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〔おれはいままで〕

おれはいままで
房のつかない上着など
まだ着たことがないからなと
樹を漏ってくる日光と
降るやうな鳥の声のなかで
円い食卓にふんぞりかへって
野豚のハムを噛みながら
高清ラムダ八世の
ミギルギッチョがぶつぶつ云ふ
ミギルギッチョのかみさんは
ミギルギッチョの斜向ひ
椅子からはんぶんからだをねぢって
胡桃のコプラを灸いてゐる
すましてぢゅうぢゅう灸いてゐる
ミギルギッチョは手を出して
こんどは餅をつまんでたべる
あゝ 草いきれ、汗、暑さ、
設計された未来の林園とでもいふやうな
これら逞ましい栗の巨木の群落と
草の傾斜をかけおりてくれば
ここはいちめんイリスの花だ
その濃艶な紫の花を
こんなにあちこち折ったのは
もちろん馬のしわざである
なぜならこゝは
いちばんはやる馬の水のみ場所らしい
馬がわれがち流れにはいって
ならんでのどをごくごくやったり
厭きてはじっと水に蹄をひたしたまま
しっぽをばしゃばしゃふったりする
さういふところをたしかに見たのは
あの柳沢の湧水だ
それがいまにも嵐のやうに
上の原から降りてきて
ここらの花をみんな潰してしまひさうなのは
じつはこっちが暑く渇いてゐるためだ
たくさんの藍燈を吊る
巨きな椈の緑廊を
紅やもえぎにながれたり
暗い石油にかはったり
水はつめたくすべってくる
  ……掬へば鱗の紋もでき
    底の砂にもうつってひかる……
けさ上の原を切るときは
種山モナドノックは霧
ここは一すじ
緑の紐に見えてゐて
そのなかいっぱい
いろいろな玻璃器を触れ合わせるやうに
鳥がたくさんないてゐた
それがあんまり細くはっきりきこえたので
はじめはこゝらの七月が
はやくも秋の虫をなかせるのかとさへ
しばらくあやしみながめてゐた
いま 空はもうひじゃうな風で
雲もひかってかけちがひ
ひぐらしもなけば冠毛もとぶ
にぎやかな夏のひるなので
鳥はもう一ぴきも鳴いてゐない