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境内

みんなが弁当をたべてゐる間
わたくしはこの杉の幹にかくれて
しばらくひとり憩んでゐやう
二里も遠くから この野原中
くろくわだかまって見え
千年にもなると云はれる
林の中の一本だ
うす光る巻積雲に
梢が黒く浮いてゐて
見てゐると
杉とわたくしとが
空を旅してゐるやうだ
みんなは杉のうしろの方
山門の下や石碑に腰かけて
割合ひっそりしてゐるのは
いま盛んにたべてゐるのだ
約束をしてみな弁当をもち出して
自分の家の近辺を
ふだんはあるかないやうなあちこちの田の隅まで
仲間といっしょにまはってあるく
ちょっと異様な気持ちだらう
おれも飯でも握ってもってくるとよかった
空手で来ても
学校前の荒物屋で
パンなど買へると考へたのは
第一ひどい間違ひだった
冬は酸へずに五日や十日置けるので
とにかく売ってゐたのだらう
パンはありませんかと云ふと
冬はたしかに売ったのに
主人がまるで忘れたやうな
ひどくけげんな顔をして
はあ? パンすかときいてゐた
一つの椅子に腰かけて
朝から酒をのんでゐた
眉の無雑なぢいさんが
ぢろっとおれをふり向いた
それから大へん親切さうに
パンだらそこにあったっけがと
右手の棚を何かさがすといふ風にして
それから大へんとぼけた顔で
ははあ食はれない石バンだと
さう云ひながらおれを見た
主人もすこしもくつろがず
おれにもわらふ余裕がなかった
あのぢいさんにあすこまで
強い皮肉を云はせたものを
そのまっくらな巨きなものを
おれはどうにも動かせない
結局おれではだめなのかなあ
みんなはもう飯もすんだのか
改めてまたどらをうったり手を叩いたり
林いっぱい大へんにぎやかになった
向ふはさっき
みんなといっしょに入った鳥居
しだれのやなぎや桜や水
鳥居は明るい夏の野原に開いてゐる
あゝ杉を出て社殿をのぼり
絵馬や格子に囲まれた
うすくらがりの板の上に
からだを投げておれは泣きたい
けれどもおれはそれをしてはならない
無畏 無畏
断じて進め