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馬の頭巾

 甲太は、まちはずれに、おかみさんと二人すんでゐました。そし て、一疋の黒い馬と、一台の荷馬車とを、有ってをりました。馬は 二歳こで、実に立派なものでした。むねやしりなどは、てかてか黒 光りでした。が惜しいことには、少しびっこを引くのでした。それ さへなかったら、とても、荷馬車などを牽いてゐる馬ではなかった のです。又甲太がそれを買へる筈もなかったのです。さて、少しび っこを引いてはゐましたが、黒馬は、いつも大へん愉快でした。そ れは、甲太が、よく、いたはって呉れたからです。

 甲太は、決して、馬がはあはあ息を切らす位まで、荷物をつける ことはしませんでした。又、夕方、車が空いて、それから、馬が道 をよく知って、ひとりでポカポカあるいてゐるときも、甲太はほか の人たちのやうに、車の上へこしかけて、ほゝづえをついてあくび をしたり、ねころんで空をながめて歌をうたったりしませんでした。 又、町へ着いて、馬が汗ばんでゐる時は、甲太は、まづかい槽を馬 にあてがって、それから車から荷物をおろし、それから手桶を借り て、つめたい水を汲んで来て、馬のびっこを引く方のあしへザァッ とかけてやりました。

 すべてこんな工合でした。それですから、仲間の荷馬車をひく人 たちは、もうみんな甲太に及ばないと思ってこわがってゐましたが、 馬のかあいゝこと、またかあいさうなことを知らない町の人たちの 中には、甲太のあまり馬をいたはるのを、ばかにするものもありま した。殊にひどいのは、同じ町はずれの床屋でした。床屋は、夕方 など、よく往来に出てゐて、甲太の馬をひいて来るのに、真面目な 顔で話しかけました。

「おい。おまへの馬の今夜のご馳走は何だい。」

「やっぱり藁と燕麦だ。」

「藁はそのまゝぢゃ消化が悪いよ。鶏卵をかけてオムレツをこさえ てやったらどうだい。」

「馬鹿にしないで呉れよ。」

「いやほんたうだ。又かうして見てゐるに、燕麦も消化がよかない ぞ。まるで馬の腹を素ど〔以下原稿数枚なし〕


でせう。」

「うん。うちの馬は、ほんたうは、あんなものを着てもいゝやつな んだ。あのびっこさへなかったらもう第一等のやつなんだ。」

「一枚買っておやりなさいよ。五六円で買へるでせう。」

「どうして、どうして。五六円や、十円ぐらゐぢゃ、とても買へな い。もっと高いよ。そして、東京でなくちゃ売ってまい。」

「そんならわたしが一つこさえて見ませうか。あぶをよけるだけな ら、そんなに面倒ぢゃないでせう。きれは天ぢくもめんでいゝでせ うか。」

「うん。それは天ぢくもめんでいゝさ。しかし、おまへでこさえら れるかい。」

「こさえて見ませう。あしたきれを買ってきませうか。しかし、あ したは、私は麦を入れに畑の方へ出ますから、やっぱりお前さん、 序に買って来て下さい。」

「うん。しかし麦はまだ入れなくてもいゝよ。も少し乾かしとけよ。 着物の方を早くこさえて呉れないかい。」

「えゝ、それぢゃさうしませう。そんなら今から買って来て今夜中 につくりませうか。」

「うん、しかしお前に気の毒だな。こしらえるのはあしたでもいゝ よ。とにかくきれを買って来い。そら、天ぢくもめん一たんでいゝ だらうか。一反三円ぐらゐだらうか。」

「そんなにはしないでせう。一ぴき五円ぐらゐだらうと思ひ ます。しかし一反ぢゃ足りないでせう。さうっと、やはり四丈五尺 もないといけませんね。」

「さうか。四丈五尺なら四円あればいゝな。おあしをやらう。」

「まだこっちにありますよ。そいぢゃすぐ行って参ります。」

 おかみさんは、膳やなんかを台所へ持って行って、それから、一 寸したくをして、きれを買ひに出かけました。

 甲太は、ひるのつかれで、とろとろしながら馬の草をゴリゴリ喰 べる音を聞いてゐましたが、たうたう、ねむくて眼をあいてゐられ なくなったので、そのまゝころりと寝てしまひました。

 さて次の朝、甲太が眼をさまして見ますと、枕もとに、白い馬の 着物が、ちゃんと畳んで置いてありました。甲太はそれをひろげて 見ますと、眼を出す円い孔や、ピンとした耳まで、すっかりついて ゐます。甲太は、うれしくて、それに何だか変におかしくて、にこ にこしながら、起きて顔を洗ひました。おかみさんがごはんをたい てゐました。

「おい。きものができたな、どうだらう。馬に合ふだらうか。」

「合ひますよ。あれからすっかり寸法をとりましたから。」

「さうかい。睡かったらう。今日は家でやすんで呉れよ。一寸着せ て見やう。馬を連れて来るからね。」

 甲太は馬をつれ出しました。馬は朝日を浴びて、くろく又きん色 にひかり、高くいななきました。

 甲太は、着物をとって、馬の頭からかぶせはじめました。馬はひ ひんと云って首を上げ、それから又下げました。

 おかみさんは、少し顔をあかくして、うまく合ふかどうか、台所 に立って見てゐました。

 実にうまい工合です。馬の顔が半分と、頭とくびと、胸からせ中 まで、すっかり白い着物を着ました。種馬所の一等の馬の着物だっ て、この通りです。たゞ少しちがふことは、着物がおしりの方まで のびてゐないことでした。

 甲太は叫びました。「すてきだ。すてきだ。実にうまい。立派だ。 うまい。うまい。」

 おかみさんもあんまりうれしくて思はずなみだが出ました。

 ところが、一寸工合の変なことは、きものに耳のついてゐること でした。種馬所のは、耳にはきれがかゝらないで、円い孔から出る やうになってゐたのでした。甲太のおかみさんのこしらえたのは、 耳のはいる三角な袋があったのでした。そして、耳の寸方だけは取 らなかったと見えて、どうも馬の耳よりきものの耳の方が、二寸ば かり長く、はじがぶらり〔以下原稿数枚なし〕


でしたけれども、甲太はすっかりしゃくにさわってしまひました。 そして、黙って床屋の前を通りすぎて、米屋へ行きました。

 米谷の主人は馬を見て、機嫌よく笑って、 「お前さんの馬はしあはせだな。今日は米を十五俵、停車場までお 願ひしたいがな。」と云ひました。そこで甲太は、早速、米を車の 上にのせて、ガラガラ停車場の方へ行きました。

 途中に子供が五人ばかり遊んでゐました。いちばん小さな子供が、 馬を見て、びっくりして変な顔をして、黙って、ぢっと見つめてゐ ましたが、やっとそれは馬が着物を着たのだといふことがわかると、 もう大笑ひをしてしまひました。

「アッハッハ。ごらん。馬がねまき着て来る。馬がね巻着て来る。」

 みんな一度に笑ひ出しました。

「アッハッハッハ。馬のねまき、馬のねまき、アッハッハッハ。」

 一人が、まるでとびあがるくらゐに叫びました。「あの耳をごら ん。あの耳をごらん。折れてしまったよ。折れてぶらぶらしてるよ。」

 さあ大へん。もう、みんな、あらんかぎりの声でどなりました。

「馬耳折れた、馬耳折れた、馬耳折っちょれた。」

 甲太もきまり悪くて、顔をまっかにしましたが、それでもにこに こ笑って云ひました。

「おらの馬、うさぎ馬だよ。」すると子供らは一どにしいんとなっ てなるほどといふ顔をしてその大きなうさぎうまを見送りました。

 甲太が、馬をひいて、停車場前の広場をよこぎって、それから運 送屋の庫の方へ行かうとしたとき、丁度汽車から降りた旅の人たち が、停車場から出て来ました。一人のせいの低い、ごま塩ひげの洋 服を着たぢいさんが、俥に乗って、向ふから来ましたが、ふと甲太 の馬を見て、にはかに眼をするどく光らせて、まるで食ひ入るやう に馬の頭巾の中をのぞいたり、少しびっこを引く脚を見たりしてゐ ましたが、たうたういきなり、
「おい、ちょっととめて呉れ。」と俥屋さんに云ひました。そして 急いで俥から降りると、甲太の前に立ちふさがりました。

「おい。お前が、この馬を有ってゐるのか。まあ失敬だが、どうし てお前の手になどはいったかな。ふんふん。だんだんびっこがなほ ったやうだ。斯うなほるとはおれは思はなかったな。お前はいくら でこの馬を買ったのだ。」

「二百円です。」

「ふん、ふん。さうか、この馬はたいへんなもんだぞ。びっこがな ほれば大さわぎが起るぞ。この頭巾はお前んとこでこさえたのか。 うまい、仲々うまい。しかしあの耳はとった方がいゝな。ふんふん。 お前は一たい今日で何箇月この馬を荷馬車につけたのだ。」

「二百日です。」

「ふん。二百日。さうか、教えてやらう。この馬のびっこはもうす ぐなほる。なほる間、荷馬車をひかせておいてもいゝ。そしてなほ ったらな、からだをきれいに洗って、種馬所の伊藤といふ人のとこ ろへ連れて行って見ろ。〔以下原稿なし〕