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クンねずみ

 クンねずみのうちは見はらしのいいところにありました。

 すぐ前に下水川があって、春はすももの花びらをうかべ、冬はと きどきはみかんの皮を流しました。

 下水川の向ふには、通りの野原がはるかにひろがってゐて、つち けむりの霞がたなびいたり、黄いろな霧がかかったり、その又向ふ には、酒屋の土蔵くらがそら高くそびえて居りました。

 その立派な、クンねずみのおうちへ、ある日、友達のタねずみが やって来ました。

 全体ねづみにはいろいろくしゃくしゃな名前があるのですからい ちいちそれをおぼえたらとてももう大へんです。一生ねづみの名前 だけのことで頭が一杯になってしまひますからみなさんはどうかク ンといふ名前のほかはどんなのが出て来てもおぼえないで下さい。

 さてタねづみはクンねづみに云ひました。

「今日は、クンねずみさん。いゝお天気ですね。」

「いゝお天気です。何かいゝものを見附けましたか。」

「いゝえ。どうも不景気ですね。どうでせう。これからの景気は。」

「さあ、あなたはどう思ひますか。」

「さうですね。しかしだんだんよくなるのぢゃないでせうか。オウ ベイのキンユウはしだいにヒッパクをテイしなそう……。」

「エヘン、エヘン。」いきなりクンねずみが大きなせきばらひをし ましたので、タねずみはびっくりして飛びあがりました。クンねず みは横を向いたまゝ、ひげを一つぴんとひねって、それから口の中 で、
「へい、それから。」と云ひました。

 タねずみはやっと安心して又お膝に手を置いてすはりました。

 クンねずみもやっとまっすぐを向いて云ひました。

「先ころの地震にはおどろきましたね。」

「全くです。」

「あんな大きいのは私もはじめてですよ。」

「ええ、ジャウカドウでしたねも。シンゲンは何でもトウケイ四十 二度二分ナンヰ」

「エヘンエヘン」

 クンねづみは又どなりました。

 タねづみは又全く面くらひましたがさっきほどではありませんで した。クンねづみはやっと気を直して云ひました。

「天気もよくなりましたね。あなたは何かうまい仕掛けをして置き ましたか。」

「いゝえ、なんにもして置きません。しかし、今度天気が永くつゞ いたら、私は少し畑の方へ出て見やうと思ふんです。」

「畑には何かいゝことがありますか。」

「秋ですからとにかく何かこぼれてゐるだらうと思ひます。天気さ へよければいゝのですがね。」

「どうでせう。天気はいゝでせうか。」

「さうですね。新聞に出てゐましたが、オキナワレッタウにハッセ イしたテイキアツは次第にホクホクセイのほうへシンカウ……。」

「エヘン、エヘン。」クンねずみは又いやなせきばらひをやりまし たので、タねずみはこんどといふこんどはすっかりびっくりして半 分立ちあがって、ぶるぶるふるえて眼をパチパチさせて、黙りこん でしまひました。

 クンねずみは横の方を向いて、おひげをひっぱりながら、横目で タねずみの顔を見てゐましたがずうっとしばらくたってから、あら んかぎり声をひくくして、
「へい。そして。」と云ひました。ところがタねずみは、もうすっ かりこわくなって物が云へませんでしたから、にはかに一つていね いなおじぎをしました。そしてまるで細いかすれた声で、「さよな ら。」と云ってクンねずみのおうちを出て行きました。

 クンねずみは、そこで、あふむけにねころんで、「ねずみ競争新 聞」を手にとってひろげながら、
「ヘッ。タなどはなってないんだ。」とひとりごとを云ひました。

 さて、「ねずみ競争新聞」といふのは実にいゝ新聞です。これを 読むと、ねずみ仲間の競争のことは何でもわかるのでした。ペねず みが、沢山たうもろこしのつぶをぬすみためて、大砂糖持ちのパね ずみと意地ばりの競争をしてゐることでも、ハ鼠ヒ鼠フ鼠の三疋の むすめねずみが学問の競争をやって、比例の問題まで来たとき、た うたう三疋共頭がペチンと裂けたことでも何でもすっかり出てゐる のでした。さあ、さあ、みなさん。失敬ですが、クンねずみの、今 日の新聞を読むのを、お聴きなさい。

「えゝと、カマジン国の飛行機、プハラを襲ふと。なるほどえらい ね。これは大へんだ。まあしかし、こゝまでは来ないから大丈夫だ。 えゝと、ツェねずみの行衛不明。ツェねずみといふのはあの意地わ るだな。こいつはおもしろい。

 天井てんじやううら街一番地、ツェ氏は昨夜行衛不明となり たり、本社のいちはやく探知するところによればツェ氏は数日前よ りはりがねせい、ねずみとり氏と交際を結び居りしが一昨夜に至り て両氏の間に多少感情の衝突ありたるものの如し。台所街四番地ネ 氏の談によれば昨夜もツェ氏は、はりがねせい、ねずみとり氏を訪 問したるが如しと。尚床下通二十九番地ポ氏は、昨夜深更より今朝 にかけて、ツェ氏並にはりがねせい、ねずみとり氏の、烈しき争論、 時に格闘の声を聞きたりと。以上を綜合するに、本事件には、はり がねせい、ねずみとり氏、最も深き関係を有するが如し。本社は更 に深く事件の真相を探知の上、大にはりがねせい、ねずみとり氏に 筆誅を加へんと欲す、と。ははあ、ふん、これはもう疑もない。ツ ェのやつめ、ねずみとりに喰はれたんだ。おもしろい、そのつぎは と。何だ、えゝと、新任ねずみ会議員テ氏。エヘン。エヘン。 ヱン。エッヘン。ヱ゛ェイ、ヱ゛ェイ、何だ。畜生。テなどが鼠会 議員だなんて。えい、面白くない。おれでもすればいゝんだ。えい。 面白くない、散歩に出やう。」

 そこでクンねずみは散歩に出ました。そしてプンプン怒りながら、 天井うら街の方へ行く途中で、二疋のむかでが親孝行の蜘蛛のはな しをしてゐるのを聞きました。

「ほんたうにね。さうはできないもんだよ。」

「えゝ、えゝ、全くですよ。それにあの子は、自分もどこかからだ が悪いんですよ。それだのにね。朝は二時ころから起きて薬を飲ま せたりおかゆをたいてやったり夜だって寝るのはいつも晩いでせう。 大抵三時ころでせう。ほんたうにからだがやすまるってないんでせ う。感心ですねい。」

「ほんたうにあんな心掛けのいゝ子は今頃あり……。」

「エヘン、エヘン。」と、いきなりクンねずみはどなって、おひげ を横の方へひっぱりました。

 むかではびっくりして、はなしもなにもそこそこに別れて逃げて 行ってしまひました。クンねずみはそれからだんだん天井うら街の 方へのぼって行きました。天井うら街のガランとした広い通りでは 鼠会議員のテねずみがもう一ぴきの鼠とはなしてゐました。クンね ずみはこわれたちり取のかげで立ちぎきをして居りました。

 テねずみが、
「それで、その、わたしの考ではね、どうしても、これは、その、 共同一致、団結、和睦の、セイシンで、やらんと、いかんね。」と 云ひました。

 クンねずみは
「エヘン、エヘン。」と聞えないやうにせきばらいをしました。相 手のねずみは、「へい。」と云って考へてゐるやうすです。

 テねずみははなしをつゞけました。

「もしさうでないとすると、つまりその、世界のシンポハッタツカ イゼンカイリャウがそのつまりテイタイするね。」

「ヱン、ヱン、ヱイ、ヱイ。」クンねずみは又ひくくせきばらひを しました。相手のねずみは「へい。」と云って考へてゐます。

「そこで、その、世界文明のシンポハッタツカイリャウカイゼンが テイタイすると、政治は勿論ケイザイ、ノフゲフ、ジツゲフ、コウ ゲフ、ケフイクビジュツそれからチャウコク、クヮイガそれからブ ンガク、シバヰ、えゝとエンゲキ、ゲイジュツ、ゴラク、そのほか タイイクなどが、ハッハッハ、大へんそのどうもわるくなるね。」 テねずみは六ヶ敷い言をあまり沢山云ったのでもう愉快でたまらな いやうでした。クンねずみはそれが又無暗にしゃくにさわって「ヱ ン、ヱン」と聞えないやうにそしてできるだけ高くせきばらひをや ってにぎりこぶしをかためました。相手のねずみはやはり「へい。」 と云って居ります。テねずみは又はじめました。

「そこでそのケイザイやゴラクが悪くなるといふと、不平を生じて ブンレツを起すというケックヮにホウチャクするね。そうなるのは 実にそのわれわれのシングヮイで、フホンイであるから、やはりそ の、ものごとは共同一致団結和睦のセイシンでやらんといかんね。」

 クンねずみはあんまりテねずみのことばが立派で、議論がうまく 出来てゐるのがしゃくにさわって、たうたうあらんかぎり、
「エヘン、エヘン。」とやってしまひました。するとテねずみはぶ るるっとふるえて、目を閉ぢて、小さく小さくちゞまりましたが、 だんだんそろりそろりと延びて、そおっと目をあいて、それから大 声で叫びました。

「こいつはブンレツだぞ。ブンレツ者だ。しばれ、しばれ。」と叫 びました。すると相手のねずみはまるでつぶてのやうにクンねずみ に飛びかかって鼠のとり縄を出してクルクルしばってしまひました。

 クンねずみはくやしくてくやしくてなみだが出ましたがどうして もかなひさうがありませんでしたからしばらくじっとして居りまし た。するとテねずみは紙切れを出してするするするっと何か書いて 捕り手のねずみに渡しました。

 捕り手のねずみは、しばられてごろごろころがってゐるクンねず みの前に来て、すてきに厳かな声でそれを読みはじめました。

「クンねずみはブンレツ者によりて、みんなの前にて暗殺すべし。」 クンねずみは声をあげてチウチウなきました。

「さあ、ブンレツ者。あるけ、早く。」ととりてのねずみは云ひま した。さあ、そこでクンねずみはすっかり恐れ入ってしほしほと立 ちあがりました。あっちからもこっちからもねずみがみんな集って 来て、
「どうもいゝ気味だね、いつでもエヘンエヘンと云ってばかり居た やつなんだ。」

「やっぱり分裂してゐたんだ。」

「あいつが死んだらほんたうにせいせいするだらうね。」といふや うな声ばかりです。

 捕り手のねずみは、いよいよ白いたすきをかけて、暗殺のしたく をはじめました。

 その時みんなのうしろの方で、フウフウといふひどい音がきこえ、 二つの眼玉が火のやうに光って来ました。それは例の猫大将でした。

「ワーッ。」とねずみはみんなちりぢり四方に逃げました。

「逃がさんぞ。コラッ。」と猫大将はその一疋を追ひかけましたが もうせまいすきまへずうっと深くもぐり込んでしまったのでいくら 猫大将が手をのばしてもとゞきませんでした。

 猫大将は「チェッ」と舌打ちをして戻って来ましたが、クンねず みのたゞ一疋しばられて残ってゐるのを見て、びっくりして云ひま した。

「貴様は何といふものだ。」クンねずみはもう落ち着いて答へまし た。

「クンと申します。」

「フ、フ、さうか。なぜこんなにしてゐるんだ。」

「暗殺される為です。」

「フ、フ、フ。さうか。それはかあいさうだ。よしよし、おれが引 き受けてやらう。おれのうちへ来い。丁度おれの家では、子供が四 人できて、それに家庭教師がなくて困ってゐる所なんだ。来い。」

 猫大将はのそのそ歩き出しました。

 クンねずみはこわごわあとについて行きました。猫のおうちはど うもそれは立派なもんでした。紫色の竹で編んであって中は藁や布 きれでホクホクしてゐました。おまけにちゃあんとご飯を入れる道 具さへあったのです。

 そしてその中に、猫大将の子供が四人、やっと目をあいて、にゃ あにゃあと鳴いて居りました。

 猫大将は子供らを一つずつ嘗めてやってから云ひました。

「お前たちはもう学問をしないといけない。こゝへ先生をたのんで 来たからな。よく習ふんだよ。決して先生を喰べてしまったりして はいかんぞ。」子供らはよろこんでニヤニヤ笑って口口に、
「お父さん、ありがたう。きっと習ふよ。先生を喰べてしまったり しないよ。」と云ひました。

 クンねずみはどうも思はず脚がブルブルしました。猫大将が云ひ ました。

「教えてやって呉れ。主に算術をな。」

「へい。しゃう、しゃう、承知いたしました。」とクンねずみが答 へました。猫大将は機嫌よくニャーと鳴いてするりと向ふへ行って しまひました。

 子供らが叫びました。

「先生、早く算術を教へて下さい。先生。早く。」

 クンねずみはさあ、これはいよいよ教へないといかんと思ひまし たので、口早に云ひました。

「一に一をたすと二です。」

「わかってるよ。」子供らが云ひました。

「一から一を引くとなんにも無くなります。」

「わかったよ。」子供らが叫びました。

「一に一をかけると一です。」

「わかりました。」と猫の子供らが悧口そうに眼をパチパチさせて 云ひました。

「一を一で割ると一です。」

「先生、わかりました。」と猫の子供らがよろこんで叫びました。

「一に二をたすと三です。」

「わかりました。先生。」

「一から二は引かれません。」

「わかりました。先生。」

「一に二をかけると二です。」

「わかりました。先生。」

「一を二でわると半かけです。」

「わかりました。先生」

 ところがクンねずみはあんまり猫の子供らがかしこいのですっか りしゃくにさわりました。さうでせう。クンねずみは一番はじめの 一に一をたして二をおぼえるのに半年かかったのです。

 そこで思はず、「エヘン。エヘン。ヱイ。ヱイ。」とやりました。 すると猫の子供らは、しばらくびっくりしたやうに、顔を見合せて ゐましたが、やがてみんな一度に立ちあがって、
「何だい。ねずめ。人をそねみやがったな。」と云ひながらクンね ずみの足を一ぴきが一つづつかぢりました。

 クンねずみは非常にあわてゝばたばたして、急いで「エヘン、エ ヘン、ヱイ、ヱイ。」とやりましたがもういけませんでした。

 クンねずみはだんだん四方の足から食はれて行ってたうたうおし まひに四ひきの子猫はクンねずみのおへその所で頭をこつんとぶっ つけました。

 そこへ猫大将が帰って来て、
「何か習ったか。」とききました。

「鼠をとることです。」と四ひきが一諸に答へました。