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北守将軍と三人兄弟の医者(初期形)

一、三人兄弟の医者

 むかしラユーといふ首都に、リンと名づける旧家があって、そこ のうちでは、兄弟三人医者だった。

 いちばん上のリンパーは、普通の人の医者だったので、いつでも 袖の大きな服をごくゆっくりと着込んでゐた。次の弟のリンプーは 馬や羊の医者だったので、いつでも頭を半分てかてか剃ってゐた。 いちばん若いリンポーは草木を治す医者だったので、いつでも鋏を 持ってゐた。三人が三人とも腕もしっかりしてゐたしそれに親切だ ったから毎日ずゐぶん繁盛した。それに都合のいゝことは三人みん な斯ういふ風に得手がちがってゐたためにすこしも競争にもならず もとより兄弟喧嘩もしない。町のいちばん西はじの黄いろな崖のと っぱなへ青い瓦の病院を三つならべて建ててゐててんでに赤や緑の 旗を風にぱたぱた云はせてゐた。

 坂のふもとで見てゐると、びっこをひいて坂をのぼって行く人や、 熱で黄いろな顔をした人、それからがまのむしろをかけてごほごほ 喉嗽をする馬や、しほれかゝった牡丹の鉢を車につけた園丁や、 いんこを入れた鳥籠を大事にかゝへた女の子などが次から次とのぼ って行ってさて坂上に行きつくと、病気の人は、右のリンパー病院 へ馬やあふむしやかもしかは、中のリンプー病院へ草木をもった人 たちは、左のリンポー病院へ三つにわかれてはいるのだった。

 さて三人は三人とも、実に医術もよくできて、また経験も相当あ ってたしかにもはや天下の名医であったのだが、まだいゝおりがな かったために、たゞの小医といふものだった。ところがたうたうあ る日のこと、三人が三人とも一度に天下の名医になってそれから大 医になるといふふしぎなことが起ってきた。

二、プーランポー将軍

 ある日のちょうど夜明けごろ、このラユーの町の北の方から、た くさんの鳥か何かゞ声をそろへて啼くやうなおかしな音が風のたん びに聞こえてきた。はじめは誰も気にかけず、店をはいたりしてゐ たが だんだんそれが近づいて 朝めしすこしすぎごろは みんな 立派なチャルメラやラッパの音だとわかってくると 町ぢゅうにわ かにざわざわした。その間にはぱたぱたといふ 太鼓の類の音もす る。もう町ぢゅうの人たちは、仕事も何も手につかない。兵隊たち はまづ城門をしっかりとざし、町をめぐった壁の上にはみはりの者 をならべて置き それからお宮へしらせを出した。

 だんだん向ふは近づいて そしてその日の午ちかく、ひづめの音 や鎧の気配、あるひは何か号令をする音がして、たうたう町の壁の 上に ひらひらする三角の旗や おかしな色にさびついたほこがた くさんのぞき出た。

 番兵たちやあらゆる町の大人らは まるでどきどきやりながら  矢を射る孔からのぞいて見た。壁の外から北の方 まるで雲霞の軍 勢だ。みんな不思議に灰いろや 鼠がかってもさもさして 天まで 続いてゐるやうだ。するどい眼をしてひげが二いろまっ白な、せな かのまがった大将が、尻の尾が棒のかたちになってうしろへぴんと のびてゐる 白馬に乗って先頭に立ち、大きな剣を引き抜いて声高 々と歌ってゐる。

「北守将軍のプーランポーは
 いま塞外の砂漠から
 やっとのことで戻ってきた。

 勇ましい凱旋だと云ひたいのだが
 実はすっかり 参って来たのだ
 とにかくあすこは寒い処さ。

 三十年といふ黄いろなむかし
 おれは十万の軍勢をひきゐ
 この門をくぐって出かけて行った。

 それからどうだもう見るものはそらばかり
 風は乾いて砂を吹き
 雁さへ萎びてたびたび落ちた。

 おれはその間 馬で馳けどほし
 馬がつかれてたびたびぺたんと地に座り
 涙をためてはじっと遠くの砂を見た

 その度ごとにおれは鎧のかくしから
 上等の朝鮮人参をとり出して
 馬に喰べさせては元気をつけた。

 その馬も今では三十五歳
 五里かけるにも四時間かゝる
 それからおれはもう七十だ。

 とても帰れまいと思ってゐたが
 ありがたや敵が残らず腐って死んだ。
 今年の夏はふしぎに湿気が多かったでな

 おまけに腐る病気の種子は
 こっちが持って行ったのだ
 さうして見ればどうだやっぱり凱旋だらう。

 殊にも一ついゝことは
 十万人もでかけたものが
 九万人まで戻って来た。

 死んだやつらは気の毒だが三十年の間には
 たとへいくさに行かなくたって
 一割ぐらひは死ぬだらうぜ。

 そこでむかしのともよ
 北守将軍プーランポーとその軍勢が帰ったのだ
 門をあけてもいゝではないか。」

 さあ城壁のこっちでは、湧きたつやうな騒動だ。じぶんで門をあ けやうとして 番兵たちに追はれたり うれしまぎれに大声をして 泣いたりする。もちろん王のお宮へは使が急いで走って行き、城の 扉はどしゃんと開いた。おもての方の兵隊たちも、もううれしく馬 にすがって、泣いてゐる。

 灰いろになった北守将軍プーランポーは わざとくしゃくしゃ顔 をしかめ しづかに馬のたづなをとって まっすぐを向いて先登に 立ち それからラッパや太鼓の類 三角のはたのついた槍だのまっ 青に銹びた銅のほこ それから白い矢をしょったもうたくさんの兵 隊たちで。馬は楽隊に足なみを合せ 殊にも将軍の白馬は 歩くた んびに膝がぎちぎち音がして ちゃうどへうしをとるやうだ。兵隊 たちは太鼓に合せて軍歌をうたひ 門から町へ入って来た。

「今宵の月は 何たる黒ぞ
 月はかぐろに 雁高く
 あだは野末を 遁げ去りぬ
 追はんと馬を 構ふれば
 たちまち雪は 野ち充つる

 北斗の七星 そら高く
 風は氷を うたがへり
 太刀とる指は たまゆらに
 凍えて砕け 落ちんとす

 風いちめんに 雪ふりて
 雁行くみちの 明きのみ
 凍えし砂は すがれたる
 よもぎの群を とりて飛ぶ」

 みんなはみちの両側に、垣になってぞろっとならび、北から帰っ た軍勢を 大悦びで迎へたのだ。

「あゝプーランポー将軍は すっかり見ちがへるやうにおなりにな った。おからだいっぱい灰いろだ。兵隊たちもみなさうだ。頭も肩 ももぢゃもぢゃだ。どんなに難儀しただらう。」

 プーランポー将軍ができるだけ胸をりんと張り 顔をしかめてみ んなの中を 一町ばかり進んだとき 向ふの王宮の方角から 黄い ろな旗がひらひらして 誰かこっちへやって来る。これはたしかに しらせが行って、王様から迎ひなのだ。

 そこでプーランポー将軍は ひたいに高く手をかざし、よくよく それを見きわめて それから俄かに一礼し 急いで馬を降りやうと した。ところが馬を降りられない、もう将軍の両足は しっかり馬 の鞍につき 鞍はこんどは将軍の馬の背中にがっしりついて もう どうしてもはなれない。じつにプーランポー将軍は すっかりあわ てゝ赤くなり 口をびくびく横に曲げ、一生けん命馬を下りやうと するのだが ますますそれができなかった。あゝ、こいつはじつに 将軍が 三十年も、北の方の国境の、深い暗い谷の底で 重いつと めを肩に負い 一度も馬を下りないため 将軍の足やズボンが す っかり鞍とむすびつき そのまた鞍は、馬と全くひとつになってし まったのだ。おまけにあんまり永い間 乾いた処に居たものだから  将軍の顔や手からは 一種灰いろの猿をがせのやうなものが い っぱいに生えてしまったのだ。尤もこのさるをがせは兵隊たちも  みな生えてゐた。王の使ひの大臣が だんだん近くやって来て も うまっさきの 旗のしるしも見えて来た。

「将軍、馬を下りなさい。王様からのお迎ひです。将軍、馬を下り なさい。」向ふの方で誰かゞ云った。将軍はまた手をバタバタした が、もうどうしても下りられない。

 ところが迎ひの大臣は、鮒よりひどい近眼だった。将軍が馬を下 り兼ねて しきりにばたばたしてゐるのを わざと馬から下りない で 手を振ってみんなに何か 命令してると考へた。

「謀叛だな。よし。遁げろ。」大臣は高く叫んだ。そこで大臣の一 行は くるっと馬を立て直し 黄いろな塵をあげながら 一目散に 戻って行く。プーランポー将軍は 馬を停めてため息をつき しば らくそれを見送って涙をぼろぼろこぼしてゐたが 俄かにうしろを 振り返り 一寸あごを突き出して 参謀長を呼び寄せた。

「おまへはすぐに、鎧や兜をすっかり脱ぎ 早く王様へ行って呉れ。 プーランポーは 塞外の砂漠の上で 今日まで三十年、馬を下りな かったために たうたうからだが鞍につき、鞍が又馬とくっついて 又顔や手にはさるをがせが 一面に生えてゐて どうしても この まゝお目通りに出られません。いますぐ医者にかゝりまして それ からお顔を拝します と、かう申しあげておいてくれ。」

「かしこまりました。」

 参謀長は すばやく鎧と兜を脱いで やっぱり黄いろのほこりを たてて 一目散に走って行く。

「全軍 休め、将軍プーランポーは これから医者へ行って来る。 みんなはその間 全く音をたてないで、じいっとやすんで居て呉れ い。わかったか。」

「わかりました。将軍。」兵隊共は声をそろへて一どに叫ぶ。将軍 はあわてゝそれを手で制し急いで馬に鞭うった。たびたび朝鮮人参 をたべた その有名な馬はもう こゝが最后のところといふので  少しがたがた鳴りながらも 一目散にかけ出した。さて将軍は十町 ばかり 夢中で馬を走らせて 大きな坂の下に来た。それから俄か に考へた。全体何といふ医者に おれは行かうとしてゐたか そこ であわてゝ馬の上からどなり出した。

「おい、この町で上手な医者はどこに居る。」

 一人の大工が返事した。

「それはリンパー先生です。」

「そのリンパーはどこにゐる。」

「すぐこの坂のま上です。あの三つある旗の中 一番右でございま す。」

「よろしい、しゅう。」将軍馬に一鞭呉れて 一散に坂をかけあが る。大工はあとで
「何だ、あいつは、野蛮なやつだ 人にいきなりものをたづねて  よろしい、しゅうとは一体何だ。」斯う云ってひとり怒ってゐた。 さて将軍の馬の方は、そこらをたくさんのぼって行く 病人どもを けとばしたりはねとばしたり 今や将軍は 一番右の赤い旗をめあ てに まっすぐに坂をのぼり切って 門の前までやって来た。なる ほど門のはしらには リンパー人間病院と 金看板がかけてある。

三、リンパー人間病院

 さてプーランポー将軍は いまやリンパー病院の 煉瓦の門を乗 り切って そのまっ白な瀬戸の玄関をはいって行った。病人がたく さんゐたが 将軍は構はず馬のまゝ どしどし廊下へのぼって行く。 さすがはリンパー病院だ どの室の扉も天井も 高さが二丈ぐらゐ ある。馬でずんずん入って行けた。

「医者はどこだ。どこに居るか医者は。」将軍は高く叫んだ。

「あなたは一体何ですか。馬のまゝ入って来るなんて、あんまりひ どいぢゃありませんか。」青い長い服を着た一人の男が 馬のくつ わを押へてしまふ。

「お前が医者のリンパーか、早くおれの病気を診ろ。」

「いゝえ、リンパー先生は、こちらの室に居られます。けれども病 気を診て貰ひたいと仰るなら 馬から降りて戴きたい。」

「いゝや、こいつが病気なのだ。馬からすぐに下りれたら、今ごろ はもう王様の前へ行ってた筈だ。」

「ははあ、馬から降りられない そいつは脚の硬直だ。そんならい ゝです。お入りなさい。」

 弟子は急いで扉をあけた。プーランポー将軍は どたどた室には いって行った。中はもう病人でいっぱい、向ふにはリンパーらしい  小さな人が しきりに一人の眼を診てゐる。

「おい医者 早くおれを見ろ。」ところがリンパー先生は 見向き もしなけぁ動きもしない。やっぱりじっと眼を見てゐる。

「おい医者 早くおれを診ろ。」

さっきの弟子がしづかに云った。

「いゝえ、診るには番があります。あなたは九十六番で、いまは六 人目ですから、もう九十人お待ちなさい。」

「何を、きさまは七十二人待てといふか。おれは北守将軍プーラン ポーだ 九万人もの兵隊を あの城門に待たせてゐる。さあ今すぐ おれをみろ。」

「いえ、いけません それまで待つのがおいやなら ほかの医者に お出なさい。」

「黙れ、もしすぐ診ないなち たゞ一息にけちらすぞ。いゝか。し ゅう。」将軍はもう鞭をあげ 馬もたしかにはねあがり 病人たち もうろたへた。ところがリンパー先生は やっぱりびくともしてゐ ない、てんでこっちを見もしない。ひとりリンパー先生の左側から まっ白な上着をつけた女の子が こっちへすっと立って来た。それ からそこの花瓶にさした小さな白い花の枝を しづかにとって水に つけ 馬の口ばに持ってった。そするとどうだ馬がふうふうと 大 きな息をしたと思ふと 俄にぺたんと脚を折り、今度はごうごうい びきをかいて、首を落してねむってしまふ。将軍はすっかりあわて

「あ、馬のやつ、又参った 困った 困った 困った、」と云ひな がら 急いで鎧のかくしから 小さな人参をとりだして 馬に食べ させやうとする。ところが馬は食ふどころではない。

「おい、起きんかい。あんまり情けないやつだ。あんなにひどく難 儀をして やっと都に帰って来ると すぐ気がゆるんで死ぬなんて  あんまり情けないやつだ。こら、起きんかい、起きんかい。しっ、 ふう、どう、おい、貴さまの大好きの人参を ほんの一口たべんか い。」将軍は倒れた馬のせなかで ひとりぼろぼろ泪を流し たう たうしくりあげて言ふ。

「おいきみ、わしはとにかくに、はやくこの馬をみてくれ給へ。こ いつは北の国境で 三十年といふ永い間わしを助けて来たのぢゃか ら。」むすめはしづかに笑ってゐたが このときリンパー先生は  この時俄かにこっちを向いて まるで将軍の胸の奥から 馬の臓腑 も見徹すやうな するどい眼をしてしづかに云った。

「馬はまもなく治ります。あなたは北守将軍ですか。ぜんたいどこ がお悪いのです」

「いや三十年わたしは馬でかけ通しだ そのためこゝへ帰ってきて も からだが馬にくっついて もうどうしてもとれないのだ。」

 するとリンパー先生は じっと将軍の眼を見つめた。

「あなたは向ふで狐などに だまされたことがありますか。」

「それはある。いやいったいどうも、向ふの狐はいかんのぢゃ。十 万近い軍勢を たゞ一ぺんに欺すんぢゃ。夜に沢山火を出したり、 昼間いきなり砂漠のなかに、大きな海をこしらえて 城までそこに 見せたりする。全くたちが悪いんぢゃ。」

「それは狐がやるんでせうか。」

「狐とそれから、サコツぢゃね、サコツといふて鳥なんぢゃ。こい つは人の居らないときは砂漠の上の高い処を飛んでゐて、誰かゞ来 ると試しにくる。馬のしっぽを抜いたりね。目をねらったりするん じゃよ。」

「そんなら一ぺん欺されるのに、何日ぐらゐかゝります。」

「まあ四日ぢゃね。十日のときもあるやうぢゃ。」

「それであなたは全体で 何べんぐらゐ欺されました。」

「さう、まあ少く見積って 十三ぺんは欺されたらう。」

「それではお尋ねいたします。百と百とを加へると答はいくらにな りますか。」

「百八十ぢゃ。」

「それでは二百と二百では。」

「さやう、三百六十だらう。」

「ふん、ふん、四百と四百では」

「七百二十に相違ない。」

「なるほど、すっかりわかりました。あなたは今でもまだ少し 砂 漠のためにつかれてゐます。狐やサコツに欺されこのではないです な。それではなほしてあげませう。」

 医師リンパーは両手をふって 弟子にしたくを云ひつけた。弟子 は小さな銅鉢に 何かの薬をいっぱい盛って 布巾を添へて持って 来た。

「将軍あなたは両手でこれをお持ちなさい。」将軍は両手を出して  鉢をきちんと受けとった。リンパーは袖をまくしあげ 布巾に薬 をいっぱいひたし 将軍のかぶとの上から ざぶざぶかけた。それ から兜を両手でとった、兜はすぐにすぽりととれた。

 弟子がも一人また新しい銅鉢へ 何かちがった別の薬をもってき た。

「こっちの鉢をお持ちなさい。」将軍は鉢をとりかへた。そこでリ ンパー先生は ぢゃぶぢゃぶ将軍の頭を洗ふ。雫はまるでまっ黒だ。 それからも一度鉢をとりかへたとき 将軍は下をむきながら心配さ うに云ひ出した。

「どうかね、馬は大丈夫かね。」「大丈夫です。」小医リンパー先 生は やはりぢゃぶぢゃぶ洗ってゐる こんどの雫は茶いろである。 それから鉢をとりかへた こんどの雫は黄いろであった。それから 鉢をとりかへた。こんどの雫はもう色もなく きれいなたゞの水だ った。そこでリンパー先生は、布巾をすてゝ両手を洗ふ。将軍は鉢 を弟子へ渡し弟子は頭や顔を拭く。将軍はぶるっと身ぶるひして  馬にきちんと起きあがる。

「どうです、せいせいしたでせう。ところで百と百とをたすと 答 はいくらになりますか。」「もちろんそれは二百だらう。」将軍は さっきのことなどは 忘れたふうでけろりと云ふ。

「そんなら二百と二百では。」「それはもちろん四百だらう。」 「そんなら四百と四百では。」「もちろんそれは八百だ。」

「すっかりおなほりなりました。」

「いや、いや、私はこの馬と 私を離してもらひに来た。」

「なるほど、それは、あなたの足と あなたのズボンとはなすのは  すぐ私に出来るです。いやもう離れてゐる筈です。けれどズボン がくらにつき、くらがまた馬についたのをはなすといふのは もち ろん私もできますが そちらはやはり馬の医者 私の弟におかゝり なさい。すぐとなりになってゐます。それにいったいこの馬も ひ どい病気にかかってゐます。」

「そんならわしの顔から生えた さるをがせだけあなたの処で ど うにかとって貰ひたい。」

「それも私は見ましたが やっぱりそちらは又別の 草木の医者に おかゝりなさい。やはり私の弟で リンポーといふものが となり のとなりに居ますから そこへも案内させませう。」

「それではそっちへ行くとしやう。いや、さやうなら。」さっきの 白いきものをつけた、むすめが馬の右耳に、息を一っつ吹き込んだ。 馬はがばっとはねあがり 将軍はもうにはかにせいが高くなる。将 軍は馬のたづなをとり 一人の弟子が将軍と ならんで室を出て行 って それからいぬしだの花の咲いた 四角な庭をよこぎって 厚 い土塀の前に来る。小さな潜りがそこにある。

「いま裏門をあけさせます。」助手は潜りを入って行く。

「いゝや、それには及ばない。わたしの馬はこれぐらゐ まるで何 とも思はない。」

 将軍は馬にむちをやる。  

 「ばっ、ふゅう」馬は塀を越え となりのリンプー先生の けし のはたけをめちゃくちゃに 踏みつけながら立ってゐた。

四、リンプー馬病院

 馬に乗ったプーランポー将軍と くぐりをくぐったリンパー先生 の弟子とは リンプー馬病院の けしの畑をふみつけて 向ふの方 へ歩いて行くと もうあっちからもこっちからも ブルルル フウ といふやうな 馬の挨拶が聞こえて来る。その馬を見る巨きな室の  床に二人が立ったとき もう三方から馬どもが 三十疋も飛んで 来て 将軍の馬に挨拶した。そこで将軍は百疋も 集ってゐる馬の 中を とっとと自分の馬を進め リンプー先生の前に行く。

 そのときリンプー先生は 丁度一ぴきの首巻の 年老ってびっこ の馬を診ていたのだ。将軍は急いで進み出る。

「となりのリンパー先生から教はって 裏門の方から参りましたぢ ゃ どうかわしの馬を見て下さらんかな。三十年砂漠に居るうちに 私と馬がすっかり一つになったのぢゃ」

「あゝ、兄のところからおいででしたか。このお方は三十六七です ね。少し足がよぢれかかってゐます。それから鞍をはなすには少し 時間がかゝります。おい、フーシュ。」

 弟子が巨きな薬のかめをもって来る。馬医のリンプー先生は 手 ばやくそれを受けとって 将軍の足にがぶがぶそゝぐ。するとには かに将軍の ずぼんは鞍からはなれたので 将軍はひどくはづみを 喰って どたりと馬から落とされた。

 リンプー先生は今度は馬の背中から じわじわ鞍を引きはなす。 間もなく鞍はすぽっととれ 馬は見当がつかないらしく 四五へん せ中をゆすぶった。弟子が六人集って 馬のからだをすっかり拭い た。

「えゝ,お馬の方は 少し足がよぢれてゐるやうですから たゞ今 直してあげませう。おい、蒸しごて。」弟子がもうその仕度をして  巨きな銅のむしごてと 白い油を持って来た。リンプー先生は受 けとって 油を馬のもゝに塗り こてをしゅうしゅう云はせてゐる  馬はこわがってばたばたしたが プーランポー将軍が ぢっとそ の眼をみつめたので 安心して暴れ出さなかった。

「もういゝだらう。歩いてごらん。」馬はおとなしく歩きだす。リ ンプー先生は しばらくそれを見てゐたが
「もういゝやうです。今度は弟のところへお出になりますか。」

「さうです、いや謝しますぢゃ。それではこれで。」そこでプーラ ンポー将軍は もいちど馬に鞍を置き ひらりと上にまたがって  一人の弟子に案内され この室を出て それからけしの花壇を通り  塀をひらりと飛び越えて しまひのリンポー先生の 菊のはたけ に飛び込んだ。

五、リンポー植物病院

 さてもリンポー先生の 木を見る室といふものは 林のやうなも のだった。あらゆる種類の木や花が そこらいっぱい集って水をか けたりやってゐる そこをプーランポー将軍は 馬から下りて案内 の 弟子と一諸に木をくぐり リンポーの前に出る。若いリンポー 先生は 将軍の顔をひと目みてごくていねいに礼をした。 

「ご病気はよくわかりました。すぐになほしてさしあげます。おい、 巴図の粉をもってこい。」すぐに黄いろなはづの粉を 一人の弟子 がもってきた。リンポー先生はその粉をすっかり将軍の 顔から肩 へふりかけて それから大きなうちわをもって パタパタパタパタ 扇ぎだした。するとたちまちさるをがせはみんなまっ赤にかわって しまひぴかぴかひかって飛び出した。見てゐるうちに将軍はすっか りきれいにさっぱりした。将軍は気がせいせいして 三十年ぶり笑 ひ出した。「もういゝですな。」若いリンポー先生も にこにこ笑 って斯う云った。

「こいつはじつにいゝですぢゃ。兵隊どももみなかうぢゃ。薬はも っとあられるかな。」

「兵隊さんは何人ですか。」

「みんなで九万居るんぢゃね」

「それ分ぐらゐはありますな。誰かに持たせてあげませう。」

「それではすぐぢゃ。」将軍ははやてのやうに室を出て ひらっと ばかり馬に乗る。

「しゅう、行けっ。」馬はたちまち病院の 大きな門を外に出た。 あとから弟子が薬の粉を 袋に入れてしょって出た。

六、北守将軍の参内

 さてもプーランポー将軍は リンポー先生の門の前を 光のやう に飛び出して となりのリンプー病院を 嵐のやうにかけ抜けて  さてはリンパー病院を 斜めに見ながら早くも坂を下りてゐた。そ してたちまち将軍は 兵隊たちのならんだところへ帰ってきた。将 軍は急いで馬をとめ、心配さうに向ふを見た。そこから参謀総長が  黄いろの塵を高くあげ 一目散にかけて来る。

「王様がすっかりおわかりなりました。将軍のご難儀につきまして  おん涙さへ浮べられ、お出でをお待ちでございます。」そこで、 プーランポー将軍は 剃りたての顔をかゞやかす。そこへさっきの 弟子が来た。

「よし,さあみんな仕度をしろ みんなでその粉を頭や顔にふりか けろ。それからうんとあふぐんぢゃ。」兵隊たちはよろこんで 粉 をふってはばたばた扇ぐ。たちまちみんなの顔の毛は けむりのや うにまっ赤な雲にあつまって 砂漠の方へ飛んで行く。将軍は剣を すらりと抜いた。

「気を付けっ。」全軍しんとしてしまひ たった一疋の馬が ブル ッと鼻を鳴らしただけ。

「前へ進めっ。」太鼓もチャルメラも鳴り出した。

「そらがしろびかり
 水の中のやうな
 おれの服のあや、

 河ははて遠く
 夕日はまっしろく
 ぬれていま落ちる。

 雪でまっくらだ
 旗の画もしぼみ
 つゞみと風の音。」

 プーランポー将軍は 顔をしかめて先頭に立ち ひとびとの万歳 の中を しづかに馬を泳がせた。

七、北守将軍仙人となる。

 さて将軍プーランポーは王宮前に兵隊をならべ王様の前へ伺った。

「じつに永いこと気の毒だった。これからはもうこゝに居て、大将 たちのまた大将になってくれ。」

 さう王様は仰った。そすると北守将軍は泪を垂れてお答へした。

「何ともありがたい思召でございますが私はもう三十年敵にもあな どられず味方の兵隊たちにも弱味を見せまいと思って、人の居ない 砂漠に出てもどこから敵が見てゐるかと、いつでもりんと胸を張り、 眼をみひらいてゐましたために、もう、気張ることにはあきてしま ひ、つかれ切ってしまひました。いはゞわたくしはもう生きてゐる しゃれかうべのやうなものでございます。どうかこのまゝわたくし の郷里に帰って百姓をすることお許し下さい。」

 そこで王様も泪をながし

「それはよからう」と仰った。そこでプーランポー将軍は鎧もぬい でかぶともぬいでかさかさした麻のきものを着てじぶんの生れたス 山といふ山の下へ帰り粟をすこうし播いたりした。それから粟の間 引きもした。けれどもそのうち将軍は、だんだんものを食はなくな り秋になって粟がみのってそれがはじめて煮られてもたゞ一口か食 べたきりあとは水だけ呑んでゐた。ところがそれから水もだんだん 呑まなくなってときどき空を向いてはしゃくりをするやうなかたち をした。

 そしてその秋の終りごろどこへ行ったか将軍は影もかたちもなく なった。そこでみんなは、将軍さまはたうたう仙人におなりだとい っていちばんしまひに将軍をきこりが見たといふ処へ小さなお堂を こしらへて、あかしをあげたり麻ののぼりをあげたりした。

 このとき名医といふ訳でお宮のなかにすんでゐたはじめの三人兄 弟の医者たちはよくみんなへかう云った。

「将軍が仙人になったといふことはない。われわれは将軍のおから だをよく知ってゐる。将軍の肺は胃と同じではなかった筈だ。きっ とどこかの山の中にお骨があるに相違ない。」なるほどさうかもし れないと思った人もたくさんあった。