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税務署長の冒険

     一、濁密防止講演会

〔冒頭原稿数枚なし〕
 イギリスの大学の試験では牛でさえ酒を呑ませると目方が増すと云います。又これは実に人間エネルギーの根元です。酒は圧縮せる液体のパンと云うのは実に名言です。堀部安兵衛が高田の馬場で三十人の仇討ちさえ出来たのも実に酒の為にエネルギーが沢山あったからです。みなさん、国家のため世界のため大に酒を呑んで下さい。」(小学校長が青くなっている。役場から云われて仕方なく学校を借したのだが何が何でもこれではあんまりだと思ってすっかり青くなったな)と税務署長は思いました。けれどもそれは大ちがいで小学校長の青く見えたのはあんまりほめられて一そう酒が呑みたくなったのでした。なぜならこの校長さんは樽こ先生というあだ名で一ぺんに一升ぐらいは何でもなかったのです。みんなはもちろん大賛成でうまいぞ、えらいぞ、と手をたたいてほめたのでした。税務署長がまた見掛けの太ったざっくばらんらしい男でいかにも正直らしくみんなが怒るかも知れないなんということは気にもとめずどんどん云いたいことを云いました。実際それはひどい悪口もあってどうしてもみんなひどく怒らなければならない筈なのにも係わらずみんなはほんとうに面白そうに何べんも何べんも手を叩いたり笑ったりして聞いていました。
 そのはじめの方をちぢめて見ますとこんな工合です。
「濁蜜をやるにしてもさ、あんまり下手なことはやってもらいたくないな。なぁんだ、味噌桶の中に、醪を仕込んで上に板をのせて味噌を塗って置く、ステッキでつっついて見るとすぐ板が出るじゃないか。廏の枯草の中にかくして置く、いい馬だなあ、乳もしぼれるかいと云うと顔いろを変えている。
 新らしい肥樽の中に仕込んで林の萱の中に置く。誰かにこっそり持って行かれても大声で怒られない。煤だらけの天井裏にこさえて置いて取って帰って来るときは眼をまっ赤にしている。
 できあがった酒だって見られたざまじゃない。どうせにごり酒だから濁っているのはいいとして酸っぱいのもある。甘いのもある、アイヌや生蕃にやってもまあご免蒙りましょうというようなのだ。そんなものはこの電燈時代の進歩した人類が呑むべきもんじゃない。どうせやるならなぜもう少し大仕掛けに設備を整えて共同ででもやらないか。すべからく米も電気で研ぐべし、しぼるときには水圧機を使うべし、乳酸菌を利用し、ピペット、ビーカー、ビュウレット立派な化学の試験器械を使って清潔に上等の酒をつくらないか。もっともその時は税金は出して貰いたい。そう云うにやるならばわれわれは実に歓迎する。技師やなんかの世話までして上げてもいい。こそこそ濁酒半分こうじのままの酒を三升つくって罰金を百円とられるよりは大びらでいい酒を七斗呑めよ。」
 まだまだずいぶんひどく悪まれ口もきき耳の痛い筈なようなことも云いましたが誰も気持ち悪くする人はなく話が進めば進むほど、いよいよみんな愉快そうに顔を熱らして笑ったり手を叩いたりしました。
 どうもおかしいどうもおかしい、どうもおかしいとみんなの顔つきをきょろきょろ見ながらその割合ざっくばらんの少しずるい税務署長が思いました。税務署長の考ではうんと悪口を云ってどれ位赤くなって怒る人があるかを見て大体その村の濁密の数を勘定しようと云うのでした。それがいけないようでしたから今度はだんだんおどしにかかって青くなる人を見てやろうと思いました。
 ところがやっぱり面白そうに笑います。
 税務署長は気が気でなく卒倒しそうになって頭に手をあげました。
 全体こんなにおれの悪口をよろこんで笑うのはみんなが一人も密造をしていないのか、それともおれの心底がわかっているのか、どうも気味が悪い、よしもう一つだけ山をかけて見ようと思って最后にコップの水を一口のんでできる丈け落ち着いて斯う云いました。
「正直を云うとみんながどんなにこっそり濁密をやった所でおれの方ではちゃんとわかっている。この会衆の中にも七人のおれの方への密告者がまじっているのだ。」
 みんなはしいんとなりました。それからザアッと鳴りました。さあ、ここだおれを撲りにかかるやつがあるぞ、遁みちはちゃんときまっている、あしたの午ころみんな仕事に出たころ係二十人一斉に自転車でやって来てそいつを押えてしまう、斯う考えて税務署長はシラトリキキチに眼くばせして次を云いました。
「おれの方では誰の家の納屋の中に何斗あるか誰の家の床下に何升あるかちゃんと表になってあるのだ。」するとどうです、いまあれほど気が立ったみんなが一斉に面白そうにどっと吹き出したのです。もうだめだ、おしまいだ、しくじったと署長は思いました。そしてもうすっかりぐるぐるして壇を下りてしまいました。

      二、税務署長歓迎会

 税務署長が壇を下りましたらすぐ名誉村長が笑いながら少しかがんで署長の前にやって来ました。そして礼をして云いました。
「ただ今は実に有益なご講演を寔に感謝いたします。何もございませんがいささか歓迎のしるしまで一献さしあげたいと存じます。ご迷惑は重々でございましょうがどうかじきそこまで御光来を願いとう存じます。」
 税務署長はいよいよ卒倒しそうになって
「いや、それはよろしい。」とかすれた声で返事しました。「では、」村長はみんなの方に向いて「今晩の講演会はこれで閉会といたします。」と云ってから又署長たちの方に向き直って「さあ、ではどうぞ。」と右手で玄関の方を指しました。署長はなんとも変な気がしましたが仕方なくシラトリ属と一諸に村長たちに案内されて小学校の玄関を出すぐ一町ばかりさきの村会議員の家に行きました。村会議員の家は立派なもので五十畳の広間にはあかりがぞろっとともり正面には銀屏風が立ってそこに二人は座らされました。すぐ村の有志たちが三十人ばかりきちんと座りました。たちまち立派な膳がならびたしかに税金を納めてある透明な黄いろないい酒が座をまわりはじめました。
 みんなが交る交る税務署長のところへ盃を持ってやって来ました。
「いや、本日はお疲れでございましょう。失礼ながら献盃致しまする。」
「や、ありがとう、どうも悪口を云って済まなかった。どうも悪まれ商売でね、いやになるよ。」
「どう致しまして。閣下のような献身的のお方ばかりでしたら実に国家も大発展です。さあどうぞ。」
「はっはっは、いや、ありがとう。」なんて云う工合でシラトリキキチ氏の云ったようにだんだんみんなの心は融けて来たように見えましたが実は税務署長は決して油断をしないで絶えず左右に眼を配っていました。そのうちにいよいよみんなは酔ってしまってだんだん本音を吹いて来ました。
「や、署長さん。一杯いかが、どうです。ワッハッハ。濁り酒、味噌桶に作るというのはあんまり旧式だな。もっと最新法の方はいいな。おい、署長さん。さあ、一杯いかが、私の盃をあなた取りませんか。閣下ぁ、ハッハッハ。さあ一杯、」
「いや、わかった、わかった。いや、今晩は実に酩ていした。辱けない。」
「ワッハッハ。やあ、今度はシラトリさん、さあ、おやりなさい。男子はすべからく決然たるところがなくてはだめですよ。さあ、高田の馬場で堀部安兵衛金丸が三十人を切ったのは実際酒の力だ、面白い、牛も酒を呑むと酔うというのは面白い。さあ一杯。なかなかあなたは酒が強い。さあ一杯。」
 一人が行ったと思うと又一人が来るのでした。
「署長さん。はじめてお目通りを致します。」
「いやはじめて。」
「はじめて、はてなさっきも来ましたかな、二度目だ、ハッハッハ。署長さん、いや献杯、つつしんで献杯仕ります。ハッハッハこの村の濁り酒はもう手に取るようにわかっている、本統にか、さあ、本統ならいつでもやって来い。来るか、畜生、来て見やがれ。アッハッハ、失礼、署長さん署長さん、もう斯うなったらいっそのこと無礼講にしましょう。無礼講。おおい、みんな無礼講だぞ、そもそもだ、濁密の害悪は国家も保証する、税務署も保証すると、ううぃ。献杯、いや献杯、」
「もう沢山、」
「遁げるのか、遁げる気か。ようし、ようし、その気なら許さんぞ。献杯、さあ献杯だ、おおい貴様ぁ。」
 税務署長はもうすっかり酔っていました。シラトリ属も酔ってはいました。けれども二人とも決して職業も忘れずまた油断もしなかったのです。
 それでももうぐたぐたになって何もかもわからないというふりをしていました。それにくらべたら村の方の人たちこそ却って本当に酔ってしまったのでした。そのうちに税務署長は少し酒の匂が変って来たのに気がつきました。たしかに今までの酒とはちがった酒が座をまわりはじめていました。署長は見ないふりをしながらよく気をつけて盃を見ましたが少しも濁ってはいませんでした。どうもおかしい。これは決してここらのどの酒屋でできる酒でもない、他県から来るのだってもう大ていはきまっている。どうもおかしいと斯う署長はひとりで考えました。そのうちさっきの村会議員が又やって来てきちんと座って云いました。
「いや、もう閣下、ひどくご無礼をいたしました。こんな乱雑な席にご光来をねがいまして面目次第もございません。ただもうほんの村民の志だけをお汲み下されまして至らぬところ又すぎました処は平にご容謝をねがいます。」
 署長はすっかり酔った風をしながら笑って答えました。
「いや、君、こんな愉快なうちとけた宴会ははじめてだよ。こんなことならたびたびやって来たいもんだね。斯う出られたら困るだろう。」
 村会議員はちらっと署長を見あげました。本当はまだ酔っていないなと気がついたのです。署長が又云いました。
「どうも斯う高い税金のかかった酒を斯う多分に貰っちゃお気の毒だ。一つ内密でこの村だけ無税にしようかな。」
「いや、ハッハッハ。ご冗談。」村会議員は少しあわてて台所の方へ引っ込んで行きました。
「もう失礼しよう、おい君。」署長は立ちあがりました。
「もうお帰りですか。まあまあ。」村長やみんなが立って留めようとしたときそこはもう商売で署長と白鳥属とはまるで忍術のように座敷から姿を消し台所にあった靴をつまんだと思うともう二人の自転車は暗い田圃みちをときどき懐中電燈をぱっぱっとさせて一目散にハーナムキヤの町の方へ走っていたのです。

      三、署長室の策戦

 次の日税務署長は役所へ出て自分の室に入り出勤簿を検査しますとチリンチリンと卓上ベルを鳴らして給仕を呼び「デンドウイを呼べ。」とあごで云いつけました。
 すぐ白服のデンドウイ属がいかにも敬虔に入って来ました。
「まあ掛け給え。」署長はやさしく云って話の口をきりました。
「ユグチュユモトの村へ出張して呉れ給え。」
「は、」
「変装して行って貰いたいな。一寸売薬商人がいいだろう。あの千金丹の洋傘があった筈だね。」
「は、ございます。」
「じゃ、ライオン堂へ行ってこれでウィスキーを一本買ってねそれから広告をくばってやるからと云って何かのちらしを二百枚も貰いたまえ。そいつを持って入って行くんだ。君の顔は誰も知ってやしない。どうもあの村はわからないとこがある。どうも誰かがどこかで一斗や二斗でなしにつくっている。一つ豪胆にうまくやって呉れ給え。」
「は、畏まりました。」
 デンドウイ属はもう胸がわくわくしました。うまく見付けて帰って来よう、そしたら月給だってもうきっと三円はあがる、ひとつまるっきり探偵風になってやろう。
「概算旅費を受け取って行きたまえ。」署長はまた云いました。
「ありがとうございます。」デンドウイ属は礼をして自分の席へ帰ってそれから会計へ行って七日間の概算旅費を受け取って自分の下宿へ帰って行きました。
 さて八日目の朝署長が役所へ出て出勤簿を検査してそれから机の上へ両手を重ねてふうと一つ息をしたとき扉がかたっと開いてデンドウイ属があの八日前の白服のままでまた入って来ました。どうもその顔がひどくやつれて見えました。署長は思わず椅子をかたっと云わせました。
「どうだったね、少しはわかりましたか。」心配そうにそれにまたにこにこしながら訊いたのです。
「どうもいけませんでした。あの村には濁密はないようであります。」
「そうですか。どう云うようにしてしらべました。」署長は少しこわい顔をしました。
「ニタナイのとこに丁度老人でなくなった人があったのです。人が集ったらいずれ酒を呑まないでいないからと存じましてすぐその前のうちへ無理に一晩泊めて貰いました。するとそのうちからみんな手伝いに参りまして道具やなんかも貸したのでございます。私は二階からじっと隣りの人たちの云うことを一晩寝ないで聞いて居りました。すると夜中すぎに酒が出ました。もう一語でもききもらすまいと思っていましたら、そのうち一人がすうと口をまげて歯へ風を入れたような音がしました。これはもうどうしても濁り酒でないと思っていましたら、」
「ふんふん、なかなか君の観察は鋭い。それから。」
「そしたら一人が斯う云いました。いい、ほんとにいい、これではもうイーハトヴの友もなにも及ばないな。と云いました。イーハトヴの友も及ばないとしますととても密造酒ではないと存じました。」
「その酒の名前を聞きましたか。」
「私は北の輝だろうと思います。」
 署長は俄にこわい顔をしました。
「いいや、北の輝じゃない。断じてそうでない。そのいい酒がどこから出来ているかどの県から入ってるかそれをよくしらべに君をたのんだのだ。けれどもそしてそれからあとの七日君はいったい何をして居たのだ。」
「それからあとは毎日林の中や谷をあるいて山地密造酒を探して居りました。」
「あったか。」
「ありませんでした。」
「見給え。そんな藪の中にこっそり作るようなそんなのじゃない。どこか床下をほるかなんかしても少し大きくやっているだろうとはじめから僕が注意して置いたじゃないか。」
 デンドウイ属はもう頭を垂れてしまいました。そのやつれた青い顔を見ると署長もまた少し気の毒になって来ました。
「いや、よろしい。帰ってやすみ給え。ご苦労でした。シラトリ君に一寸来いと云って呉れ給え。」デンドウイ属はしおしお出て行きました。間もなく、例のシラトリ属がすまし込んで入って来ました。
「君、ユグチュユモトへ行ってくれ給え。却ってそのままの方がいい。あのね、この前の村会議員のとこへ行ってね、僕からと云う口上でね、先ころはごちそうをいただいて実にありがとう、と、ね、その節席上で戯談半分酒造会社設立のことをおはなししたところ何だか大分本気らしいご挨拶があったとね、で一つこの際こちらから技術員も出すから模範的なその造酒工場をその村ではじめてはどうだろう、原料も丁度そちらのは醸造に適していると思うと斯う吹っかけて見てじっと顔いろを見て呉れ給え。きっと向うが資本がありませんでと斯う云うからね、そしたらどうでしょう半官半民風にやろうじゃありませんかと斯うやって呉れ給え。そしてその返事をもうせき一つまでよく覚え込んで帰って呉れ給え。いますぐです。今日中に帰れるだろう、あしたは休んでもいいから。」
「帰れます。」シラトリキキチ氏はしゃんと礼をして出て行きました。署長はもう一生けん命何かを考え込んで昼飯さえ忘れる風でした。ひるすぎはそわそわ窓に立ってシラトリ属の帰るのをいまかいまと待っていました。
 ところがシラトリ属は夕方になっても帰りませんでした。
 署長はもうみんなも帰る時分だしと思って自分も一ぺん家へ帰るふりをして町をぐるっとまわりみんなが戻ったころまた役所へ来て小使に自分の室へ電燈をつけさせて待っていました。すると八時過ぎて玄関でがたっと自転車を置いた音がしてそれからシラトリ属がまるで息を切らして帰って来たのです。
「どうだった。」署長は待ち兼ねてそう訊ねました。
「だめです。」
「いけなかったか。」署長はがっかりしました。
「仰ったとおり云ってだまって向うの顔いろを見ていたのですけれどもまるで反応がありませんな、さあ、まあそんなことも仰っしゃっておいででしたがどうもお役人方の仰っしゃることは無理もあればむずかしいことも多くてなんててんでとり合わないのです。」
「顔色を変えなったか。」
「少しも変りませんでした。」
「それからどうした。」
「仕方ありませんからそこを出て村の居酒屋へいきなり乗り込んであった位の酒を瓶詰のもはかり売のも全部片っぱしから検査しました。」
「うんうん。そしたら。」
「そしたら瓶詰はみんなイーハトヴの友でしたしはかり売のはたしかに北の輝です。」
「北の輝の方がいくらか廉いんだな。」
「そうです。」
「たしかに北の輝かね。」
「そうです。それから酒屋の主人に帳簿を出さしてしらべて見ましたが酒の売れ高がこのごろ毎年減って行くようであります。」
「おかしいな。前にはあの村はみんな濁り酒ばかり呑んでいたのにこのごろ検拳が厳しくてだんだん密造が減るならば清酒の売れ高はいくらかずつ増さなければいけない。」
「けれどもどうも前ぐらいは誰も酒を呑まないようであります。」
「そうかね。」
「それに酒屋の主人のはなしでは近頃は道路もよくなったし荷馬車も通るのでどこの家でもみんな町から直かに買うからこっちはだんだん商売がすたれると云いました。」
「おかしいぞ。そんなに町からどしどし買って行くくらいの現金があの村にある筈はない。どうもおかしい。よろしい。こんどは私が行って見よう。どうもおかしい。明日から三四日留守するからね。あとはよく気をつけて呉れ給え。さあ帰ってやすみ給え。」
 税務署長は唇に指をあて、眼を変に光らせて考え込みながらそろそろ帰り支度をしました。                                  

      四、署長の探偵

 税務署長のその晩の下宿での仕度ときたら実際科学的なもんだった。
 まず第一にひげをはさみでぢゃきぢゃき刈りとって次に揮発油へ木タールを少しまぜて茶いろな液体をつくって顔から首すじいっぱいに手にも塗った。鼻の横や耳の下には殊に濃く塗ったのだ。それからアスファルトの屋根材の継目に塗りつける黒いペイントを顎のとこへ大きな点につけてしばらくの間じっとそんな油や何かの乾くのを待ってたが、それがきれいに乾くとこんどは鏡台の引出しをあけてにせものの金歯を二枚出して犬歯へはめました。すると税務署長がすっかり変ってしまって請負師か何かの大将のように見えて来た。それから署長は押し入れからふだん魚釣りに行くときにつかう古いきゅうくつな上着を出して着ておまけに乗馬ズボンと長靴をはいた。そして葉書入れを逆まにしてしばらく古い名刺をしらべていたがその中からトケウ乾物商サヘタコキチと書いたやつをえらんでうちかくしへ入れた。独りものの署長のことだから実際こんなことができたのだ。それから帽子をかぶり洋傘を持って外へ出たけれども何と思ったかもう一ぺん長靴をぬいでそれを持って座敷へあがった。古い新聞紙を鏡の前の畳へ敷いて又長靴をはいてちゃんと立って鏡をのぞいてさあもうにかにかにかにかし出した。
 それから俄かにまじめになってしばらく顔をくしゃくしゃにしていたがいよいよ勇気に充ちて来たらしく一ぺんに畳をはね越えておもてに飛び出し大股に通りをまがった。実にその晩の夜の十時すぎに勇敢な献身的なこの署長は町の安宿へ行って一晩とめて呉れと云った。そしたらまじめにお湯はどうかとか夕飯はいらないかとか宿屋では聞いた。署長はもうすっかり占めたと思ったのだ。そして次の朝早く署長はユグチュユモトの村へ向った。
 村の入口に来てさっそく署長はあの小売酒屋へ行った。
「ええ伺いますが、この村の椎蕈山はどちらでしょうか。」
「椎蕈山かね。おまえさんは買付けに来たのかい。」
「へえ、そうです。」
「そんなら組合へ行ったらいいだろう。」
「組合はどちらでございましょう。」
「こっから十町ばかりこのみちをまっすぐに行くとね学校がある、」
 知ってるとも、そこでおれが講演までしてひどい目にあってるじゃないか、署長は腹の底で思った。
「その学校の向いに産業組合事務所って看板がかけてあるからそこへ行って談したらいいだろう。」
「そうですか。どうもありがとうございました。お蔭さまでございます。」署長はまるで飛ぶようにおもてに出てまた戻って来た。
「どうもせいがきれていけない。一杯くれませんか。ええ瓶でない方。ううい。いい酒ですね。何て云います。」
「北の輝です。」
「これはいい酒だ。ここへ来てこんな酒を呑もうと思わなかった。どこで売ります。」
「私のとこでおろしもしますよ。」
「はあ、しかし町で買った方が安いでしょう。」
「そうでもありません。」
「だめだ。持って行くにひどいから。」
 署長は金を十銭おいて又飛び出した。それから組合の事務所へ行った。さあもうつかまえるぞ今日中につかまえるぞ、署長はひとりで思った。ところが事務所にはたった一人髪をてかてか分けて白いしごきをだらりとした若者が椅子に座って何か書いていた。こいつはうまいと署長は思った。
「今日は、いいお天気でございます。ごめん下さい。私はトケイから参りました斯う云うものでございますがどうかお取次をねがいます。」署長はあの古い名刺をだいぶ黄いろになってるぞと思いながら出した。若者は率直に立って「ああそうすか。」と云って名刺を受けとったがあとは何も云わないでもじもじしていた。
「今朝はまだどなたもお見えにならないんですか。」
「はあ、見えないで。」若者は当惑したように答えた。
「ええ、ではお待ちいたします、どうかお構いなく。いかがでございましょう。本年は椎蕈の方は。この雨でだいぶ豊作でございましょうね。」
「あんまりよくないそうだよ。」
「はあいや匂やなにかは悪いでしょうが生えることは沢山生えましてございましょうね。」
「できたろう。」若者はだんだん言も粗末になって来た。
「どうでしょうね。わたしあ東京の乾物屋なんだが貸しの代りに酒をたくさんとったのがあるんだがどうでしょう。椎蕈ととり代えるのを承知下さらないでしょうかね。安くしますが。」
「さあだめだろう。酒はこっちにもあるんだから。」
「町から買うんでしょう。」
「いいや。」
「どこかに酒屋があるんですか。」
「酒屋ってわけじゃない。」
 さあ署長はどきっとしました。
「どこですか。」
「どこって、組合とはまた別だからね。」若者はぴたっと口をつぐんでしまいました。さあ税務署長はまるで踊りあがるような気がした。もうただ一息だ。少くとも月一石ずつつくってあちこち四五升ずつ売っているやつがある。今日中にはきっとつかまえてしまうぞ。
「椎蕈山は遠いんですか。」
「一里あるよ。」
「このみちを行っていいんですか。」
「行けるよ。」
「それでは私山の方へ行って見ますからね、向うにも係りの方がおいででしょう。」
「居るよ。」
「ではそうしましょう。こっちでいつまでも待ってるよりはどうせ行かなけぁいけないんだから。ではお邪魔さまでした、いまにまた伺います。」
 署長は小さな組合の小屋を出た。少し行ったらみちが二つにわかれた。署長はちょっと迷ったけれども向うから十五ばかりになる小供が草をしょって来るのを見て待っていて訊いた。「おい、椎蕈山へはどう行くね。」
 すると子供はよく聞えないらしく顔をかしげて眼を片っ方つぶって云った。
「どこね、会社へかね。」会社、さあ大変だと署長は思った。
「ああ会社だよ。会社は椎蕈山とはちかいんだろう。」
「ちがうよ。椎蕈山こっちだし会社ならこっちだ。」
「会社まで何里あるね。」
「一里だよ。」
「どうだろう。会社から毎日荷馬車の便りがあるだろうか。」
「三日に一度ぐらいだよ。」
 ふん、その会社は木材の会社でもなけぁ醋酸の会社でもない、途方もないことをしてやがる、行ってつかまえてしまうと署長はもうどぎどぎして眼がくらむようにさえ思った。そして子供はまた重い荷をしょって行ってしまった。署長はまるではじめて汽車に乗る小学校の子供のように勇んでみちを進んで行った。それから丁度半里ばかり行ったらもう山になった。みちは谷に沿った細いきれいな台地を進んで行ったがまだ荷馬車のわだちははっきり切り込んでいた。向うに枯草の三角な丘が見えてそこを雲の影がゆっくりはせた。
「おい、どこへ行くんだい。」ホークを持ち首に黒いハンカチを結び付けた一人の立派な男が道の左手の小さな家の前に立って署長に叫んだ。
「椎蕈山へ行きますよ。」署長は落ちついて答えた。
「椎蕈山こっちじゃない。すっかりみちをまちがったな。」青年が怒ったように含み声で云った。
「そうですか。ここからそっちの方へ出るみちはないでしょうか。」
「ないね、戻るより仕方ないよ。」
「そうですか。では戻りましょう。」もう喧嘩をしたらとても勝てない。一たまりもないと思ったから署長は大急ぎで一つおじぎをして戻り出した。もう大ていいいだろうと思ってうしろをちょっと振り返って見たらその若者はみちのまん中に傲然と立ってまるでにらみ殺すようにこっちを見ていた。そのそばには心配そうな身ぶりをした若い女がより沿っていたのだ。署長はまるで足が地につかないような気がした。もういまの家のもう少し川上にちゃんと小さな密造所がたっているんだ。毎月三四石ずつ出している。大した脱税だ。よし山をまわって行っても見てやろうと考えた。そしてずっと下ってまがり角を三つ四つまがってから、非常に警戒しながらふり向いて見るともう向うは一本の松の木が崖の上につき出ているばかりすっかりあの男も家も見えなくなっていた。さあいまだと税務署長は考えて一とびにみちから横の草の崖に飛びあがった。それからめちゃくちゃにその丘をのぼった。丘の頂上には小さな三角標があってそこから頂がずうっと向うのあの三角な丘までつづいていた。税務署長は汗を拭くひまもなく息をやすめるひまもなくそのきらきらする枯草をこいでそっちの方へ進んだ。どこかで蜂か何かがぶうぶう鳴り風はかれ草や松やにのいい匂を運んで来た。
 ちょっとふりかえって見るとユグチュユモトの村は平和にきれいに横たわりそのずうっと向うには河が銀の帯になって流れその岸にはハーナムキヤの町の赤い煙突も見えた。
 署長はちょっとの間濁密をさがすなんてことをいやになってしまった、けれどもまた気を取り直してあの三角山の方へつつじに足をとられたりしながら急いだ。実にあのペイントを塗った顔から黒い汗がぼとぼとに落ちてシャツを黄いろに染めたのだ。ところが三角山の上まで来ると思わず署長は息を殺した。すぐ下の谷間にちょっと見ると椎蕈乾燥場のような形の可成大きな小屋がたって煙突もあったのだ。そして殊にあやしいことは小屋がきっぱりうしろの崖にくっついて建ててあっておまけにその崖が柔らかな岩をわざと切り崩したものらしかった。たしかにその小屋の奥手から岩を切ってこさえた室があって大ていの仕事はそこでやっているらしく思われた。これはもう余程の大きさだ。小さな酒屋ぐらいのことはある、たしかにさっきの語のとおり会社にちがいない、いったい誰々の仕事だろう、どうもあの村会議員はあやしい、巡査を借りてやって来て村の方とこっちと一ぺんに手を入れないと証拠があがらない、誰か来るかも知れない今日一日見ていようと税務署長は頬杖をついて見ていた。するとまるで注文通り小屋の中からさっきの若い男がぽろっと出て来た。それから手を大きく振ったように見えた、と思うと、おおい、サキチと叫ぶ声が聞こえて来た。見ると荷馬車が一台おいてある。その横から膝の曲った男が出て来て二人一諸に小屋へ入った。さあ大変だと署長が思っていたら間もなく二人は大きな二斗樽を両方から持って出て来た。そしてどっこいという風に荷馬車にのっけてあたりをじっと見まわした。馬が黒くてかてか光っていたし谷はごうと流れてしずかなもんだった、署長はもう興奮して頭をやけに振った。二人はまた小屋へ入った。そして又腰をかがめて樽を持って来た。と思ったらすぐあとからまた一人出て来た。そして荷馬車の上に立って川下の方を見ている。二人はまた中へ入った、そして又樽を持って出て来たもんだ、(さあ、これでもう六斗になるまさかこれっきりだろう、これっきりにしても月六石になる大した脱税だ)と署長は考えた。ところがまた出て来た。そしてまた入ってまた出て来た。もう一石だつき十石だと署長はぐるぐるしてしまった。ところが又入ったのだ。こんどは月十二石だ、それからこんどは十四石十六石十八石、二十石とそこまで署長が夢のように計算したときは荷馬車の上はもう樽でぎっしりだった。すると三人がそれへ小屋の横から松の生枝をのせたりかぶせたりし出した。
 見る間にすっかり縄られて車が青くなり樽が見えなくなってもう誰が見ても山から松枝をテレピン工場へでも運ぶとしか見えなくなった。荷馬車がうごき出した。馬がじっさい蹄をけるようにしよほど重そうに見えた。するとさっきの若い男は荷馬車のあとへついた。それから十間ばかり行く間一番おしまいに小屋から出た男は腕を組んで立って待っていたが俄かに歩き出してやっぱりついて行った。(実に巧妙だ。一体こんなことをいつからやっていたろう。さあもうあの小屋に誰も居ない、今のうちにすっかりしらべてしまおう、証拠書類もきっとある。)税務署長は風のように三角山のてっぺんから小屋をめがけてかけおりた。ところが小屋の入口はちゃんと洋風の錠が下りていたのだ。(さあもういよいよ誰も居ない。あいつが村まで行って帰るまでどうしても二時間はかかる。どこからか入らなけぁならない。)税務署長は狐のようにうろうろ小屋のまわりをめぐった。すると一とこ窓が一分ばかりあいていた。署長はそこへ爪を入れて押し上げて見たらカラッと硝子は上にのぼった。もう有頂天になって中へ飛び込んで見るとくらくて急には何も見えなかったががらんとした何もない室だった。煙突の出てるのは次の室らしかった。急いでそっちへかけて行って見たらあったあったもう径二米ほどの大きな鉄釜がちゃんと練瓦で組んで据えつけられている。署長は眼をこすってよく室の中を見まわした。隅の棚のとこにアセチレン燈が一つあった。マッチも添えてあった。すばやくそれをおろしてみたらたったいま使ったらしくまだあつかった。栓をねじって瓦斯を吹き出させ火をつけたら室の中は俄かに明るくなった。署長はまるで突貫する兵隊のような勢でその奥の室へ入った。そこは白い凝灰岩をきり開いた室でたしか四十坪はあると署長は見てとった。奥の方には二十石入の酒樽が十五本ばかりずらっとならび横には麹室らしい別の室さえあったのだ。おまけにビューレットも純粋培養の乳酸菌もピペットも何から何まで実に整然とそろっていたのだ。(ああもうだめだ、おれの講演を手を叩いて笑ったやつはみんな同類なのだ。あの村半分以上引っ括らなければならない。もうとても大変だ)署長はあぶなく倒れそうになった。その時だ、何か黄いろなようなものがさっとうしろの方で光った。
 見ると小屋の入口の扉があいて二人の黒い人かげがこっちへ入って来ているではないか。税務署長はちょっと鹿踊りのような足つきをしたがとっさにふっとアセチレンの火を消した。そしてそろそろとあの十五本の暗い酒だるのかげの方へ走った。足音と語ががんがん反響してやって来た。「いぬだいぬだ。」「かくれてるぞかくれてるぞ。」「ふんじばっちまえ。」「おい、気を付けろ、ピストルぐらい持ってるぞ。」ズドンと一発やりたいなと署長は思った。とたん、アセチレンの火が向うでとまった。青じろいいやな焔をあげながらその火は注意深くこっちの方へやって来た。「酒だるのうしろだぞ」二人は這うようにそろそろとやって来た。
 署長はくるくると樽の間をすりまわった。
 そしたらとうとう桶と桶の間のあんまりせまい処へはさまってのくも引くもできなくなってしまった。
 アレチレンの火はすぐ横から足もとへやって来た。と思うと黒い太い手がやって来ていきなり署長のくびをつかまえた。ガアンと頭が鳴った。署長は自分が酒桶の前の広場へ蟹のようになって倒れているのを見た。まるで力もなにもなかった。アセチレン燈もまだ持っている。
「立て、こん畜生太いやつだ。炭焼がまの中へ入れちまうから、そう思え。」
(炭焼がまの中に入れられたらおれの煙は木のけむりといっしょに山に立つ。あんまり情ない。)署長は青ざめながら考えた。
「誰だ、きさん、収税だろう。」
「いいや。」署長は気の毒なような返事をした。
「とにかく引っ括れ。」一人が顎でさし図した。一人はアセチレンをそこへ置いてまるで風のようにうごいて綱を持って来た。署長はくるくるしばられてしまった。
「おい、おれが番してるから早く社長と鑑査役に知らせて来い。」
「おお。」一人は又すばやくかけて出て行った。
「おい、云わなぃかこん畜生、貴さん収税だろう。」
「そうでない。」
「収税でなくて何しに入るんだ。」署長はようやく気を取り直した。
「おいらトケイの乾物商だよ。」
「トケイの乾物商が何しにこんなとこへ来るんだ。」
「椎蕈買いに来たよ。」
「椎蕈。」
「ああここで椎蕈つくってると思ったから見ていたんだ。名刺もちゃんと組合の方へ置いてある。」
「正直な椎蕈商が何しに錠前のかかった家の窓からくぐり込むんだ。」
「椎蕈小屋の中へはいったっていいと思ったんだ。外で待っていても厭きたからついはいって見たんだよ。」
「うん、そう云やそうだなあ。」ここだと署長は思った。みんなの来ないうちに早く遁げないともうほんとうに殺されてしまう。もう一生けん命だと考えた。
「おい、いい加減にして縄をといて呉れよ。椎蕈はいくらでも高く買うからさ。おれだってトケイにぁ妻も子供もあるんだ。ここらへ来て、こんな目にあっちゃ叶わねえ。どうか縄をといて呉れよ。」
「うん、まあいまみんな来るから少し待てよ。よく聞いてから社長や重役の方へ申しあげれぁよかったなあ。」
「だからさ、遁がして呉れよ。おれお前にあとでトケイへ帰ったら百円送るからさ。」
「まあ少し待てよ。」ああもう少し待ったらどんなことになるかわからない。署長はぐるぐるしてまた倒れそうになった。
 ところがもういけなかったのだ、入口の方がどやどやして実に六人ばかりの黒い影が走り込んで来た。(もう地獄だ、これっきりだ。)署長は思った。今まで番をしていた男は立ってそれを迎えた。ぐるっとみんなが署長を囲んだ。
「こいつはトケイの椎蕈商人だそうです。椎蕈を買おうと思って来たんだそうです。」
「うん。さっき組合へうさんなやつが名刺を置いて行ったそうだがこいつだろう。」りんとした声が云った。署長は聞きおぼえのある声だと思って顔をあげたらじっさいぎくりとしてしまった。それは名誉村長だった。しばらくしんとした。
「どうだ。放してやるか。」また一人が云った。署長は横目でそっちを見上げた。あの村会議員なのだ。
「いや、よく調べないといけません。念に念を入れないとあとでとんだことになります。」
 署長はまたちらっとそっちを見た。それはあの講演の時青くなった小学校長だった。すなわちわれらの樽コ先生ではないか。
「いいえ、こいつはさっき一ぺん私が番所から追い帰したのです。どうもあやしいと思いましたからとがめましたら椎蕈山はこっちかと云うんです。こっちじゃない帰れ帰れって云いましたらそうですかここらからまわるみちはないかとまた云いやがるんです。ないない。帰れと云いましたら仕方なく戻って行きました。そいつをいつの間にどこをまわってここへ入ったかもうこいつはきっと税務署のまわしものです」
「うん、そう云えばどうもおれにもつらに見おぼえがある。表へ引っぱり出してみろ。てめえは行って番所に居ろ。」社長の名誉村長が云った。
「立てこの野郎」署長はえり首をつかまえられて猫のように引っぱり出された。おもてへ出て見ると日光は実に暖かくぽかぽか飴色に照っていた。(おれが炭焼がまに入れられて炭化されてもお日さまはやっぱりこんなにきれいに照っているんだなあ。)署長はぽっと夢のように考えた。
「何だこいつは税務署長じゃないか。」名誉村長はびっくりしたように叫んだ。それからみんなはにゅうと遁げるようなかたちになった。署長はもうすっかり決心してすっくと立ちあがった。
「いかにもおれは税務署長だ。きさまらはよくも国家の法律を犯してこんな大それたことをしたな。おれは早くからにらんでいたのだ。もうすっかり証拠があがっている。おれのことなどは潰すなり灼くなり勝手にしろ。もう準備はちゃんとできている。きさまたちは密造罪と職務執行妨害罪と殺人罪で一人残らず検挙されるからそう思え。」
 社長も鑑査役も実に青くなってしまった。しばらくみんなしいとした。
 ここだと署長が考えた。
「さあ、おれを殺すなら殺せ、官吏が公務のために倒れることはもう当然だ。」署長は大へんいい気持がした。といきなりうしろから一つがぁんとやられた。又かと思いながら署長が倒れたらみんな一ぺんに殺気立った。
「木へ吊るせ吊るせ。なあに証拠だなんてまだ挙がってる筈はない。こいつ一人片付ければもう大丈夫だ。樺花の炭釜に入れちまえ。」たちまち署長は松の木へつるしあげられてしまった。村会議員が出て云った。
「この野郎、ひとの家でご馳走になったのも忘れてずうずうしい野郎だ。ゆぶしをかけるか。」
「野蛮なことをするな。」署長が吊られて苦しがってばたばたしながら云った。
「とにかく善后策を講じようじゃないか。まあ中で相談するとしよう。」村長が云った。
 みんなは中へはいった。署長は木の上で気が遠くなってしまった。

      五、署長のかん禁

 しばらくたって署長は自分があの奥の室の中に入れられているのを気がついた。頭には冷たい巾がのせてあったし毛布もかけてあった。いちばんあとから小屋を出た男が虔しく番をしながら看病していた。おもてではがやがやみんなが談していた。何でも前后策を協議しているか酒盛りをやっているらしかった。署長がからだをうごかしたらすぐその若者が近くへ寄って模様を見た。それから戸をあけてそしても一つ戸をあけて外の大きな室に出ていった。と思うと名誉村長が入って来た。茶いろの洋服を着ていた。(そして見るとおれは二日か三日寝ていたんだな。)署長は考えた。名誉村長は座って恭しく礼をして云った。
「署長さん。先日はどうも飛んだ乱暴をいたしました。
 実は前后の見境いもなくあんなことをいたしましてお申し訳けございません。実は私どもの方でもあなたの方のお手入があんまり厳しいためつい会社組織にしてこんなことまでいたしましたような訳で誠に面目次第もございません。就きましていかがでございましょう。私どもの会社ももうかっきり今日ぎり解散いたしまして酒は全部私の名儀でつくったとして税金も納めます。あなたはお宅まで自働車でお送りいたしますがこの度限り特にご内密にねがいませんでしょうか。」
 署長はもう勝ったと思った。
「いやお語で痛み入ります。私も職務上いろいろいたしましたがお立場はよくわかって居ります。しかしどうも事ここに至れば到底内密ということはでき兼ねる次第です。もう談がすっかりひろがって居りますからどうしても二三人の犠牲者はいたし方ありますまい。尤も私に関するさまざまのことはこれは決して公にいたしません。まあ罰金だけ納めて下さってそれでいいような訳です。」
「それがそのどうも私どもはじめ名前を出したくないので。」
 この時だ、表が俄にやかましくなって烈しい叫声や組討ちの音が起った。まるでもう嵐のようだった。
「署長署長」誰かが叫んだ。署長はばっと立ちあがった。
「おお、ここに居るぞよくやったよくやった。シラトリ、ここに居るぞ。」
 すぐ二三人が室の戸をけやぶって入って来た。
「署長、ご健勝で。もうみんな捕縛しました。」とシラトリ属が泣いてかけて来た。
「よくわかったなあ、警察の方もたのんだか。」
「ええ総動員です。二十人捕縛してあります。この方は。」
「名誉村長だ。けれども仕方ない縄をかけ申せ。」署長はわくわくして云った。
「署長ご健勝で。」署員たちが向う鉢巻をしたり棍棒をもったりしてかけ寄った。署長は痛いからだを室から出た。
「樽にみんな封印しろ。証拠品は小さな器具だけ、集めろ。その乳酸菌の培養も。うん。よろしい。いやどうもご苦労をねがいました。」署長は巡査部長に挨拶した。
「お変りなくて結構です。いや本署でも大へん心配いたしました。おい。みんな外へ引っぱれ。」
 そしてもうぞろぞろみんなはイーハトヴ密造会社の工場を出たのだ。五分ののちこの変な行列があの番所の少し向うを通っていた。
 署長は名誉村長とならんで歩いていた。
「今日は何日だ。」署長はふっとうしろを向いてシラトリ属にきいた。
「五日です。」
「ああもうあの日から四日たっているなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。」
 署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにおいが風にふうっと漂って来た。
「ああいい匂だな。」署長が云った。
「いい匂ですな。」名誉村長が云った。