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三人兄弟の医者と北守将軍(散文形)

 遠くの遠くの、グリッシャムといふ首府に、三人兄弟の医者があ りました。

 一番上のホトランカンは、あたり前のお医者でした。まん中のサ ラバアユウは馬のお医者でした。馬のけがや病気一切を診たり療し たりするお医者さまだったのです。一番末のペンクラアネイは草木 のお医者さまでした。すべて草のしほれやいたみの原因を尋ね,そ れをなくする役目なのでした。三人はどれも非常にうまいもんでし たから、大へん尊敬されました。それに、かう云ふ工合に専門がち がってゐますから、町の一番高い処に病院を三つならべて、てんで に赤い旗を立てゝ置いても、決して競争になるやうなことはありま せんでした。

 もし又三人の専門がちがはなかったら、三人別別に病院を持つや うな、そんなことはなかったのです。それほどこの兄弟は仲がいゝ のでした。それですから病院の坂の下で見てゐますと、びっこを引 いて坂をのぼる人、熱でまっ赤に燃えてゐる人、厚い毛糸の首巻き をしてゴホンゴホン咳嗽をする馬、葉が黄色にちゞれておまけにち ゞまった桑の木、からだの水気があんまり多くて息のはあはあする 人、爪をはがしてヒンヒン泣く月毛、頭のなかに風の入った人、ト ラホームの桃の木などが、毎日毎日、どこから出て来るものやら、 次から次とやって行くのでしたが、それがみんな坂の上の広場で、 三つにわかれ、人は人、馬は馬、草木は草木と、別々の病院に入る のでした。

 さて前にも申しました通り、この三人は三人とも、実に学問もよ く出来て、たしかにもう立派な大学士の資格があるのでしたが、ま だ何分適当なおりもありませんでしたから、やっぱりたゞの小学士 でした。ところが、たうたう、ある日のこと、三人が三人とも、一 ぺんに大学士になって、おまけに第一等の名医といふことになりま した。それはどう云ふわけかと云ひますとかうです。

 丁度朝の七時ごろでしたが、グレッシャムの町の北の方で、「ピ ーピーピピーピ、ピーピーピー。」といふ大へんあわれな、沢山の チャラメルの声が聞え、その間には「タンパララタ、タンパララタ、 ペタン、ペタン、ペタン。」といふ豆太鼓の音もしました。それか ら町の壁の上から、ひらひらした旗や、かゞやくほこなどがのぞき 出しました。

 北の門の番兵たちや、そのへんの人たちは、敵が押し寄せて来た と思ってどきどきしながら、壁のすき間から外をのぞきました。壁 の外には、まるで雲霞のやうな軍勢が、みんな変に灰色や鼠色がゝ って、もさもさ群がってゐました。一人の眼のするどい、ひげの灰 色な、せなかのまがった大将が、馬に乗って先頭に立ってゐました が、剣を抜いて高くかう歌ってゐるのでした。

「北守将軍の  プランペラポラン、
 いま塞外の  くらい谷から、
 やっとのことで戻って来た。

 勇ましい凱旋だと云ひたいのだが、
 実はすっかり 参って来たのだ、
 とにかくあそこは寒いところだよ。

 三十年といふ 黄いろなむかし、
 おれは百万の 軍勢をひきゐ、
 チャラメルを朝風に吹いて出かけた。

 それからどうだ、一日も太陽を見ない、
 霧とみぞれが  じめじめとふり、
 雁まで脚気で  たびたび落ちた。

 おれはそのあひだ馬で馳せ通し、
 馬がつかれて、たびたび、ペタンと座り、
 泡を吹いてもうさよならと云ったもんだ。
 そのたびごとに、おれは 鎧のかくしから、
 上等の朝鮮人蔘を とり出して
 馬にたべさせては 元気をつけた。

 その馬も今では  三十五歳
 一口の葉を噛むにも 一時間かゝる、
 それからおれはもう 六十九歳だ。

 どうせとても帰れないと思ってゐたが
 ありがたや、敵がみんな赤痢で死んだ、
 して見ればとにかくやっぱり凱旋だよ。

 殊に、も一つほめられて いゝことは
 百万人も出かけて 行ったものが、
 九十九万人まで  戻って来た、

 死んだ一万人はかなり気の毒だが、
 それはいくさに行かなくても死んだらうぜ、
 さうして見ると、どうだ、ほめられてもいゝだらう。

 そこでグレッシャムの 町の人人よ、
 北守将軍プラン ペラポランが帰ったのだ。どうか出て来て 歓 迎して呉れ。」

「帰って来た帰って来た。ありがたい。せがれも無事に相違ない。」

「ばんざあい。早く王さまへお知らせしろ。」

「門をひらけひらけ、」中ではもう大騒ぎです。

 番兵たちがギギイギイッとその灰いろの厚い門の扉を、開きまし た。

 灰いろになったプランペラポラン将軍が、わざと顔をしかめなが ら、しづかに馬のたづなをとって先頭に立ち、それからギラギラす るほこを持って、軍勢が楽隊の音に合せ、軍歌をうたひ、足なみを そろえて門から町の中へは入って来ました。

「タンパララタ、タンパララタ、ぺタンペタンペタン、
  風はまっくろだ、
  雁は高く飛ぶ、やつらは遠く逃げる。
  追ひかけやうとして、
  馬の首を叩けば、雪が一杯に降る。

 タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタンペタン、ピーピーピ ピーピ、ピーピーピー、
  北の七つ星、
  息もとまるばかり、冷えは落ちて来る、
  太刀のつかとれば、手はもうこゞえつく。

 タンパララタ タンパララタ ペタンペタンペタン、ピーピーピ ピーピ、ピーピーピー。
  雪がぷんぷんと降る、
  雁のみちができて、そこがあかるいだけだ、

  こゞえた砂が飛び、
  ひょろひょろのよもぎが、
  みんなねこぎにされる。

 タンパララタ、タンパララタ ペタンペタンペタン。」

 みんなはみちの両側にぞろっとならんで、この北から帰った軍勢 を迎へました。

「あゝプランペラポラン将軍はすっかり見違へるやうになった。か らだ中すっかり灰いろになった。そして兵隊もみんなさうだ。から だ中もじゃもじゃしてゐる。
 どんなにひどかったのだらう。」

 こんなことを云ってゐたとき、向ふからまっ赤な旗がたって大臣 がやって参りました。

 王からのお迎ひです。プランペラポラン将軍は、手をかざしてじ っとそれを見きわめてから、急いで馬から降りやうとしました。と ころが不思議にも、将軍の足は馬の鞍に、鞍は馬のせなかに堅く堅 くくっついてしまってゐて、どうしてもはなれませんでした。プラ ンペラポラン将軍は、すっかりあわてゝしまって、口を横にびくび く曲げながら、一生けん命馬からはね下りやうとしましたが、ます ますどうもいけませんでした。あゝ、これは実にプランペラポラン 将軍が三十年の間北の方の国境の深い暗い谷の底で、一ぺんも馬の 鞍から降りなかった為に、将軍の足の皮やズボンが、すっかり鞍の 革と結合し、その鞍が今度は馬のせなかの皮とすっかり結合したの でした。おまけに、あまりじめじめした暗い谷の底にながい間居た もんですから、将軍の顔や手からは、灰色の猿をがせのやうなもの が生えてゐたのでした。いやこの灰色の猿をがせのやうなものだけ は、九十九万人みな生えてゐたのでした。

 王さまからのお迎ひが、だんだん近くなりました。もう先頭の赤 い上着を着た警部の顔がわかるやうになりました。

「将軍、馬を下りなさい。王様からのお迎ひです。将軍、馬を下り なさい。」

「はい、たゞ今。」

将軍はまた手をバタバタしましたが、どうしても足が鞍からはなれ なかったのです。

 お迎ひに来た大臣といふのは、非常な近眼でしたから、将軍が馬 から降りないでしきりにバタバタしてゐるのをこれはわざと馬から 降りないで、手を振ってみんなに何か命令してゐるのだと考へまし た。

「謀叛だな。よし、さあ引き揚げい。」

 大臣は高く叫びました。そこで大臣の一行はまるで塵ほこりを立 てゝ、一目散に王様のお城の方に戻って行きました。

 将軍はため息をついて、それから手下の中で一番えらい将校を呼 びました。「おまへはどうか鎧やかぶとをすっかり脱いで早く王様 のところへ行って呉れ。プランペラポランは三十年馬を下りなかっ た為に、たうたうからだが鞍にくっつき鞍が又馬とくっつき、それ からからだからは一面に猿をがせが生えてどうしてもこのまゝお目 通りに出られません。
 いますぐ医者にかゝって、もとのやうになってから、お顔を拝し ますとな、かう云って呉れ。いゝか。」「はい。かしこまりました。」 と云ひながら、その将校はまるですばやく、よろひやかぶとを脱ぎ、 黄色な塵を立てゝ、一目散に王様のところへかけて行きました。

「全軍休め、将軍プランペラポランは、今一寸医者へ行って来る。 その間全軍は音を立てないで静かに休んでゐて呉れ。いゝか、わか ったか。」「わかりました、将軍。」と兵隊共は一ぺんに答へまし た。

 将軍はそこで急いで馬に鞭をあてました。

 その、たびたび朝鮮人蔘を食べた名高い馬は、一散に走り出しま した。そこで将軍は、丁度十丁ばかり走って、大きな坂の下に来た とき、全体何といふ医者に行くのか、今迄考へないでゐたことに気 がつきましたので、あわてゝ馬の上から叫びました。

「おい、この市で一番いゝ医者は誰だ。」

 町を歩いてゐた一人の学生が答へました。

「それはホトランカン先生であります。」

「ホトランカンの病院はどこだ。」

「あの坂の上であります。あの坂の上の三つの旗の中、一番左手の 下であります。」

「よろしい、ふっ、しゅう、」将軍は馬に鞭を一つ呉れて、一目散 に坂をかけあがりました。

 今答へた学生は、まだ将軍が誰かも知らないと見えて、「何だい、 人に物をたづねておいて、よろしい、ふっとは何だ。失敬な。智識 のどろ棒め。失敬な。」と云って怒ってゐました。

 将軍の馬は、坂をうづうづのぼって行く六七本の病気の木を、け とばしたり、はねとばしたりしました。けれどもまあ別段のけがも ないやうでした。

 今や将軍は、坂をのぼり切って、一番左の赤い旗をめあてに、そ の門まで参りました。なるほど門のはしらには、「ホトランカン人 間病院」といふ看板がかゝって居ます。

 将軍はまっすぐに門を入って、それから玄関に来ました。病人が うようよしてゐましたが、将軍はかまはず馬のまゝ、どしどし廊下 へのぼって参りました。さすがは名高いホトランカン先生の病院で す。どの室の扉も、みんな高さが二丈もあって、馬のまゝずんずん 入れるのでした。「診察室はどこだ、診察室はどこだ。」と将軍は 叫びました。

「あなたは一体何ですか、馬のまゝ入って来るなんて。あんまり野 蛮ではありませんか。」

 白い仕事着を着た助手が出て来て、将軍の馬のくつわを押へまし た。

「お前がホトランカンか、早くおれの病気を診ろ。」

「いゝえ、ホトランカン先生は、この室の中に入らっしゃいます。 診察を受けたいなら馬を降りて下さい。」

「いゝやこれが病気なんだ。早く診て呉れ。」

「ははあ、馬から降りられない病気か。ははあ、脚の硬直病だ。そ んならよろしいです。そのまゝお入りなさい。さあ。」助手はドア を開けました。プランペラポラン将軍は馬のまゝで診察室の中に入 りました。見ると病人が一杯につまってゐて、ずっと向ふでホトラ ンカンらしい顔の、まっ赤な肥った医者が、しきりに一人の病人を 見てゐるのでした。

「おい、ホトランカン、早くおれを診て呉れ。」

 ところがホトランカン先生は、見向きもしないで、やはりその病 人のせなかに耳をあて、じっとからだの中の音を聞いてゐました。

 助手が云ひました。「いゝえ、診察には順番があります。番号札 をあげませう。あなたは九十六番ですから、今が二十番で、あと七 十六人お待ち下さい。」「いけない、いけない。おれは北守将軍の プランペラポランなのだ。九十九万人の兵隊を待たしてあるんだ。 早く診て呉れ。」

「いゝえ、いけません。それまで待つのがおいやなら、どうかほか へお出で下さい。」

「いゝや、ならん。もしすぐ診ないならば、
 よしっ、医者も病人もあるもんか、みんな馬の蹄にかけてけちら してやるぞ。
 それシッ。」将軍は、もう今にも、馬に一むちやりさうにしまし た。病人はキャッと叫んで逃げやうとします。ところがホトランカ ン先生は、ちっともさはぎませんでした。こちらを見やうともしま せんでした。助手もその通り少しもさわがず、じっとして、馬のく つわをにぎったまゝ、左手で白いはんけちをポケットから出して、 馬の鼻さきを二三べんこするやうにしました。すると何か大へんな 薬がしかけてあったと見えて、馬が「ふう、ふう。」と二つばかり 大きな息をして、それからペタンと座り、今度はごうごういびきを かいて、よだれを垂らして、ねむってしまひました。

 将軍はあわてゝ、「あ、馬のやつめ、又参ったな。困った困った。」 と云ひながら、急いで鎧のかくしから、一本の朝鮮人蔘を取り出し て、からだを曲げて馬の上に持って行きましたが馬はもう食べやう ともしませんでした。

「情けないやつだ。あんなに難義をして、やっと都に帰って来ると、 すぐ気がゆるんで死んでしまうとは、あまりと云へばあはれなやつ だ。
 おい、起きんか、起きんかい。しっ、ふう、どう、おい、お前の 大好きの朝鮮人蔘を、ほんのちっとばかり食べんかい。おい。」

 将軍は倒れた馬のせなかで、ポロポロ泪を流して、しくりあげな がら言ひました。

「医者さん、たのみます。どうかこの馬を診てやって下さい。急病 です、わたしも北の国境に居た間、三十年、ずゐぶん兵隊や人民の 衛生や外科の方には力をつくしました。」

 助手はだまってくっくっと笑ってゐましたが、ホトランカン先生 は、この時俄かに、こっちを振り向いて、まるで将軍の胸の底や、 馬の臓腑まで見徹すやうなするどい眼をしてから、しづかに云ひま した。

「その馬の今倒れたのは病気ではありません。しかしあなたの北の 方での医学に対する貢献に敬意を払って、急病人だけ、もう三人診 たら、すぐにあなたをなほしてあげませう。一寸お待ちなさい。お い、その馬を起してあげろ。」

 助手は、軽く「はい」と答へて、馬の耳に口をあてゝ、「ふっ。」 と一つ息を吹き込みました。

 すると馬が、まるでガバとはね起き、将軍もにはかにせいが高く なったやうに見えました。

 ホトランカン先生は、さっきからの病人を、やっと診察してしま ったと見えて、一寸手を洗ひながら、低く「消防用意。」と云ひま した。

 三人の助手と、六七人の看護婦が、あちこちうごいて、見る間に、 大きな葡萄酒樽のやうな桶がはこび出され、一人は水道からゴム栓 を引いて来てその中に注ぎました。

 間もなく水は一ぱいになり、ホトランカン先生は、総指揮官とい ふあんばいに、椅子の上にまっすぐに立って叫びました。

「消防はじめっ」二人の助手が、病人を運んでバチャンとその水桶 の中に投げ込みました。

 湯気がしゅうしゅうと立ちました。

「あの人はからだの中で、あんまり火が燃えすぎてゐますので、今 それを半分ばかり消しとめるところです。」とさっきの助手が、プ ランペラポラン将軍に説明しました。

 ホトランカン先生は、椅子の上でぢっと時計を見つめて、十病十 一秒、十二秒とだんだん数へてゐましたが、ついに「消防やめっ、 引き上げい。」と命令しました。一人の助手が、すぐ病人のえり首 をつかんでを引っ張り上げました。

 病人は、大へん疲れたやうで、くにゃんとして居ました。「よろ しい、別室で休みなさい。」ホトランカン先生が、しづかに云ひま した。

 次の病人が出て行きました。ホトランカン先生は、一目その顔を 見るや、「あゝ、お前は頭の中が、いつでもごうごうと鳴るだらう。」 と云ひました。「はい、さようでございます。時によりますと、し んしんと鳴ることもございます。」

「ふん、それは、風が頭の中の小さい小さいすき間を通る時だ。ご うごうといふのは、頭の中の野原を翔けて行く時だ。よろしい、お い、
 軽石軟膏。」助手がすぐ小さな貝にはいった薬を出しました。よ ろしい、これを毎晩頭によく塗って寝みなさい。すっかり頭の中を 風を吸ひ取ってしまふから。よし退れ。」ホトランカン先生は云ひ ました。

 次の病人が進んで行きました。

 先生はぢっとその瞳を見てから「ヘムロン試薬。」と云ひながら、 うしろへ手を出しました。一人の助手が、すぐ茶色の瓶を先生の手 に渡しました。ホトランカン先生は、それを受け取って、病人の頭 の上に、一滴ポトリと落しました。頭からはたちまち「シュウ、パ チパチパチ」と泡が立ちました。先生はしばらくその泡をしらべて から、「よろしい。発泡用意。」と叫びました。たちまち助手がは せ廻って、大きな大きなガラスのキップ装置を引き出しました。ホ トランカン先生は、その底の方の、大きな栓を抜いて、「さあ、お はいり。」と病人に云ひました。病人はいかにも大儀らしく、おま けに怖がって、ぶるぶるふるえながら、その中に這ひ込みました。 ホトランカン先生は、また前のやうに、椅子の上にちゃんと立ちま した。

「さあ、いゝか。塩酸の支度もいゝか。栓をよくして。いゝか。発 泡はじめっ。」

 一人の助手が、上の方の漏斗から、稀塩酸をシュウと注ぎました。 病人はガラスの中で、まるでまるで薄く歪んで見えます。

 見る見る塩酸は、病人のところにとゞいて、
「ゴボ、ゴボ、ゴボ、ゴボ、」と実に大きな泡が、立ちました。ホ トランカン先生は、またじっと時計を見てゐましたが、丁度泡が出 なくなったとき、「発泡やめい。」と号令をかけました。一人の助 手が、まるでいなづまのやうに、底の方の栓を抜いて、中に飛び込 んで行って、まっ青になって気絶してゐる病人を引っ張り出して来 ました。「よろしい、別室で人工呼吸。」とホトランカン先生が、 椅子の上に立ったまゝ、云ひました。それから、今度は、いよいよ プランペラポラン将軍の方に向きました。

「今度はあなた、こちらへお出で下さい。」

 プランペラポラン将軍は、なるべくしづかに馬を進めて、ホトラ ンカン先生の前まで行きました。ホトランカン先生は、将軍の手を とってじっと眼を見ました。

「あなたは向うで狐にだまされたことがありますか。」「あります。 いや、向の狐は実にいかんですな。百万にも近い軍勢を、一ぺんに 欺すのですからな。夜、火を出したり、昼いきなり谷の上に沢山の 城を見せたり、どうも全くたちが悪いです。」

「ふんふん、一ぺん欺されるに、何日ぐらゐかゝりますか。」

「まあ四日ですな。十日の時もあります。十日たってもまだはっき りしないこともあります。」

「ふん、ふん、それで、あなたは何べん欺されましたか。」

「さやう、少くても、十三べんは欺されてるぢゃろうか。もっとも、 欺されたかどうか、わからないでしまったのもあるでせう。きっと。」

「ふん、ふん、そんならお尋ねしますが、百と百を加へるといくら になりますか。」

「百九十九です。」「ふん、ふん、二百と二百では。」「三百九十 八。」「ふん、ふん、四百と四百では。」「七百九十六です。」 「ふん、ふん、あなたはまだ少し、だまされておいでですよ。もっ ともほんの少うしですがな。なほしてあげませう。
 清洗用意っ。」助手が大きなガラスの槽をもって来ました。ホト ランカン先生は、それを受け取って台に置いて云ひました。

「こゝへ頭をお出しなさい。」プランペラポラン将軍は、馬の上か らしゃがんで、床屋へ行ったときのやうに頭を槽の上に出しました。

「噴霧器。」すぐ真鍮の噴霧器参りました。ホトランカン先生は、 それをきっきっと押して、将軍の頭の上から、シュウシュウと霧を そゝぎました。将軍の鼻からは、雫がポトポトと落ちて、ガラスの 槽には入りました。そのしずくははじめは黄色でしたが、だんだん 見てゐるうちに、色がなくなり、たうたうすっかりすきとほって水 のやうに見えて来ました。

「清洗やめ。」ホトランカン先生が、噴霧器をカタンカタンやるの をやめて、高く叫びました。助手がすぐタオルを持って来て、将軍 の頭や顔をすっかり拭ひました。将軍はぶるぶるっと身ぶるひして 起きあがりました。

「どうです、せいせいしたでせう。そこで百と百を寄せると、いく らになりますか。」「二百。」将軍はさっきのことなど忘れたやう に、けろりとして答へました。「二百と二百では。」「四百。」 「四百と四百は。」「八百。」「一万と一万では。」「二万。」 「よろしい、すっかりなほりました。」

「いや、いや、私はこの馬と、私とを離してもらひに来たんぢゃ。」

「なるほど、それは、あなたの足と、あなたのズボンを離すことは、 私に出来ます。もうちゃんと離れてゐる筈です。けれども、ずぼん がくらとくっつき、くらが馬のせなかの皮とくっついた分は、それ は私の責任ではありません。それはズボンの医者、鞍の医者、それ から馬の医者にかゝらなければなりません。とにかく、それではご 案内をさせますから、私の弟のサラバアユウの処においでなさい。 それに、この馬も大分ひどい病気にかゝってます。」

「そんならわしの顔から生えた猿をがせだけをあなたの処でとって 貰ひたいもんですがな。」

「それも私はもう見ました。しかしながら、私にはどうも手を付け やうがありません。手を入れますと、飛んでもないことになります からな。そちらの方は、植物の医者におかゝりなさい。やはり私の 弟で、ペンクラアネイといふのが、すぐ一軒となりに病院をやって ゐますから、そちらへも御案内させませう。」

「さうですか、いや、どうかさう云ふことに願ひます。では、これ で。またお目にかゝりませう。いや、さよなら。」「おい、隣りへ ご案内してあげて呉れ。」一人の助手が、そこでプランペラポラン 将軍とならんで、診察室を出ました。それからいぬしだの花の咲い た庭を横切って、厚いセメントの塀に来ました。そこに小さな潜り がそこにありました。「今裏門をあけさせますから。」

 助手は云ひながら、潜りの向ふに、は入って行きました。「いや、 それには及ばん。わしの馬は、こんな塀ぐらゐ、屁とも思はんさ。」 将軍は云ひながら、「それ行け、しっ。」馬に一むち呉れました。 「ばっ、ふゅう」もう馬は、塀を飛び越えて、サラバアユウ先生の けしの花壇をめっちゃくちゃに踏みつけてゐました。

 そこに立ってゐたホトランカン先生の助手は、愕いて顔色を変へ ました。それでも二人は、又、並んで向ふに、だんだん診察室の方 へ行きますと、もうあっちからもこっちからも、「エヘン、エヘン、 ブルルル、エヒン、エヒン、フウといふやうな馬の挨拶が聞えます。 二人が、一足、その診察室のセメントの床に立ちましたら、三方か ら三十疋ばかりの馬が、まるで馬鹿のやうに叫んで走って来ました。

 ホトランカン先生の助手は、すっかりまっ青になって、「あの向 ふに居るのがサラバアユウ先生です。」と口早に言ったまゝ、まる で一目散に逃げて行ってしまひました。。

もうその間に、将軍の馬は、ほかの病気の馬とはすっかり挨拶をか はしてしまったのでした。そこで将軍は、一万疋も集ってゐる病気 の馬の間を、とっとっとっとっと自分の馬を進めて、サラバアユウ 先生のところに近づきました。

 サラバアユウ先生は、丁度一ぴきの首巻をした年老りの馬を診て ゐるところでした。

「せきは夜も出ますか。」「どうも出ます、ゴホンゴホン。」「胸 が痛みますか。」「イヒン、ヒン、ヒン、ヒン。」「胸が痛みます か。」「イヒン、ヒン、ヒン、ヒン、」「胸が痛みますか。」「痛 みます、ゴホン、ゴホン。」「たべ物はおいしいですか。」「イヒ ン、ヒン、ヒン、ヒン、ヒン、」「たべものはおいしいですか。」 「イヒン、ヒン、ヒン、ヒン、」「たべ物はおいしいですか。」 「うまい。ゴホン、ゴホン、ゴホン。」「どんなものをたべてゐま すか。」「エヘヘヘヘヘ、」「どんなものをたべてゐますか。」 「エヘヘヘヘヘ」「どういふものをたべてゐますか。」「エッヘッ ヘッヘ。」「どんな物です、云ってごらんなさい。」「エッヘッヘ、 お藁です。ヘッヘッヘ。」「藁だけですか。」「エッヘッヘ、それ に塩がポッチリ、ヘッヘ。」「なるほど、よほど大事にしないとい けません。あなたの主人に、私から手紙を書きませう。おい書いて 呉れ。」きれいに髪を分けて、顔をてかてか剃った、サラバアユウ 先生は、向ふの机に座って居る、助手の方を向いて云ひました。

「いゝかい。

 拝啓、ますますご清勝、奉慶賀候、御高堂御愛育のセン、プラネ ン殿、本日御来院につき、診察仕候処、右は栄養不良と、過労に基 因する肺癆に有之、可成重体と存候。就いては、この際、充分の御 決心を以て、茲二三ヶ月労役を免じ、荳類青草等を豊富に御給与相 成度、然らざれば、却って高堂の御損失に立ち至るやと存じ候。小 見如斯御座候。敬具、

馬医小学士院長、サラバアユウ。

 あなたのご主人は何と云ひます。」

「フランドルテール、ゴホンゴホン。」(以下原稿一枚?なし)

で、将軍ははづみを食って、ドタリと馬から落ちました。落ちまし たが、それは待ってゐた助手がうまく受けとめて、そっと床の上に おろしました。サラバアユウ先生は、そんなことに頓着なく、今度 は馬のせなかの方から、だんだんエーテルをかけながら、ジワジワ と片っぱしから鞍を馬からはなしました。

 間もなく鞍はすぽっと馬のせなかからとれ、馬は何だか見当がつ かないと云うやうに、四五へんせなかをゆすぶってゐました。

「えゝ、お馬は少しリウマチスにかゝってゐます。今なほしてあげ ます。おい、電気。」

 助手の一人が、もうその支度をして、紐のついた電気の盤を捧げ て持ってゐました。

 サラバアユウ先生は、それを受け取って、一寸スヰッチをひねっ て、馬のもゝに押しつけました。馬はこはがってばたばたしました が、プランペランカラン将軍が、ぢっとその眼をみつめてゐました ので、とにかく安心して、あばれもしませんでした。

「もういゝだらう、一寸歩いてごらん。」

 馬はおとなしく歩き出しました。サラバアユウ先生は、しばらく それを見てゐましたが、将軍に向って、「もう、いゝやうです。今 度は、弟のところへお出でになりますか。」

「さうです。どうもおかげでした。又お目にかゝります。」「弟の ところへ、ご案内させませうか。おい、行って来て呉れ。」一人の 助手に云ひました。そこでプランペラカラン将軍は、馬に鞍を置き 直して、ゆらりと乗り、一人の助手に案内されて、その診察室を出 ました。

 それからけしの花の咲いた庭を通り、厚いセメントの塀を前のや うにひらりと飛び越えて、今度はペンクラアネイ先生のところのば らの花を、めっちゃくちゃにふみつけ、やがてその診察室に参りま した。

 ところがペンクラアネイ先生の診察室なんてものは、まるでまる で林のやうなものでした。もうそれは、あらゆる種類の木や草が、 もぢゃもぢゃに集まって、笑ったり泣いたりしてゐるのでした。プ ランペラカラン将軍は、馬を下りて案内のサラバアユウ先生の助手 と一諸に、その木の中をくゞって、だんだんペンクラアネイ先生の 方へ行きました。

 木はみんな不思議さうに、二人を見送りました。ペンクラアネイ 先生は、まだ大へん若く、顔がまっかで、いかにもうれしそうに、 にこにこ笑ってゐました。その歯がきれいで、きらきら光ってゐま した。その前に一本のいぢけた桃の木が立ってゐました。二人はし ばらくその桃の木の診察の終るのを待って立ってゐました。ペンク ラアネイ先生は、ちらっと二人の方を見ながら、「それで、あなた の今の生活は、一体どう云ふのですか。」と尋ねました。

 ふると、そのいぢけた桃の木は、いかにもその親切な言葉に感動 したやうに、はあはあと深く息をしてゐましたが、やがて高く歌ひ 出しました。

 「そんなにやさしく 云はれますと、
  わたくしのむねは ふさがります、
  もおしあげるのも なみだのたね、
  おきゝなされて くだされませ、
  苗どこを出て、 町にはこばれ、
  あるみせさきに 置かれました、
  そのころの思ひは、のぞみにみち、
  あをぞら遠く、 行くのでした、
  けれどもけれども、それもしばし、
  いまの主人に、 買はれました,
  わたくしのくらいりっぱなものを、
  たった九銭で、 買ったのです、
  それから村に、 又連れられ、
  厩の前に、夜を あかしました、
  うゑられたところは、ひどいねばつち、
  根はのびられず、水ははけづ、
  それからいままで、よるもひるも、
  泣いて泣いて泣いて、泣きどほし、
  大事の枝を切られたり、むしられたり、
  皮をはがれたり、裂れたり、
  そのきづあとは、ごらんのとほり、
  うんでしまって、やにが出ます、
  油むしは    枝にっぱい、(以下原稿一枚?なし)

て終っても、あなたの歌は、みんなに歌はれませう。いゝですか。 わかりましたか。」

 桃の木は、実にどうもボロボロ涙をこぼして、泣いてゐましたが、 いきなり「わかりました。」と高く叫びながら、泣いて泣いて泣い て、一目散に走って診察室を出て行きました。

 どうも病気の木なんてものは、全く変なものです。ペンクラアネ イ先生は、じっとそのあとを見送ってから、しづかに将軍に礼をし ました。

「ご病気はよくわかりました。すぐ治してさしあげます。おい、ア ルコホルとかみそり。」一人の助手が、すぐアルコホルの瓶と、青 びかりする大きなかみそりを持って来ました。

 ペンクラアネイ先生は、それを受け取って、すばやく、アルコホ ルで将軍の顔をしめし、すっすっすっすと、さるをがせを剃りまし た。

 アルコホルをつけて、さるおがせを剃るなんて、こんな雑作ない ことはないやうに、プランペラカラン将軍は思ひました。それでも、 これですっかり病気がなほったと思ふと、将軍はもううれしくてう れしくて、わくわくしました。

「もういゝです。」とペンクラアネイ先生が云ひました。

「今日は兵隊が待ってゐますから、それではこれで失礼いたします。 さよなら。さよなら。」

 プラペラカラン将軍は、まるではやてのやうに速く走って、室を 出て、ひらりと馬に乗りました。「さあ、しっ、行けっ。」馬は光 よりも速く走って、たちまちペンクラアネイ病院の門を出、サラバ アユウ病院の前を通り、ホトランカン病院を斜めに見て、早くも坂 を下ってゐました。両側の家が、ふらふらと影法師のやうに見える ばかり、もうプランペラカラン将軍は、向ふの方で兵隊たちが、 「おゝ将軍、将軍、」と叫んでゐる声を聞きました。将軍は馬をと め、汗を拭ひました。その時向うから、さっき王様のところへ走っ て行った将校が、一散にかけて参りました。

「王様がすっかりご承知なされました。あなたのご難義について、 玉顔に涙さへ浮かべられました。あなたのお出でを、しきりにお待 ちなされて居らっしゃいます。」

 プランペラカラン将軍は、新しく剃った顔をかゞやかしました。 「よし、みんなすっかり支度をしろ。薬屋からアルコホルを千斤だ け買って来い。それをみんなにわけろ。みんなアルコホルで顔をし めして、剣でさるをがせを剃れ。」兵隊たちはよろこんで、わっと 叫びました。

 どうです、早いこと。もうアルコホルが来て、みんながそれでピ チャピチャ顔をしめし、ピカピカピカ光る剣を抜いて、すっすと剃 ってしまひました。

「いゝか、さあすっかり支度をして。いゝか、気を付けっ。」全軍 しんとなりました。たった一疋、ブルッと鼻を鳴らした馬があるき りです。「前へ進め。」

「タンパララタ、タンパララタ、ペタン、ペタン、ペタン、
  そらがしろびかり、
  水の中のやうな、
  おれの服のあや、

  河ははて遠く、
  夕日はまっしろく、
  ゆれていま落ちる。
 タンパララタ、タンパララタ、ペタン、ペタン、ペタン、
  雪でまっくらだ、
  旗の画もしぼみ、
  つゞみと風の音。
 ピーピーピピーピ、ピーピーピ。」

 プラペラカラン将軍は、剃りたての顔をわざと一層しかめて先頭 に立って、しづしづと大通りを進みました。それからお城にはいり ました。あとはもうおわかりでせう。

 つぎの日、三人兄弟の医者、ホトランカン、サラバアユウ、それ から、ペンクラアネーが、大学士になり、王様の病気のときは、ど うか来て見て下さいと頼まれたのです。