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茨海バラウミ小学校

 私が茨海の野原に行ったのは、火山弾の手頃な標本を採るためと、 それから、あすこに野生の浜茄はまなすが生えているといふ噂 を、確めるためとでした。浜茄はご承知のとほり、海岸に生える植 物です。それが、あんな、海から三十里もある山脈を隔てた野原な どに生えるのは、おかしいとみんな云ふのです。ある人は、新聞に 三つの理由をあげて、あの茨海の野原は、すぐ先頃まで海だったと いふことを論じました。それは第一に、その茨海といふ名前、第二 に浜茄の生えてゐること、第三にあすこの土を嘗めてみると、たし かに少し鹹いやうな気がすること、とかう云ふのですけれども、私 はそんなことはどれも証拠にならないと思ひます。

 ところが私は、浜茄をたうたう見附けませんでした。尤も私が見 附けなかったからと云って、浜茄があすこにないといふわけには行 きません。もし反対に一本でも私に見当ったら、それはあるといふ ことの証拠にはなりませう。ですからやっぱりわからないのです。

 火山弾の方は、はじが少し潰れてはゐましたが、半日かかってと にかく一つ見附けました。

 見附けたのでしたが、それはつい寄附させられてしまひました。 誰に寄附させられたのかっていふんですか。誰にって校長にですよ。 どこの学校? えゝ、どこの学校って正直に云っちまひますとね、 茨海狐小学校です。愕いてはいけません。実は茨海狐小学校をその ひるすぎすっかり参観して来たのです。そんなに変な顔をしなくて もいゝのです。狐にだまされたのとはちがひます。狐にだまされた のなら狐が狐に見えないで女とか坊さんとかに見えるのでせう。と ころが私のはちゃんと狐を狐に見たのです。狐を狐に見たのが若し だまされたものならば人を人に見るのも人にだまされたといふ訳で す。

 たゞ少しおかしいことは人なら小学校もいゝけれど狐はどうだら うといふことですがそれだってあんまりさしつかへありません。ま あも少しあとを聞いてごらんなさい。大丈夫狐小学校があるといふ ことがわかりますから。たゞ呉れ呉れも云って置きますが狐小学校 があるといってもそれはみんな私の頭の中にあったと云ふので決し て偽ではないのです。偽でない証拠にはちゃんと私がそれを云って ゐるのです。もしみなさんがこれを聞いてその通り考へれば狐小学 校はまたあなたにもあるのです。私は時々斯う云ふ勝手な野原をひ とりで勝手にあるきます。けれども斯う云ふ旅行をするとあとで大 へんつかれます。殊にも算術などが大へん下手になるのです。です から斯う云ふ旅行のはなしを聞くことはみなさんにも決して差支へ ありませんがあんまり度々うっかり出かけることはいけません。

 まあお話をつづけませう。なあにほんたうはあの茨やすゝきの一 杯生えた野原の中で浜茄などをさがすよりは、初めから狐小学校を 参観した方がずうっとよかったのです。朝の一時間目からみてゐた 方が参考にもなり、又面白かったのです。私のみたのは今も云ひま した通り、午后の授業です。一時から二時までの間の第五時間目で す。なかなか狐の小学生には、しっかりした所がありますよ。五時 間目だって、一人も厭きてるものがないんです。参観のもやうを、 詳しくお話しませうか。きっとあなたにも、大へん参考になります。

 浜茄は見附からず、小さな火山弾を一つ採って、私は草に座りま した。空がきらきらの白いうろこ雲で一杯でした。茨には青い実が たくさんつき、萱はもうそろそろ穂を出しかけてゐました。太陽が 丁度空の高い処にかかってゐましたから、もうおひるだといふこと がわかりました。又じっさいお腹も空いてゐました。そこで私は持 って行ったパンの袋を背嚢から出して、すぐ喰べやうとしましたが、 急に水がほしくなりました。今まで歩いたところには、一とこだっ て流れも泉もありませんでしたが、もしかも少し向ふへ行ったら、 とにかく小さな流れにでもぶっつかるかも知れないと考へて、私は 背嚢の中に火山弾を入れて、面倒くさいのでかけ金もかけず、締革 をぶらさげたまゝせなかにしょひ、パンの袋だけ手にもって、又ぶ らぶらと向ふへ歩いて行きました。

 何べんもばらがかきねのやうになった所を抜けたり、すすきが栽 え込みのやうに見える間を通ったりして、私は歩きつづけましたが、 野原はやっぱり今まで通り、小流れなどはなかったのです。もう仕 方ない、この辺でパンをたべてしまはふと立ちどまったとき、私は ずうっと向ふの方で、ベルの鳴る音を聞きました。それはどこの学 校でも鳴らすベルの音のやうで、空のあの白いうろこ雲まで響いて ゐたのです。この野原には、学校なんかあるわけはなし、これはき っと俄に立ちどまった為に、私の頭がしいんと鳴ったのだと考へて も見ましたが、どうしても心からさっきの音を疑ふわけには行きま せんでした。それどころぢゃない、こんどは私は、子供らのがやが や云ふ声を聞きました。それは少しの風のために、ふっとはっきり して来たり、又俄かに遠くなったりしました。けれどもいかにも無 邪気な子供らしい声が、呼んだり答へたり、勝手にひとり叫んだり、 わあと笑ったり、その間には太い底力のある大人の声もまぢって聞 えて来たのです。いかにも何か面白さうなのです。たまらなくなっ て、私はそっちへ走りました。さるとりいばらにひっかけられたり、 窪みにどんと足を踏みこんだりしながらも、一生けん命そっちへ走 って行きました。

 すると野原は、だんだん茨が少くなって、あのすゞめのかたびら といふ、一尺ぐらゐのけむりのやうな穂を出す草があるでせう、あ れがたいへん多くなったのです。私はどしどしその上をかけました。 そしたらどう云ふわけか俄かに私は棒か何かで足をすくはれたらし くどたっと草に倒れました。急いで起きあがって見ますと、私の足 はその草のくしゃくしゃもつれた穂にからまってゐるのです。私は にが笑ひをしながら起きあがって又走りました。又ばったりと倒れ ました。おかしいと思ってよく見ましたら、そのすゞめのかたびら の穂は、たゞくしゃくしゃにもつれてゐるのぢゃなくて、ちゃんと 両方から門のやうに結んであるのです。一種のわなです。その辺を 見ますと実にそいつが沢山つくってあるのです。私はそこでよほど 注意して又歩き出しました。なるべく足を横に引きずらず抜きさし するやうな工合にしてそっと歩きましたけれどもまだ二十歩も行か ないうちに、又ばったりと倒されてしまひました。それと一諸に、 向ふの方で、どっと笑ひ声が起り、それからわあわあはやすのです。 白や茶いろや、狐の子どもらがチョッキだけを着たり半ズボンだけ はいたり、たくさんたくさんこっちを見てはやしてゐるのです。首 を横にまげて笑ってゐる子、口を尖らせてだまってゐる子、口をあ けてそらを向いてはあはあはあはあ云ふ子、はねあがってはねあが って叫んでゐる子、白や茶いろやたくさんゐます。ああこれはたう たう狐小学校に来てしまった、いつかどこかで誰かに聴いた茨海狐 小学校へ来てしまったと、私はまっ赤になって起きあがって、から だをさすりながら考へました。その時いきなり、狐の生徒らはしい んとなりました。黒のフロックを着た先生が尖った茶いろの口を閉 ぢるでもなし開くでもなし、眼をぢっと据えて、しずかにやって来 るのです。先生といったって、勿論狐の先生です。耳の尖ってゐた ことが今でもはっきり私の目に残ってゐます。俄かに先生はぴたり と立ちどまりました。

「お前たちは、又わなをこしらえたな。そんなことをして、折角お いでになったお客さまに、もしものことがあったらどうする。学校 の名誉に関するよ。今日はもうお前たちみんな罰しなければならな い。」狐の生徒らはみんな耳を伏せたり両手を頭にあげたりしょん ぼりうなだれました。先生は私の方へやって来ました。

「ご参観でいらっしゃいますか。」

 私はどうせ序だ、どうなるものか参観したいと云ってやらう、今 日は日曜なんだけれども、さっきベルも鳴ったし、どうせ狐のこと だからまたいゝ加減の規則もあって、休みだといふわけでもないだ らうと、ひとりで勝手に考へました。

「えゝ、ぜひさう願いたいのです。」

「ご紹介はありますか。」

 私はふと、いつか幼年画報に出ていたたけしといふ人の狐小学校 のスケッチを思ひ出しました。

「画家のたけしさんです。」

「紹介状はお持ちですか。」

「紹介状はありませんがたけしさんは今はずゐぶん偉いですよ。美 術学院の会員ですよ。」

 狐の先生はいけませんといふやうに手をふりました。

「とにかく、紹介状はお持ちにならないですね。」

「持ちません。」

「よろしうございます。こちらへお出で下さい。ただ今丁度ひるの やすみでございますが、午后の課業をご案内いたします。」

 私は先生の狐について行きました。生徒らは小さくなって、私を 見送りました。みんなで五十人は居たでせう。私たちが過ぎてから、 みんなそろそろ立ちあがりました。

 先生はふっとうしろを振りかえりました。そして強く命令しまし た。

「わなをみんな解け。こんなことをして学校の名誉に関するぢゃな いか。今に主謀者は所罰するぞ。」

 生徒たちはくるくるはねまわってその草わなをみんなほどいて居 りました。

 私は向ふに、七尺ばかりの高さのきれいな野ばらの垣根を見まし た。垣根の長さは十二間はたしかにあったでせう。そのまん中に入 り口があって、中は一段高くなってゐました。私は全くそれを垣根 だと思ってゐたのです。ところが先生が
「さあ、どうかお入り下さい。」と叮寧に云ふものですから、その 通り一足中へはいりましたら、全く愕いてしまひました。そこは玄 関だったのです。中はきれいに刈り込んだみぢかい芝生になってゐ てのばらでいろいろしきりがこさえてありました。それに靴ぬぎも あれば革のスリッパもそろえてあり馬の尾を集めてこさえた払子も ちゃんとぶらさがってゐました。すぐ上り口に校長室と白い字で書 いた黒札のさがったばらで仕切られた室がありそれから廊下もあり ます。教員室や教室やみんなばらの木できれいにしきられてゐまし た。みんな私たちの小学校と同じです。たゞちがふところは教室に も廊下にも窓のないことそれから屋根のないことですが、これは元 来屋根がなければ窓はいらない筈ですからおまけに室の上を白い雲 が光って行ったりしますから、実に便利だらうと思ひました。校長 室の中では、白服の人の動いてゐるのがちらちら見えます。エヘン エヘンと云ってゐるのも聞えます。私はきょろきょろあちこち見ま はしてゐましたら、先生が少し笑って云ひました。

「どうぞスリッパをお召しなすって。只今校長に申しますから。」

 私はそこで、長靴をぬいで、スリッパをはき、背嚢をおろして手 にもちました。その間に先生は校長室へ入って行きましたが、 もなく校長と二人で出て来ました。校長は瘠せた白い狐で涼 しさうな麻のつめえりでした。もちろん狐の洋服ですからずぼんに は尻尾を入れる袋もついてあります。仕立賃も廉くはないと私は思 ひました。そして大きな近眼鏡をかけその向ふの眼はまるで黄金い ろでした。ぢっと私を見つめました。それから急いで云ひました。

「ようこそいらっしゃいました。さあさあ、どうぞお入り下さい。 運動場で生徒が大へん失礼なことをしましたさうで。さあさあ、ど うぞお入り下さい。どうぞお入り。」

 私は校長について、校長室へ入りました。その立派なこと。卓の 上には地球儀がおいてありましたし、うしろのガラス戸棚には鶏の 骨格やそれからいろいろのわなの標本、剥製の狼や、さまざまの鉄 砲の上手に泥でこしらえた模型、猟師のかぶるみの帽子、鳥打帽か ら何から何まですべて狐の初等教育に必要なくらゐのものはみんな 備へつけられてゐました。私は眼を円くして、こゝでもきょろきょ ろするより仕方ありませんでした。そのうち校長はお茶を注いで私 に出しました。見ると紅茶です。ミルクも入れてあるらしいのです。 私はすっかり度胆をぬかれました。

「さあどうか、お掛け下さい。」私はこしかけました。

「えゝと、失礼ですがお職業はやはり学事の方ですか。」校長がた づねました。

「えゝ、農学校の教師です。」

「本日はおやすみでいらっしゃいますか。」

「はあ、日曜です。」

「なるほどあなたの方では太陽暦をお使ひになる関係上、日曜日が お休みですな。」

 私は一寸変な気がしました。

「さうするとおうちの方ではどうなるのですか。」

 狐の校長さんは青く光るそらの一ところを見あげてしづかに鬚を ひねりながら答へました。

「左様、左様、至極ご尤なご質問です。私の方は太陰暦を使ふ関係 上、月曜日が休みです。」

 私はすっかり感心しました、この調子ではこの学校は、よほど程 度が高いにちがひない、事によると狐の方では、学校は小学校と大 学校の二つきりで、或はこの茨海小学校は、中学五年程度まで教へ るんぢゃないかと気がつきましたので、急いでたづねました。

「いかゞですか。こちらの方では大学校へ進む生徒は、ずゐぶん沢 山ございますか。」

 校長さんが得意さうにまるで見当違ひの上の方を見ながら答へま した。

「へい。実は本年は不思議に実業志望が多ございまして、十三人の 卒業生中、十二人まで郷里に帰って勤労に従事いたして居ります。 たゞ一人だけ大谷地オホヤチ大学校の入学試験を受けまして、 それがいかにもうまく通りましたので、へい。」

 全く私の予想通りでした。

 そこへ隣りの教員室から、黒いチョッキだけ着た、がさがさした 茶いろの狐の先生が入って来て私に一礼して云ひました。

「武田金一郎をどう所罰いたしませう。」

 校長は徐ろにそちらへを向いてそれから私を見ました。

「こちらは第三学年の担任です。このお方は麻生農学校の先生です。」 私はちょっと礼をしました。

「で武田金一郎をどう所罰したらいゝかといふのだね。お客さまの 前だけれども一寸呼んでおいで。」

 三学年担任の茶いろの狐の先生は、恭しく礼をして出て行きまし た。間もなく青い格子縞の短い上着を着た狐の生徒が、今の先生の うしろについてすごすごと入って参りました。

 校長は応揚にめがねを外しました。そしてその武田金一郎といふ 狐の生徒をぢっとしばらくの間見てから云ひました。

「お前があの草わなを運動場にかけるやうにみんなに云ひつけたん だね。」

武田金一郎はしゃんとして返事しました。

「さうです。」

「あんなことして悪いと思はないか。」

「今は悪いと思ひます。けれどもかける時は悪いと思ひませんでし た。」

「どうして悪いと思はなかった。」

「お客さんを倒さうと思ったのぢゃなかったからです。」

「どういふ考でかけたのだ。」

「みんなで障碍物競争をやらうと思ったんです。」

「あのわなをかけることを、学校では禁じてゐるのだが、お前はそ れを忘れてゐたのか。」

「覚えてゐました。」

「そんならどうしてそんなことをしたのだ。かう云ふ工合にお客さ まが度々おいでになる。それに運動場の入口に、あんなものをこし らえて置いて、もしお客さまに万一のことがあったらどうするのだ。 お前は学校で禁じてゐるのを覚えてゐながら、それをするといふの はどう云ふわけだ。」

「わかりません。」

「わからないだらう。ほんたうはわからないもんだ。それはまあそ れでよろしい。お前たちはこのお方がそのわなにつまづいて、お倒 れなさったときはやしたさうだが、又私もこゝで聞いてゐたが、ど うしてそんなことをしたか。」

「わかりません。」

「わからないだらう。全くわからないもんだ。わかったらまさかお 前たちはそんなことしないだらうな。では今日の所は、私からよく お客さまにお詫を申しあげて置くから、これからよく気をつけなく ちゃいけないよ。いゝか。もう決して学校で禁じてあることをして はならんぞ。」

「はい、わかりました。」

「では帰って遊んでよろしい。」校長さんは今度は私に向きました。 担任の先生はきちんとまだ立ってゐます。

「只今のやうなわけで、至って無邪気なので、決して悪気があって 笑ったりしたのではないやうでございますから、どうかおゆるしを ねがひたう存じます。」

 私はもちろんすぐ云ひました。

「どう致しまして。私こそいきなりおうちの運動場へ飛び込んで来 て、いろいろ失礼を致しました。生徒さん方に笑はれるのなら却っ て私は嬉しい位です。」

 校長さんは眼鏡を拭いてかけました。

「いや、ありがたうございます。おい武村君。君からもお礼を申し あげてくれ。」三年担任の武村先生も一寸私に頭を下げて、それか ら校長に会釈して教員室の方へ出て行きました。

 校長さんの狐は下を向いて二三度くんくん云ってから、新らしく 紅茶を私に注いでくれました。そのときベルが鳴りました。午后の 課業のはじまる十分前だったのでせう。校長さんが向ふの黒塗りの 時間表を見ながら云ひました。

「午后は第一学年は修身と護身、第二学年は狩猟術、第三学年は食 品化学と、かうなってゐますがいづれもご参観になりますか。」

「さあみんな拝見いたしたいです。たいへん面白さうです。今朝か らあがらなかったのが本統に残念です。」

「いや、いづれ又おいでを願ひませう。」

「護身といふのは修身といっしょになってゐるのですか。」

「えゝ昨年までは別々でやりましたが、却って結果がよくないやう です。」

「なるほどそれに狩猟だなんて、ずゐぶん高尚な学科もおやりです な。私の方ではまあ高等専門学校や大学の林科にそれがあるだけで す。」

「ははん、なるほど。けれどもあなたの方の狩猟と、私の方の狩猟 とは、内容はまるでちがってゐますからな、ははん。あなたの方の 狩猟は私の方の護身にはいり、私の方の狩猟は、さあ、狩猟前業は あなたの方の畜産にでも入りますかな、まあとにかくその時々でゆ っくりご説明いたしませう。」

 この時ベルが又鳴りました。

 がやがや物を言ふ声、それから「気をつけ」や「番号」や「右向 け右」や「前へ進め」で狐の生徒は一学級ずつだんだん教室に入っ たらしいのです。

 それからしばらくたって、どの教室もしいんとなりました。先生 たちの太い声が聞えて来ました。

「さあではご案内を致しませう。」狐の校長さんは賢さうに口を尖 らして笑ひながら椅子から立ちあがりました。私はそれについて室 を出ました。

「はじめに第一学年をご案内いたします。」

 校長さんは「第一教室、第一学年、担任者、武井甲吉」と黒い塗 札の下った、ばらの壁で囲まれた室に入りました。私もついて入り ました。そこの先生は私のまだあはない方で実にしゃれたなりをし て頭の銀毛などもごく高尚なドイツ刈りに白のモオニングを着て教 壇に立ってゐました。もちろん教壇のうしろの茨の壁には黒板もか ゝり、先生の前にはテーブルがあり、生徒はみなで十五人ばかり、 きちんと白いデスクにこしかけて、講義をきいて居りました。 私がすっかり入って立ったとき、先生は教壇を下りて私たちに礼を しました。それから教壇にのぼって云ひました。

「麻生農学校の先生です。さあみんな立って。」

 生徒の狐たちはみんなぱっと立ちあがりました。

「ご挨拶に麻生農学校の校歌を歌ふのです。そら、一、二、三、」 先生は手を振りはじめました。生徒たちは高く高く私の学校の校歌 を歌ひはじめました。私は全くよろよろして泣き出さうとしました。 誰だっていきなり茨海狐小学校へ来て自分の学校の校歌を狐の生徒 にうたはれて泣き出さないでゐられるもんですか。それでも私はこ らえてこらえて顔をしかめて泣くのを押へました。嬉しかったより はほんたうに辛かったのです。校歌がすみ、先生は一寸挨拶して生 徒を手まねで座らせ、鞭をとりました。

 黒板には「最高の偽は正直なり。」と書いてあり、先生は説明を つゞけました。

「そこで、元来偽といふのは、いけないものです。いくら上手に偽 をついてもだめなのです。賢い人がききますと、ちゃんと見わけが つくのです。それは賢い人たちは、その語のつりあひで、ほんたう かうそかすぐわかり、またその音ですぐわかり、それからそれを云 ふものの顔やかたちですぐわかります。ですからうそといふものは、 ほんの一時はうまいやうに思はれることがあっても、必ずまもなく だめになるものです。

 そこでこの格言の意味は、もしも誰かゞ一つこんな工合のうそを ついて、かう云ふ工合にうまくやらうと考へるとします。そのとき もしよくその云ふことを自分で繰り返し繰り返しして見ますと、い つの間にか、どうもこれでは向ふにわかるやうだ、も少しかう云は なくてはいけないといふやうな気がするのです、そこで云ひやうを すっかり改めて、又それを心の中で繰り返し繰り返しして見ます、 やっぱりそれでもいけないやうだ、かうしやう、と考へます。それ もやっぱりだめなやうだ、かうしやうと思ひます。こんな工合にし て一生けん命考へて行きますと、たうたうしまひはほんたうのこと になってしまふのです。そんならそのほんたうのことを云ったら、 実際どうなるかと云ふと、実はかへってうまく偽をついたよりは、 いゝことになる、たとへすぐにはいけないことになったやうでも、 結局は、結局は、いゝことになる。だからこの格言は又
『正直は最良の方便なり』とも云はれます。」

 先生は黒板へ向いて、前のにならべて今の格言を書きました。

 生徒はみんなきちんと手を膝において耳を尖らせて聞いてゐまし たが、この時一斉にペンをとって黒板の字を書きとりました。

 校長は一寸私の顔を見ました。私がどんな風に、今の講義を感じ たか、それを知りたいといふ様子でしたから、私は五六秒眼を瞑っ ていかにも感銘にたへないといふことを示しました。

 先生はみんなの書いてしまふ間、両手をせなかにしょってぢっと してゐましたがみんながばたばた鉛筆を置いて先生の方を見始めま すと、又講義をつづけました。

「そこで今の『正直は最良の方便』といふ格言は、ただ私たちがう そをつかないのがいゝといふだけではなく、又丁度反対の応用もあ るのです。それは人間が私たちに偽をつかないのも又最良の方便で す。その一例を挙げますとわなです。わなにはいろいろありますけ れども、一番こわいのは、いかにもわなのやうな形をしたわなです。 それもごく仕掛けの下手なわなです。これを人間の方から云ひます と、わなにもいろいろあるけれども、一番狐のよく捕れるわなは、 昔からの狐わなだ、いかにも狐を捕るのだぞといふやうな格好をし た、昔からの狐わなだと、斯う云ふわけです。正直は最良の方便、 全くこの通りです。」

 私は何だか修身にしても変だし頭がぐらぐらして来たのでしたが、 この時さっき校長が修身と護身とが今学年から一科目になって、多 分その方が結果がいゝだらうと云ったことを思ひ出して、ははあ、 なるほどと、うなづきました。

 先生は「武巣さん、立って校長室へ行ってわなの標本を運んで来 て下さい。」と云ひましたら、一番前の私の近くに居た赤いチョッ キを着たかあいらしい狐の生徒が、「はいっ。」と云って、立って、 私たちに一寸挨拶し、それからす早く茨の壁の出口から出て行きま した。

 先生はその間黙って待ってゐました。生徒も黙ってゐました。空 はその時白い雲で一杯になり、太陽はその向ふを銀の円鏡のやうに なって走り、風は吹いて来て、その緑いろの壁はところどころゆれ ました。

 武巣といふ子がまるで息をはあはあして入って来ました。さっき 校長室のガラス戸棚の中に入ってゐた、わなの標本を五つとも持っ て来たのです。それを先生の机の上に置いてしまふと、その子は席 に戻り、先生はその一つを手にとりあげました。

「これはアメリカ製でホックスキャッチャーと云ひます。ニッケル 鍍金でこんなにぴかぴか光ってゐます。ここの環の所へ足を入れる とピチンと環がしまって、もうとれなくなるのです。もちろんこの 器械は鎖か何かで太い木にしばり付けてありますから、実際一遍足 をとられたらもうそれきりです。けれども誰だってこんなピカピカ した変なものにわざと足を入れては見ないのです。」

 狐の生徒たちはどっと笑ひました。狐の校長さんも笑ひました。 狐の先生も笑ひました。私も思わず笑ひました。このわなの絵は外 国でも日本でも種苗目録のおしまひあたりにはきっとついてゐて、 然も効力もあるといふのにどう云ふわけか一寸不思議にも思ひまし た。

 この時校長さんは、かくしから時計を出して一寸見ました。そこ で私は、これはもうだんだん時間がたつから、次の教室を案内しや うかと云ふのだらうと思って、ちょっとからだを動かして見せまし た。校長さんはそこですっと室を出ました。私もついて出ました。

「第二教室、第二年級、担任、武池清二郎」とした黒塗りの板の下 がった教室に入りました。先生はさっき運動場であった人でした。 生徒も立って一ぺんに礼をしました。

 先生はすぐ前からの続きを講義しました。

「そこで、澱粉と脂肪と蛋白質と、この成分の大事なことはよくお わかりになったでせう。

 こんどはどんなたべものに、この三つの成分がどんな工合に入っ てゐるか、それを云ひます。凡そ、食物の中で、滋養に富みそして おいしく、また見掛けも大へん立派なものは鶏です。鶏は実際食物 中の王と呼ばれる通りです。今鶏の肉の成分の分析表をあげませう。 みなさん帳面へ書いて下さい。

 蛋白質は十八ポイント五パアセント、脂肪は九ポイント三パーセ ント、含水炭素は一ポイント二パーセントもあるのです。鶏の肉は ただこのやうに滋養に富むばかりでなく消化もたいへんいゝのです。 殊に若い鶏の肉ならば、もうほんたうに軟かでおいしいことと云っ たら、」先生は一寸唾をのみました、「とてもお話ではわかりませ ん。食べたことのある方はおわかりでせう。」生徒はしばらくしん としました。校長さんもぢっと床を見つめて考へてゐます。先生は はんけちを出して奇麗に口のまわりを拭いてから又云ひました。

「で一般に、この鶏の肉に限らず、鳥の肉には私たちの脳神経を養 ふに一番大事な燐がたくさんあるのです。」

 こんなことは女学校の家事の本に書いてあることだ、やっぱり仲 々程度が高い、ばかにできないと私は思ひました。先生は又つゞけ ます。

「その鶏の卵も大へんいゝのです。成分は鶏の肉より蛋白質は少し 少く、脂肪は少し多いのです。これは病人もよく使ひます。それか ら次は油揚です。油揚は昔は大へん供給が充分だったのですけれど も、今はどうもそんなぢゃありません。それで、実はこれは癈れた 食物であります。成分は蛋白質が二二パアセント、脂肪が 十八ポ イント七パアセント、含水炭素が零ポイント九パアセントですが、 これは只今ではあんまり重要ぢゃありません。油揚の代りに近頃盛ん になったのは玉蜀黍です。これはけれども消化はあんまりよくあり ません。」

「時間がも少しですから、次の教室をご案内いたしませう。」校長 がそっと私にさゝやきました。そこで私はうなずき校長は先に立っ て室を出ました。

「第三教室は向ふの端になって居ります。」校長は云ひながら廊下 をどんどん戻りました。さっきの第一教室の横を通り玄関を越え校 長室と教員室の横を通ったそこが第三教室で、「第三学年 担任者 武原久助」と書いてありました。さっきの茶いろの毛のガサガサし た先生の教室なのです。狩猟の時間です。

 私たちが入って行ったとき、先生も生徒も立って挨拶しました。 それから講義が続きました。

「それで狩猟に、前業と本業と後業とある事はよくわかったらう。 前業は 養鶏を奨励すること、本業はそれを捕ること、後業はそれ を喰べることと斯うである。

 前業の養鶏奨励の方法は、だんだん詳しく述べるつもりであるが、 まあその模範として一例を示さう。先頃私が茨窪の松林を散歩して ゐると、向ふから一人の黒い小倉服を着た人間の生徒が、何か大へ ん考えながらやって来た。私はすぐにその生徒の考へてゐることが わかったので、いきなり前に飛び出した。

 すると向ふでは少しびっくりしたらしかったので私はまづ斯う云 った。

『おい、お前は私が何だか知ってるか。』

 するとその生徒が云った。

『お前は狐だらう。』

『さうだ。しかしお前は大へん何か考へて困ってゐるだらう。』

『いゝや、なんにも考へてゐない。』その生徒が云った。その返事 が実は大へん私に気に入ったのだ。

『そんなら私はお前の考へてゐることをあてゝ見やうか。』

『いゝや、いらない。』その生徒が云った。それが又大へん私の気 に入った。

『お前は明後日の学芸会で、何を云ったらいゝか考へてゐるだらう。』

『うん、実はさうだ。』

『さうか、そんなら教へてやらう。あさってお前は養鶏の必要を云 ふがいゝ。百姓の家には、こぼれて砂の入った麦や粟や、いらない 菜っ葉〔ぱ〕や何か、たくさんあるんだ。又甘藍や何かには、青む しもたかる。それをみんな鶏に食べさせる。鶏は大悦びでそれをた べる。卵もうむ。大へん得だと斯う云ふがいゝ。』

 私が云ったら、その生徒は大へん悦んで、厚く礼を述べて行った。 きっとあの生徒は学芸会でそれを云ったんだ。するとみんなは勿論 と思って早速養鶏をはじめる。大きな鶏やひよっこや沢山できる。 そこで我々は早速本業にとりかゝると斯う云ふのだ。」

 私は実はこの話を聞いたとき、どうしてもおかしくておかしくて たまりませんでした。その生徒といふのは私の学校の二年生なので す。先頃学芸会があったのでしたが、その時ちゃんと、狐に遭った ことから何から、みんな話してゐたのです。ただおしまひが少し違 って居りました。それはその生徒の話では
『なんだお前は僕に養鶏をすゝめて置いて自分がそれを捕らうとい ふのか。』と云ったら狐は頭をかゝへて一目散に遁げたといふので した。けれどもそれを私は口に出しては云ひませんでした。この時 丁度、向ふで修業のベルが鳴りましたので、先生は、 「今日はこゝまでにして置きます。」と云って礼をしました。私は 校長について校長室に戻りました。校長は又私の茶椀に紅茶をつい で云ひました。

「ご感想はいかゞですか。」

 私は答へました。

「正直を云ひますと、実は何だか頭がもちゃもちゃしましたのです。」

 校長は高く笑ひました。

「アッハッハ。それはどなたもさう仰ゃいます。時に今日は野原で 何かいゝものをお見付けですか。」

「えゝ、火山弾を見附けました。ごく不完全です。」

「一寸拝見。」

 私は仕方なく背嚢からそれを出しました。校長は手にとってしば らく見てから
「実にいゝ標本です。いかゞです。一つ学校へご寄附を願へません でせうか。」と云ふのです。私は仕方なく、
「えゝ、よろしうございます。」と答へました。

 校長はだまってそれをガラス戸棚にしまひました。

 私はもう頭がぐらぐらして居たゝまらなくなりました。

 すると校長がいきなり、
「ではさよなら。」といふのです。そこで私も
「これで失礼致します。」と云ひながら急いで玄関を出ました。そ れから走り出しました。

 狐の生徒たちが、わあわあ叫び、先生たちのそれをとめる太い声 がはっきり後ろで聞えました。私は走って走って、茨海の野原のい つも行くあたりまで出ました。それからやっと落ち着いて、ゆっく り歩いてうちへ帰ったのです。

 で結局のところ、茨海狐小学校では、一体どういふ教育方針だか、 一向さっぱりわかりません。

 正直のところわからないのです。