何べんもほかの班に出会った。み んなぼくらの地図をのぞきたがった。

 萱の中からは何べんも雉子も飛んだ。

 耕地整理になってゐるところがやっぱり旱害で稲は殆んど仕付か らなかったらしく赤いみぢかい雑草が生えておまけに一ぱいにひゞ われてゐた。

 やっと仕付かった所も少しも分蘖せず赤くなって実のはいらない 稲がそのまま刈りとられずに立ってゐた。耕地整理の先に立った人 はみんなの為にしたのださうだけれどもほんたうにひどいだらう。 ぼくらはそこの土性もすっかりしらべた。水さへ来るならきっと将 来は反当三石まではとれるやうにできると思ふ。

 午后一時に約束の通り各班が猿ヶ石川の岸にあるきれいな安山集 塊岩の露出のところに集った。どこからか小梨を貰ったと云って先 生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を塗りなほしたりした。 先生はその場所では誰のもいゝとも悪いとも云はなかった。しばら くやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花崗岩だ の三紀の泥岩だのまではいった込んだ地質や土性のところを教はっ てあるいた。図は次の月曜までに清書して出すことにした。

 ぼくはあの図を出して先生に直してもらったら次の日曜に高橋君 を頼んで僕のうちの近所のをすっかりこしらえてしまふんだ。僕の うちの近くなら洪積と沖積があるきりだしずっと簡単だ。それでも 肥料の入れやうやなんかまるでちがふんだから。いまならみんなは まるで反対にやってるんでないかと思ふ。

一九二五、十一月十日。

 今日実習が済んでから農舎の前に立ってグラヂオラスの球根の旱 してあるのを見てゐたら武田先生も鶏小屋の消毒だか済んで硫黄華 をずぼんへいっぱいつけて来られた。そしてやっぱり球根を見てゐ られたがそこから大きなのを三つばかり取って僕に呉れた。僕がも ぢもぢしてゐるとこれは新らしい高価い種類だよ。君にだけやるか ら来春植えて見たまえと云った。すると農場の方から花の係りの内 藤先生が来たら武田先生は大へんあわてゝポケットへしまって置き たまへ、と云った。ぼくは変な気がしたけれども仕方なくポケット へ入れた。すると武田先生は急いで農舎の中へはいって農具だか何 だか整理し出した。ぼくはいやで仕方なかったので内藤先生が行っ てからそっと球根をむしろの中へ返して、急いで校舎へ入って実習 服を着換へてうちに帰った。

一千九百二十六年三月廿〔一字分空白〕日、

 塩水撰をやった。うちのが済んでから楢戸のもやった。

 本にある通りの比重でやったら亀の尾は半分も残らなかった。去 年の旱害はいちばんよかった所でもこんな工合だったのだ。けれど も陸羽一三二号の方は三割位しか浮く分がなかった。それでも塩水 選をかけたので恰度六斗あったから本田の一町一反分には充分だら ふ。とにかく僕は今日半日で大丈夫五十円の仕事はした訳だ。なぜ ならいままでは塩水選をしないでやっと反当二石そこそこしかとっ ていなかったのを今度はあちこちの農事試験場の発表のやうに一割 の二斗づつの増収としても一町一反では二石二斗になるのだ。みん なにもほんたうにいゝといふことが判るやうになったら、ぼくは同 じ塩水で長根ぜんたいのをやるやうにしやう。一軒のうちで三十円 づつ得してもこの部落全体では四百五十円になる。それが五六人た だ半日の仕事なのだ。塩水選をする間は父はそこらの冬の間のごみ を集めて焼いた。籾ができると父は細長くきれいに藁を通して編ん だ俵につめて中へつめた。あれは合理的だと思ふ。湧水がないので、 あのつゝみへ漬けた。氷がまだどての陰には浮いてゐるからちゃう ど摂氏零度ぐらゐだらう。十二月にどてのひびを埋めてから水は六 分目までたまってゐた。今年こそきっといゝのだ。あんなひどい旱 魃が二年続いたことさへ、いままでの気象の統計にはなかったとい ふくらゐだもの、どんな偶然が集ったって今年まで続くなんてこと はない筈だ。気候さへあたり前だったら今年は僕はきっといままで の旱魃の損害を恢復して見せる。そして来年からはもううちの経済 も楽にするし長根ぜんたいまできっと生々した愉快なものにして見 せる。

一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午から七時まで番水 があたったので樋番をした。何せ去年からの巨きなひゞもあると見 えて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰掛けてこぼこぼはって 行く温い水へ足を入れてゐてついとろっとしたらなんだかぼくが稲 になったやうな気がした。そしてぼくが桃いろをした熱病にかゝっ てゐてそこへいま水が来たのでぼくは足から水を吸ひあげてゐるの だった。どきっとして眼をさました。水がこぼこぼ裂目のところで 泡を吹きながらインクのやうにゆっくりゆっくりひろがって行った のだ。

 水が来なくなって下田の代掻ができなくなってから今日で恰度十 二日雨が降らない。いったいそらがどう変ったのだらう。あんな旱 魃の二年続いた記録が無いと測候所が云ったのにこれで三年続くわ けでないか。大堰の水もまるで四寸ぐらゐしかない。

 夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。

 三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大 堰の下の岐れまで行ってみたら権十がこっちをとめてじぶんの方へ 向けてゐた。ぼくはまるで権十が甘藍の夜盗虫みたいな気がした。 顔がむくむく膨れてゐて、おまけにあんな冠らなくてもいゝやうな 穴のあいたつばの下った土方しゃっぽをかぶってその上からまた頬 かぶりをしてゐるのだ。

 手も足も膨れてゐるからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気が した。何をするんだと云ったら、なんだ、農学校終ったって自分だ けいゝことをするなと云ふのだ。

 ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終わらなくてもい まはぼくのとこの番にあたって水を引いてゐるのだ。それを盗んで 行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるやうにな ったもんな、と云ふ。ぼくはもう大きな石を叩きつけてやらうとさ へ思った。

 けれども権十はそのまゝ行ってしまったから、ぼくは水をうちの 方へ向け直した。やっぱり権十はぼくを子供だと思ってぼくだけ居 たものだからあんなことをしたのだ。いまにみろ、ぼくは卑怯なや つらはみんな片っぱしから叩きつけてやるから。

一千九百二十七年八月廿一日

 稲がたうたう倒れてしまった。ぼくはもうどうしていゝかわから ない。あれぐらゐ昨日までしっかりしてゐたのに、明方の烈しい雷 雨からさっきまでにほとんど半分倒れてしまった。喜作のもこっそ り行って見たけれどもやっぱり倒れた。いまもまだ降ってゐる。父 はわらって大丈夫大丈夫だと云ふけれどもそれはぼくをなだめるた めでじつは大へんひどいのだ。母はまるでぼくのことばかり心配し てゐる。ぼくはうちの稲が倒れただけなら何でもないのだ。ぼくが 肥料を教へた喜作のだってそれだけなら何でもない。それだけなら ぼくは冬に鉄道へ出ても行商してもきっと取り返しをつける。けれ ども、あれぐらゐ手入をしてあれぐらゐ肥料を考へてやってそれで こんなになるのならもう村はどこももっとよくなる見込はないのだ。 ぼくはどこへも相談に行くとこがない。学校へ行ったってだめだ。 ……先生はあゝ倒れたのか、苗が弱くはなかったかな、あんまり力 を落してはいけないよ、ぐらゐのことを云って笑ふだけのもんだ。 日誌、日誌、ぼくはこの書きつける日誌がなかったら今夜どうして ゐるだらう。せきはとめたし落し口は切ったし田のなかへはまだ入 られないしどうすることもできずだまってあのぼしょぼしょしたり またおどすやうに強くなったりする雨の音を聞いてゐなければなら ないのだ。いったいこの雨があしたのうちに晴れるだなんてことが あるだらうか。

 ああ、どうでもいゝ、なるやうになるんだ。あした雨が晴れるか 晴れないかよりも、今夜ぼくが…………を一足つくれることの方が よっぽどたしかなんだから。